第77話 (帰ってきたら、ブン殴ろうかな?)と副隊長はイラついた
~前回までのあらすじ~
先輩、可能性に胸が躍る。
元勇者、先輩の才能に驚く。
元聖女、元勇者といちゃつく。
先輩、バカップルにイライラ。
琴音が霊力錬成を習得するための修行を開始して四時間が経過した。霊力を掌に集中させ、それを霧散させるという一連の工程に慣れてきたようで、幾らかスムーズに行えるようになっている。精神を研ぎ澄ませていたために眉間に寄っていた皺は消え、張らせていた肩肘も普段と変わらなくなっている。
(修行を始めてだいたい四時間くらいか。予想以上のペースでできてる。これは次に行ってもいいかな?)
琴音の呑み込みの良さを見た怜士は、修行を一段階上に引き上げることにした。
「良い調子です、先輩。霊力を集めることは問題なくできるようになりましたね。スピードや一度に集める霊力量は、これからの練習の中で変わると思います。今から次のステップに移りますね」
立ち上がり、琴音の傍へ寄る怜士はストレージリングからスケッチブックと油性ペンを取り出した。ストレージリングを日本に持ち込んだことに気付いてから、彼は日用品なども収納するようになっていた。
怜士は黙々とスケッチブックに何かを描き始めた。数分の後、怜士は描きあがったイラストを琴音に向けて見せた。
「さて、ここに描いた絵は、掌に集まった霊力のイメージです」
怜士がそこに描いていたのは、人間の右手と左手。そして、モヤのような物体だ。中央にあるモヤを、二つの手で支えるような構図で描かれている。
「最初に説明したように、ただ集めただけの魔力って、こんな感じでほわほわと形に決まりの無い、モヤみたいなモノなんです。今、先輩の手に集まっている霊力もこんなイメージだと思って下さい」
怜士は説明をしながらスケッチブックをめくり、次ページを繰り出す。そこには、複数の球体の集合図のようなものが描かれていた。これを見た琴音は既視感を覚えた。
「その図、何処かで見たことがあるわね」
「ええ、そうだと思います。これは中学の理科で習った、“物質の状態変化”の図です。丸パクリしました」
琴音は小さく頷いた。怜士がスケッチブックに描いたのは、物質の状態によって分子の集まり方が異なる様子を表した図だ。分子を模した球体が規則正しく並んでいる“固体”、規則性は見られず、球体間の間隔が広くなっている“液体”、液体のそれよりもさらに広い間隔で球体が並ぶ“気体”の三種類が描き分けられている。
「質量と体積から来る密度の関係。これが、魔力や霊力を錬成するための一番の肝です」
「同じ質量でも、体積が違えば密度は変わる。教科書なんかには、発泡スチロールのブロックと金属のブロックの対比なんかが載っていたわね。霊力もそれに倣えば、同じ霊力の消費でも大きな差が出るということね」
「その通りです。流石は先輩!」
怜士が大した説明を行っていないにもかかわらず、琴音はすぐに彼の言わんとすることを理解して見せた。琴音の思考力に怜士は感服した様子だ。
「この化学の法則をイメージの基にして錬成の修行を進めます。掌に集めた霊力を少しずつでいいんで、集束させて霊力の密度を大きくする練習をしましょう。欲張らずに、少しずつ、段階を踏んでいきましょう」
「分かったわ。早速やってみる」
琴音は掌に霊力を集めた。この数時間の練習で霊力の何処か一点に集めることにも慣れたようで、スムーズにできている。
(集めた霊力を、一定の範囲内に全て圧縮するように押し込む。少しずつ、慎重に……)
怜士の指示にあったように、琴音は慎重に己の霊力の操作に努めた。
琴音が修行に励んでいるその頃、彼女の尾行に失敗した羽島は、念のために周囲の探索をひとしきり行った。探索範囲を広げたものの、大した成果は得られなかったため、部下には引き続き探索を行わせ、自身は任務失敗の報告のために魔討隊本部へ戻っていた。
(いやあ、スマホの通話越しでもあれだけ怒ってたからなあ。副隊長、対面したらもっと怒るだろうなあ。嫌だなあ)
これから起こる惨事を想像して羽島は大きく溜息を吐いた。憂鬱な気持ちを振り払うことはできない。そんな状態で歩いているうちに、早見が居る、隊長室の前に着いてしまった。
「羽島です。入ります」
「入って」
隊長室の扉を軽くノックした羽島は、中にいる早見の声に従い、そのまま扉を開けて中に入った。
隊長室は、魔討隊各隊に一室ずつ与えられた、隊長と副隊長の執務室兼待機室だ。隊を纏める隊長と副隊長はこの部屋に常駐している。妖魔討伐における隊士の選抜、報告書の作成、隊独自の任務の管理など、その業務内容は多岐に渡る。
副隊長である早見は、中央左の壁側に設置された副隊長用のワークスペースに座している。羽島は緊張しつつ、彼女のデスクの前まで進んだ。
「羽島君、驚いたわ。監視任務が始まって早々に目標を見失うなんて」
「申し訳ありません。言い訳のしようもありません」
事前に琴音を見失ったことについて報告を受けている早見は氷のような冷たい目で羽島を見つめている。そんな凍てつく視線に捉えられた羽島は、蛇に睨まれた蛙の気持ちを酷く理解した。
「……失敗したものは仕方ないと思う。次に活かしなさい」
「は、はい」
羽島の予想に反し、早見はそれほど怒っていない様子だ。先のスマートフォンでの会話のことを考えると、厳しい追及や説教は免れないと覚悟していただけに、彼は拍子抜けだった。
「羽島君の言う通り、これで和泉琴音と仮面の男に何らかの接点があること、事前に打ち合わせをしていたことがそれとなく判ったのは収穫ね。それに、こちらの行動が予想されていたことも」
早見は机の上に置いてあったティーカップを口元へ運ぶと、紅茶を口に含んだ。
「まあ、仮面の男が迅雷の隊士との戦闘後に姿も気配も何かも消して消え去ったという報告があった以上、こうなる可能性も視野に入れていたわ」
ティーカップを机の上に戻した早見は肩を落とした。彼女は今後、和泉琴音を張って得られる情報が限られてくることを予見したのだ。大人数の隊士を動員してとしても、姿形なく、気配もなく消えてしまってはどうしようもない。
(ボロを出してくれそうなのは、学校くらいかしら?)
学校という、一種の閉鎖された空間であれば、琴音の監視も容易いだろう。また、尻尾も掴み易いと考えられる。記憶を呼び起こせば、早見自身も学生時代について、学校で過ごす間だけは退魔師や妖魔のことは一切持ち込んでいなかった。
「……この先も、今回と同じように碌に監視ができないと思う。でも一応、人員は増やすわ。あの子の通う学校もモチロンね。少しでもいいから、仮面の男の情報を拾うことだけ考えましょうか」
「分かりました。自分も今からすぐに持ち場に戻ります」
そう言って羽島は回れ右をして隊長室を出ようとするが、早見に呼び止められた。
「待って、羽島君。多分、今日は和泉琴音が家に帰るまで、大きな動きは無いと思う。戻ったところで無駄骨かもしれない」
「へ? じゃあ、自分は……」
何となく嫌な予感がした羽島は半歩だけ後ろに下がった。
「明日以降の和泉琴音の監視についてのローテーションの再編成。やってもらうわね」
「えっ!? 自分がですか!?」
和泉琴音の行動が掴み辛いことが判明した以上、少しでも監視の網を広げる必要がある。監視に係わる人員の拡大補充は必然だ。昨日の内に組んだ隊士のローテーションを見直す必要が出たということは、誰かがそれを組み直す必要が出たということだ。その誰かが羽島だったのだ。
(ええ、デスクワーク苦手なんだよなあ。パソコン、嫌い。ってか、副隊長があまり怒らなかったのは、俺にこれをやらせるためだったからか!?)
烈風の隊士は現場に赴くことが多く、書類作業を含めた雑務を行う機会は極端に少ない。そのため、羽島のようにデスクワークを敬遠したがる隊士は数多く存在する。故に、監視任務のローテーションの割り振り作業は、琴音を見失って任務を失敗した羽島への罰の一種なのだ。
「大丈夫。とりあえずは、当面の一週間分だから」
目は笑っておらず、口元だけが笑っている早見が机の上にドサリと書類を置いた。所属隊士の任務管理表だ。これらすべてに目を通し、琴音の監視任務を割り振るのだ。一〇〇人以上の隊士がいるため、簡単に済ませることのできる作業ではない。
「……分かりました。やります」
乾いた声で返事をした羽島は管理表を手に取ると、空いている座席へ掛けた。そこは本来、隊長が座るはずの席である。
(隊長席には何度も座ってるんだけどねえ。それが雑務の代行のためとは……)
隊長の席にいるはずの隊長がいないことに羽島が心中で不満を漏らしていると、それに気が付いたのか、早見が気遣うように声を掛けた。
「ごめんね、羽島君。本当はエイミーにやらせるべきだけど……。あの子には後で厳しく言っておくから」
「はい。期待しないでおきますね、副隊長」
少々皮肉を利かせた羽島の返事に、早見は申し訳なさそうにして俯いた。
烈風の隊長室に隊長が居ることは極めて珍しい。現隊長はじっとしていられない性分であり、束縛を嫌い、事務仕事で押さえつけられることも極端に嫌う。仕事の多くを副隊長に任せ、本人が不在であることはいつものことだ。その分、現隊長は積極的に全国各地で妖魔の討伐に励んでいる。
(エイミーったら、またスマホの電源を切ってる)
スマートフォンを手に取り、エイミーなる人物、即ち烈風の隊長に連絡を取ろうとした早見だが、それは叶わなかった。
魔討隊“烈風”の隊長の名は、早見・アメリア・エイミー。副隊長である早見・アリシア・ケイトの実の妹だ。魔討隊の一部隊である烈風は、血を分けた実の姉妹によって率いられている、非常に珍しい部隊だ。奔放で常に外を駆けずり回って妖魔討伐に勤しむ、戦闘担当の妹。冷静沈着で内から隊を支える屋台骨である、しっかり者の姉。部隊内外に関わらず、魔討隊の人間たちは口を揃えて言う。「烈風は副隊長のものだ」と。
(エイミー。帰ってきたら、ブン殴ろうかな?)
瞬間的に霊力に怒気を織り交ぜて放ったケイトを見た羽島は、いつもの倍の速度で仕事に取り組んだ。
いつもご覧いただきありがとうございます!
新しくブックマークや評価をくださった皆さん、ありがとうございます。とても励みになります。
※2023/3/24 三分の一程度の内容を修正(変更)しました。
※2023/12/18 一部修正をしました。




