第80話 「それが一番の不安です」と元勇者は案じた
~前回までのあらすじ~
異世界のアイテム、先輩も使えた。
先輩、実父からの呼び出し。
先輩、嫌な予感。
琴音は身支度を整えると、アパートを出た。昨日から始まった修行により、自身の能力の大幅な向上に期待がかかるからか、普段の彼女よりもにこやかな表情に見える。ところが、アパートの敷地を一歩出ただけで彼女は強い不快感に襲われた。
(昨日よりも少し、人数が増えているわね。当然の措置か)
自身に突き刺さる監視の目が明らかに増えていることに気付いた琴音。昨日の行動を踏まえれば、当然の結果だった。琴音が仮面の男と接触する場面を押さえるため、人員を増やしたのだ。尤も、それはこの日も徒労に終わってしまうのである。
(でも残念ね。そして、今日もご苦労様)
アパートの近くにある公園内の公衆トイレに入った琴音は、怜士から借り受けた幻影の外套を素早く身に纏うと、自分の霊力を通した。霊力でも問題なく起動する異世界のアイテム。その効果で姿や気配を完全に消した琴音は公衆トイレを出ると、監視の目を掻い潜り、志藤家へと急いだ。再び目標を見失った魔討隊の隊士を尻目に。
志藤家の敷地内に入った琴音は外套への霊力の供給を止めた。一見すると、不法侵入だが、事前に了承を得ており、打ち合わせも済んでいるので問題は無い。琴音の姿が視認できるようになったため、それに気が付いた怜士が声を掛けた。
「ああ、おはようございます。先輩」
「お早う、志藤君。あら? 今日は、シルヴィアさんはいないのね」
昨日、自身の修行に付き合い、回復魔法を掛けてくれたシルヴィアの姿が見えず、琴音は志藤家の庭を見渡した。
「ああ、シルヴィアは留守です。母さんに連れられて買い物に行ってますよ。ただ、代わりに……」
怜士が背後を指差すと、そこには梨生奈がいた。トレードマークのポニーテールをフルっと揺らしている。
「あら、西條さん。お早う」
「おはようございます、和泉先輩」
礼儀正しく挨拶をする梨生奈だが、彼女は完全な一般人だ。怜士のように技術を教えることも、シルヴィアのように回復魔法が使える訳でもない、ただの一般人なのだ。大まかな事情を知っているというだけで、偶々、この日の琴音の修行に居合わせているだけだ。
「今日の部活の練習が午後からなので、それまでは怜士と過ごそうと思って。邪魔はしませんので、お気遣いなく!」
そう言って、怜士の左腕に抱き着いた梨生奈。シルヴィアがいない分、怜士に全身全霊で甘えるつもりらしい。
「……志藤君、今日も宜しくお願いするわ。でも、その前に話すことがあるの」
「うん? 一体、何の話ですか?」
「……と言う訳で、私、来週の土曜日に実家に戻ることになったわ。嫌で仕方ないけど」
霊力錬成の修行を始める前に、琴音は昨日の父親とのやり取りについて怜士に話した。
「コレ、間違いなく罠ですよね? また先輩を利用して俺を誘き寄せようとしてます?」
「ええ。ワンパターンだけど、十中八九、また貴方のことを狙ってるわ。お父様は私に灸を据えたいというのもあるでしょうけど、魔討隊が裏で糸を引いていると判断してもいいわね。この呼び出しは」
琴音の話は、誰が聞いても魔討隊が絡んだ罠だということが理解できる。それも、前回と似たようなパターンだ。罠だと思わない方が馬鹿だろう。
「でも、変ですね。どうしてすぐに呼びつけないんですか? 一週間も先にするなんて、ちょっと引っ掛かります。例えば今日なんかは日曜日だから学校だって休みだし、呼びつけるなら今日の方がいいと思いますけどね」
娘を呼びつけるのなら、早い方が良い。琴音が学生の身分であることを考慮しても、一般的な休日を利用するのが妥当だろう。そんな考えが頭を過った怜士は首を傾げた。
「学校は関係ないの。『呼ばれたら来い』っていうのが当たり前。優先されるのは退魔の仕事だもの。これまでに何回も学校を休んで妖魔の討伐に赴いたことだってある。実家から追放されている今だってそうよ」
「そうなんですか!?」
「私に限らず、退魔師の間では普通よ。妖魔は私達の生活のことを考えて行動しないもの。学校なんか二の次なの」
退魔師が妖魔を祓うために自分の生活をも犠牲にすること。それが日常茶飯事であることを知り、怜士は改めて妖魔の脅威を再認識した。
「まあ、それは一旦いいわ。貴方も感じたように、すぐに私を呼びつけないのはおかしい。私に事情聴取をするなら、尚更ね。考えられるのは、人を集めるために時間を要しているということかしらね」
「人ですか?」
「他と隔絶した霊力と、それに伴う戦闘力を誇る魔討隊の退魔師。所謂、“隊長クラス”。貴方を確実に制圧するための人材を招集しているはず。この一週間は、そのための期間だと思う。隊長クラスの退魔師は、特級クラスの強力な妖魔討伐のために全国を飛び回ることが多いから」
琴音の表情が厳しいものになった。これまで、怜士が接敵した魔討隊の退魔師は全て平隊士なのだ。それらとは比べ物にならない実力を持つような人間が出て来ては、流石の元勇者も劣勢を強いられると琴音は感じているのだ。
「隊長っていうくらいだから、この前までの人達とはレベルが違うってことですね」
「ええ、その通りよ。貴方でも油断していいような相手じゃない。今までのようにはいかないと思う」
魔討隊という組織とその戦力について、ある程度知っている琴音だからこそ、一週間後に起こる事態を想像できる。いくら怜士が強くとも、苦戦は免れないことを案じている。
「それに、お行儀の良い決闘をする訳ではないもの。上級隊士を何人も連れて来ると見るべきね。一対多の乱戦になる。一方的な、ね」
琴音の言う通り、魔討隊は怜士と正々堂々とした武道の試合をしたい訳ではない。魔討隊の目的は、強大な力を持つ仮面の男、すなわち怜士の正体を暴くことにある。自組織の管理下にない怜士を、あわよくば取り込もうというのが狙いの一つだったのだ。怜士の持つ未知数の力は、戦力としても研究材料としても魅力的なのだ。
「二度も魔討隊の人間を退けたのだから、それくらいは仕掛けるでしょうね」
魔討隊は頭数を揃え、万全の態勢で怜士に挑むことを琴音は予想した。これまでの失態を帳消しにできるほどの、圧倒的な戦力が投入されることは間違いない。
(相手も必死。自分達が疎ましく思っている名家の娘と正体不明の人間がつるんでるかもしれないって考えれば当然か。他人のフリを押し通そうにも、限界があるな。さて、どうするかな……)
琴音の読みが正しいと仮定すれば、次に魔討隊と事を構えた場合、その戦闘は激しいものになる。琴音を守りきる自信はあっても、周囲に影響を出さずに戦う自信が怜士には無い。現代世界は、現代日本は狭過ぎるのだ。少しくらい暴れても大きな被害に結びつかないほど広大な異世界とはまるで違う。右を見ればコンクリートでできた高層ビルが、左を見れば大人数が暮らす住宅街が立ち並ぶのだ。
(隊長っていうのがどれくらい強いか知らないけど、先輩の話しぶりだと上手にあしらうのは難しそうだな。それも大人数を相手にしてか……)
怜士は宙を見上げ、フ―と息を吐いた。
「志藤君?」
何かを考え込むような表情を見せた怜士に琴音は声を掛けた。日頃の怜士が見せないような真剣な表情ゆえに、「流石の怜士も隊長らとの戦いに恐れを感じ、不安を抱いている」と琴音は考えた。
「先輩」
「何かしら?」
「どうしたら周りに被害を出さずに、相手を無力化できると思いますか?」
「え?」
琴音にしては間の抜けた声だ。
「先輩の予想通りなら、戦いの規模が大きくなるのは間違いないと思います。そうなると、少し地面が抉れてボコボコになるとか、木が何本か燃えるとか、建物が少しだけ壊れるとかじゃ済まなくなって、誤魔化すのが難しくなるはずです。面倒な警察とかも……」
怜士は、確かに不安を抱いていた。ただ、その不安は琴音の思う不安とは随分と異なるものだった。
「し、志藤君? 確認だけど、貴方が不安に感じていることって……」
「ええ、いかに周囲の人間や建物、自然を傷付けないように戦うか。乱戦となるとどうしてもこれをクリアするのが厳しいなと思って。それが一番の不安です」
怜士は、魔討隊隊長や隊士らとの戦いそのものを恐れてなどいない。苦戦を強いられる可能性など、微塵も感じておらず、彼の目下の心配事は「いかに周りに被害を出さないか」という点だった。
「……え?」
想像の斜め上の怜士の言葉を、琴音を理解できなかった。
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