第78話 「その意気ですよ、先輩!!」と元勇者は鼓舞した
~前回までのあらすじ~
元勇者、説明する。
元勇者、絵が上手かった。
副隊長、機嫌が悪くなる。
「流石にここは時間が掛かるか」
琴音の修行の様子を見ていた怜士は、本人に聞こえない程度の声量で呟いた。尤も、修行に集中している琴音には、そもそも聞こえてすらいないようだ。
(ただ霊力を集めるだけじゃないからな。ムラのある霊力の密度を調整するにはめちゃくちゃ神経を使う。向こうの世界のみんなも、ここに苦労してたっけ)
異世界の魔法使いの面々も、魔力を圧縮することに苦しめられていたことを怜士は思い出した。並々ならぬ努力が必要な技術であることは、魔力錬成を考案した怜士も理解している。
「はあ、はあ、はあ……」
六月という蒸し暑い時期であるが、水分補給すら忘れ、修行に没頭している琴音に疲れの色が見え始めた。肩で息をし、額に汗も滲ませている。
掌に集めた霊力を圧縮することが琴音の課題だ。高いセンスと実力を兼ね備えた琴音であるが、彼女の力を以てしてもこの霊力の圧縮というのは難儀するらしい。
(流石に簡単には進まないわね。少しでも操作や調整を誤ればたちまちに集めた霊力が霧散する。何処かの部分に集中すれば、他の部分が崩れてしまう。とてもデリケートな作業……!! 志藤君。貴方、さらっととんでもないことを要求するのね)
琴音は、一旦集中を解くと、目の前にいた怜士をじろりと睨んだ。余りの鋭い琴音の視線に怜士は思わずたじろぎ、半歩後ろへ下がってしまった。
「少し休憩にしましょうか。全部で六時間くらい経ってますよ?」
琴音の消耗が大きくなったのは、怜士にもシルヴィアにも分かっていた。琴音の集中が切れたこのタイミングが休憩に相応しいタイミングであろう。怜士は用意していた水筒からコップに麦茶を注ぐと、琴音に差し出した。
「お茶です。飲んで下さい。ちゃんと休んで切り替えることも大事ですよ」
「その通りです、イズミ様」
「……ええ、そうするわ。ハッキリ言って、このまま続けても大きな変化は無さそうだもの」
琴音は、怜士の「切り替えは大事」という言葉を真摯に受け止めた。張り詰めた状態で何かを続けても、満足な成果が得られないことを理解できないほど、彼女は阿呆でない。琴音は怜士から受け取ったコップに入った麦茶を勢いよく飲み干した。
「少し、じっとして下さいね」
琴音がお茶を飲み、呼吸に落ち着きが戻ったことを確認したシルヴィアは回復魔法を使った。最強の聖女であるシルヴィアだけに許された、最上級の回復魔法。この効果によって、琴音は失ったはずの体力を取り戻していく。
「ありがとう、シルヴィアさん。二日も続けてお世話になってしまったわね」
「いいえ、お気になさらず」
シルヴィアは怜士に追いつきたい一心で、彼の隣に立ち続けたいという一心で魔力錬成の修行に励んだことがある。仲間内では最も速く習得できた彼女に才能があったのは勿論だが、それを差し引いても一筋縄ではいかなった。このことはシルヴィアの記憶に新しい。目標に辿り着くため、夢を叶えるために必死になることの大変さ、そのために必要な努力の大きさ、辛さなどを理解しているという自負がシルヴィアにはある。だからこそ、懸命に頑張る琴音を理解することができるし、応援したくなるのがシルヴィアの心根だ。
「……それにしても難しいわね。自分が出している霊力のはずなのに、こんなにも従ってくれないなんて」
「霊力をただ集めるだけの作業と、決まった範囲に霊力を圧縮していく作業の中身は全然違いますからね」
「理屈は理解した。これを自然にできるようになるまで、試行錯誤を繰り返すしか無いわね」
霊力を圧縮するイメージは既に掴んでいる琴音。そのイメージに、怜士が描いたイラストがどれほど関与しているかは定かではないが、それでも、自分が為すべきことについてのビジョンを琴音は持つことができている。そこに達するまでのモチベーションも充分にある。
彼女自身が言うように、何度も繰り返し練習をして課題点を少しずつでも解決していくことが最も求められているのだ。
「よし、そろそろ休憩は終わりにして再開しましょうか。次は俺がヒントを出してみます」
「ヒント?」
怜士の言うヒントというものが何か理解できない琴音だが、隣にいるシルヴィアはそれが何を示すのか気付いたようで、怜士をジッと見つめている。いや、睨んでいると言った方が正しい。そんなシルヴィアのことは気にも留めず、怜士は数時間前と同じように琴音の手を取った。
「どうするつもりかしら?」
流石に二度目であるからか、琴音は怜士に手を取られたくらいで驚くことはなかった。平然として、怜士の目的を問う。
「さっきは、既に錬成した俺の魔力を流しました。今度は俺がゆっくり、少しずつ、魔力錬成を一からやります。それを先輩の手の上に。で、錬成されていく魔力の流れを感じ取りましょう。先輩は自分の手に霊力を集中させてください。そうすることで、俺の魔力の流れを感じ取り易くなるはずです」
怜士の指示に従い、琴音は霊力を掌に集めた。琴音が霊力を集めたことを感じ取った怜士は静かに己の魔力を流した。手を握っている琴音の身体を壊すことのないように、丁寧に慎重に、だ。
「じゃあ、行きますよ。まずは俺の魔力を集めます……」
怜士の掛け声に無言で頷いて答える琴音。すると、数秒の後に彼女は自らの霊力とは違う力を感じ取った。
(改めて感じ取る志藤君の魔力。魔力って、こんなにも力強いものなのね。ずっと霊力の操作をしていたからか、普段よりも感覚が研ぎ澄まされているみたいね)
霊力も魔力も謂わば、指紋のようなものだ。全く同じ圧、波長を持つ人間など存在せず、必ず、個々人特有の特徴がある。己の霊力と向き合う時間を長く取っていたために、琴音は怜士が放出している霊力を、先程までより遥かに敏感に感じ取ることができている。
「ただ力を加えて纏めようとしても上手くいかないことが多いです。必要に応じて力の加減をすることと、力を掛けるべきところを見極めるのが大切です。ほら、おにぎりを握る時だって、力に強弱をつけるし、形を整えるのに色んな部分に力を入れますよね?」
(言いたいことは伝わっているけれど、何よ、その例え……)
「じゃあ、魔力を圧縮します」
琴音が心中で不満を呟いたことなど露知らず、怜士は淡々と魔力錬成を進めた。
「どうですかね、先輩?」
怜士は訊ねた。自身が一からやって見せた魔力錬成について、琴音が何を感じ、何を考えたのかを。
「不思議ね。さっきまでは不安定だった力の波が途端に落ち着いていくのが解る。まるで整列して行進する軍隊みたい。操作をすると言っても、決して無理矢理ではないのね。あくまでも自然に、力を加える場所とその強さをコントロールするのね。成程、何となく理解できたわ」
「気張り過ぎず、心を落ち着かせてやってみるのもいいと思います」
怜士が魔力を操作する過程を文字通り肌で感じ取った琴音は、先程までよりも魔力を圧縮するイメージをより鮮明に掴むことができた様子だ。それを見た怜士は、口元に小さく笑みを浮かべ、もう一度琴音に訊ねた。
「どうですかね、先輩?」
「勿論、やって見せる」
琴音の瞳の奥には決意の炎でも燃えているかのように、力強い輝きが見える。手応えを掴んだらしいこと、それを早く活かしたいという前向きな琴音の意志を確認した怜士は、圧縮していた魔力を散らせた。
「その意気ですよ、先輩!!」
笑みを漏らす怜士の激励を受け、琴音は一層やる気になった。まだまだ時間を必要とするかもしれないが、それでも、自分が到達すべき姿を見た。一歩ずつ目標に向かって進む琴音の姿は怜士とシルヴィアの目に眩しく映っていた……。
「たたた、大変です! レイジ様!!」
「ど、どうしたの? シルヴィア!?」
突然、血相を変え、慌てふためくシルヴィアを見た怜士も冷静ではいられないようだ。
「私も今、久し振りに魔力錬成を試みたのですが、全く上手くいかないのです!!」
「へ?」
予想すらしなったシルヴィアの答えに、怜士はその目をパチクリと動かすことしかできない。
「これは由々しき事態です! 魔力錬成が出来なければ、有事の際に何もすることができません!! これでは誰かを護ることも癒すことも叶いません!!」
見事なまでの棒読みで言ってのけるシルヴィアの表情を見て怜士は察した。
(そういうことですか、シルヴィアさん……)
怜士はそっとシルヴィアの手を取ると、彼女の手に魔力を優しく集め始めた。
「……じゃ、じゃあ、復習しようか」
「はい! ゆっくりお願いします!!」
怜士が琴音にかかりきりになった上、彼女の手を二度も握ったことで遂に嫉妬が爆発したシルヴィアは、自分にも同様の行為をねだっているのだ。
怜士が困っている人を放っては置けない性分であることを理解していたシルヴィア。琴音に修行を付けるのもその一環だと思い、協力的な心持ちだったシルヴィア。彼女の我慢もここまでだったらしい。今は思う存分、愛しの怜士の手の感触を堪能している。
「ああっ! レイジ様の魔力が私の身体にぃ!!」
「シルヴィア!? その表現はやめようよ!? 君はお姫様なんだからぁ!!」
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※2023/3/31 部分的に修正をしました。




