第49話 「いえ、そんな……ありがとうございます」と元勇者は赤面した
~前回までのあらすじ~
元勇者、事故現場に遭遇。
元勇者、怪我人の救護。
元勇者、幼馴染とイチャついたばかりに大失態。
数学の授業時に大失態を犯した怜士は、それからの時間を針のむしろ状態で過ごすこととなり、大きく精神を消耗していた。そして漸く、数学の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
(おらあっ!!)
号令終了直後、怜士は教室後方の出入り口までの最短ルートを最速で駆け抜け、教室を出た。正しくは、脱走したと言った方がいいかもしれない。「待てコラ、志藤!!」という声が怜士の耳に入ったが、今の怜士はそれについて構う余裕など無い。教室に居れば、数学の課題のペナルティの件について糾弾されることは想像に容易いのだ。数々の魔物を屠って来た元勇者の怜士だが、クラスメイト達の方に大きな脅威を感じるらしい。
「お~い、志藤。ちょっと話いいか~?」
一時的な退避場所として男子トイレを選択し、そこへ向かう怜士を呼び止める声がした。
「はい?」
立ち止まり、声のした方へ振り向く怜士。そこにはクラス担任である島田教諭がいた。怜士には、島田教諭から呼び止められるような理由に見当がつかないため、少しだけ首を傾げ、まじまじと教師の顔を見た。
(まさか島田先生からもお説教? 数学の授業でやらかしたことがもう耳に入ったのか!? チャイムが鳴ってからまだ一分も経ってないんだぞ!? 教員連絡網、恐るべしっ!?)
今の怜士に思い当たる節など、この一件くらいしかない。彼の胸中は不安で埋め尽くされ、冷や汗すら垂れ始めている。
「志藤~、悪いんだけどな~。今から職員室に来てくれないか? 今さっき、朝の事件の被害者の女性から学校に連絡があってな~。もう一度会って、直接、お前にお礼が言いたいそうだ。志藤の家の住所や連絡先を訊ねられたんだがな~。流石に個人情報ってことで教えられんからな。んで、今日、わざわざ学校までおいで下さるそうだ~」
「……へ?」
どんな説教が飛び出すものかと心配していた怜士だが、そんなものは杞憂だったらしい。
「大したもんだよな。事故に遭ってから病院に行って、警察にも事情を聴かれて。普通ならそれで疲れて何もやる気なんか起きないけどな~。ちゃ~んと、アポ取ってお礼を言いにくるなんてな~」
島田教諭は、女性の行動に大層感心しながら、ポリポリと頭を掻いた。脱帽とは、このことを言うのだろう。
「ただな~」
「ただ?」
「先方さん、仕事にも行ったみたいで、こっちに来れるのは十七時前くらいだって言うんだ~。いやあ、パワフルだよな~。で、悪いけど志藤。それまで待ってろ」
「……そういうことですか。分かりました。じゃあ、来るまで待ちますよ」
一時間以上待つ必要があることに肩を落としかけた怜士だが、女性の厚意を思うと、そのような自分本位な落胆はすぐに振り払った。折角、女性が自分に礼をしたいと言い、わざわざ学校に連絡を寄越したのだ。快く対応すべきだと怜士は考えた。
「ああ~、良かった。まあ、そもそもお前は帰宅部だから、用事とか無くて暇だろ?」
「先生、帰宅部だから用事が無いとか、暇だとか、それは偏見です! まあ、実際はその通りですけど!」
偏見に満ち満ちた言葉に怜士は思わず食いついた。
「それじゃあな~、先方が来られる時間が少しアバウトだから、六時限目の授業が終わって、帰りのホームルームも終わったら一緒に応接室へ行くぞ~。で、そこで待機しててくれ。良かったな、普通は生徒があんまり入れるところじゃないぞ~」
女性が来校する時間がアバウトなため、相手を待たせることなく迎えることができるように、予め怜士を来客用の応接室で待たせるらしい。応接室は学生生活を送る上で、一般生徒には縁のない場所だ。貴重な機会に、怜士の胸は少しだけ躍っている。
「あっ! みんな! 志藤がいたぞぉ!!」
「マジだ! とっ捕まえろ!!」
突然、廊下の先から叫ぶような声が怜士に聞こえた。要らぬ数学の課題を増やしてくれた怜士をぶちのめすため、彼を追っていたクラスメイト達だ。
「あっ、やばい」
怜士は動転しかけたが、すぐに冷静な思考を取り戻し、逃亡を図ることにした。島田教諭は、何のことだか分かっていないらしく、口をポカンと開けている。
「……先生、放課後の件は、分かりました。俺は行きます。ではっ!!」
怜士は島田教諭にそう言い残すと、全速力でその場を離れた。すると、その数秒後には同じく彼のクラスメイト達が島田教諭の前を風のように駆け抜けた。
「お~い、廊下は走るなよ~」
何とも間の抜けた島田教諭の注意の声が廊下に反響した。
怜士がクラスメイト達にしばきあげられて数時間後、漸くこの日の授業が全て終わった。怜士を含め、帰宅部の人間は、手早く帰宅のための準備を進めている。一刻も早く帰宅し、数学の膨大な課題を消化する必要があったのだ。
帰りのホームルームとして、島田教諭から必要最低限の連絡事項などの説明が淡々と進められ、学級長の号令を持って晴れて解散となった。
「志藤。じゃあ、行くぞ~」
「はい」
そうして、島田教諭に連れられた怜士は「待ち時間に数学の宿題でもやるか」と、考えながら応接室へ向かった。
「急に押しかけてしまってごめんなさいね。加藤明美といいます。志藤君、改めてお礼を言わせてください。今朝はありがとう。私が猛スピードの車に驚いて転んですぐに駆け寄ってくれて、本当に嬉しかったです。本当にありがとう」
時計の針が十七時を指そうとした頃、事故に遭った女性が来校した。予定通り、応接室にて怜士と女性は対面し、担任の教師と校長、教頭が同席している。
「そんな! 大したことをしたつもりはありません。あれは、当然のことですよ」
女性から感謝の言葉を述べられて、怜士は背中がむずがゆくなるような感覚を覚えた。怜士自身としては、大したことをしたような認識はない。しかし、改まって正面から真っ直ぐな感謝の気持ちを伝えられると照れ臭いようだ。
「そんな当然と言えることを当然のようにできるって、本当に凄いことなんですよ?」
「いえ、そんな……ありがとうございます」
それからは校長たちが主となって話が進んだ。事故に遭った女性は大変律儀な人間らしく、自分に駆け寄り、介抱をした怜士にどうにか礼を述べたかったらしい。怜士個人の連絡先こそ分からなかったが、彼の制服や校章を憶えており、インターネットの力を使って検索し、通学先を特定したらしい。現場に居合わせ、通報し、救急車を呼び、彼女の介抱に一役買った男性については、咄嗟に彼の名刺を受け取ったらしく、既に面会する約束を取り付けたそうだ。
「わざわざ押しかけてしまってごめんなさい。校長先生方、お忙しい中、ご迷惑をお掛けしました」
「とんでもございません。こちらこそ、わざわざおいで下さってありがとうございました。私どもの、志藤をはじめとする生徒への教育や指導が、今回の事故に遭われた加藤様への迅速な対応へと繋がり、大変嬉しく思います」
(……別に校長や教頭にそんな指導してもらったことはないけどね)
校長や教頭がまるで自分の手柄であるかのように言う様を見て怜士は心の中で呟いた。自校の生徒が事故被害者の救助活動に協力したという事実は、学校のイメージアップに繋がることは間違いない。校長たちがへつらう姿を見て、怜士は呆れ顔だ。
「志藤君、改めて本当にありがとうございました」
「あっ! 僕の方こそ、わざわざありがとうございました。怪我も大事が無かったそうで、本当に良かったです、加藤さん」
心から丁寧に礼を述べられ、心が温まるような感覚。それは、つい最近まで異世界で勇者として活躍をしていた時に、多くの人々から寄せられた感謝の念と全く同じであり、怜士は世界が変わっても、その真っ直ぐな想いに何ら変わりが無いことを知った。
加藤氏が帰り際に、「そう言えば、転んだ時は骨が折れたかと思うくらい痛かったのに、少しずつ痛みが和らいで。病院で検査したら軽い打撲で完治まで十日もかからないって言われたの。何度思い返しても、本当に不思議ね」と小声で漏らしていた。それを聞いた怜士は「不思議ですね、本当に」と、小さく笑って見せた。
新にブックマーク、評価をしてくださった方々、ありがとうございます。
最近、眠気に勝てるようになってきました。ブックマークや評価がさらに入ると、もっと眠気に勝てるかもしれません。




