第45話 「ああ、終わった……」と元勇者は絶望した
~前回までのあらすじ~
元勇者、幼馴染に異世界召喚の事実を説明するも厨二病扱いされる。
リア充の元勇者、二人の恋人をひざまくら。
「ああ、終わった……」
志藤怜士はこの時、絶望の淵にいた。
異世界に召喚され、規格外という言葉では収まりきらないほどの強力無比な力を与えられ、魔王を倒し、世界を救うほどの大活躍を見せた勇者。それが志藤怜士だ。現代日本に帰還してからも、その力は欠片も失われておらず、少し本気を出せば近代科学兵器で武装した軍隊の一つや二つは軽く潰すこともできる元勇者。そんな彼であってもこの状況を打開することは到底叶わないらしい。
(くっ! しまった、油断した!! こんなことは初めてだ。一体俺はどうしたらいい!?)
冷や汗を流し、ギギギと歯を軋ませる怜士。その表情には一切の余裕は無い。見ると、彼の目の前には二十歳そこそこくらいの若い女性が佇んでいる。この女性は大学生のようだ。ただの女子大生を相手に、怜士は異常なまでの緊張感を憶えている。
「えと、あの……」
「は、はいぃ!!」
ただ単に女性から呼び掛けられただけ。しかし、怜士は裏返った声で、情けない返事をした。とても異世界を救った勇者とは思えない反応だ。
怜士の心拍数はなおも上がり、呼吸も荒くなり、相変わらず冷や汗も止まらないままだ。
「早くしてもらえますか?」
「あ、あ、あ、はい」
女性からそう急かされると、いよいよ怜士も覚悟を決めなければならない。異世界での冒険で体験、遭遇した危険の数々が怜士の頭を一瞬で駆け巡るが、そのどれもが比較にならない。今、彼の眼前にある危険は最大級のものだ。
怜士は己の浅はかさを大いに呪った。彼の心に押し寄せるのは「どうしてあの時……」という、後悔の念だけだ。如何ともし難い無力感に苛まれた怜士は強く、強く、強く、心の中で叫んだ。
(だあああっ!! 財布忘れたあぁ!! どうして今朝、家を出る前によく鞄の中を確認しなかったんだ俺!! どうすんの? 謝る? 謝ればいいかな、そうだよね。でも、恥ずかしいぃ……!!)
学校帰りに一人で立ち寄ったコンビニエンスストア。いつものようにペットボトル飲料とスナック菓子を手に取り、会計のためレジへと向かった怜士はそこで初めて『財布を忘れていた』という事実に、己の失態に気付いたのだった。
片方の眉を上げ、やや困った顔をしている女子大生のアルバイト店員の苦笑いが心臓を抉り取るようなプレッシャーとして感じられる。今の怜士にとって彼女が発する、いたたまれないものを見る視線はどんな魔族の精神攻撃よりも脅威なのだ。やや不審がられるかもしれないが、正直に財布を忘れたことを伝えれば、この場は切り抜けられることだろう。しかし、それはそれで恥ずかしいらしく、怜士は言い出すことができずにいる。
『すみません、財布を忘れていたので、やっぱり会計はいいです。ごめんなさい』
たったそれだけのことを声に出して店員に伝える勇気がこの元勇者には無かったのだ。
「だああ~、自業自得だけど、えらい目に遭った」
思わず、道端で堂々と声に出して言うくらいに怜士の精神は消耗していた。周りにいる人間にどう思われるかなど、気に留めはしない。
結果から言うと、怜士は無事にコンビニで買い物をすることができた。恥を忍んで謝ることだって回避することができたのである。また、シルヴィアや真奈美に連絡を取って財布を持って来てもらったのではなく、その場で解決することができたのだ。
「あ~良かった。鞄の内ポケットにお金を入れておいて」
怜士は、“何かがあった時のため”という名目で通学鞄の内ポケットの中に非常用現金として五千円を忍ばせていたのだ。彼も一介の男子高校生だ。放課後に友人と遊びに出掛ける予定が当日中に決まることもよくある。そんな時、持ち合わせが無いと困るので、用意しておいたものだ。どうやら、二年間も異世界に居たおかげで、自らが用意を決めていた非常用現金の存在を忘れていたらしい。異世界召喚の弊害がこのような所で出たことに、怜士は内心で驚いた。
(あのコンビニ。一か月くらいは使うのヤメとこうか……)
大慌てで鞄を漁り、しどろもどろしながら汗ばんだ手で震えながら現金を渡す醜態を晒したのだ。怜士は暫くあのコンビニには行き辛い。店員の引き攣った笑顔での「あ、ありがとうございました」は怜士の心に大きな傷をつけた。
「さーてと」
一度、気持ちを切り替えた怜士は、自分の左手を見た。正確には、左手に握られたあるモノだ。
(まさか、こんなモノを持って来てたなんてな。帰ったら使えるかどうか、シルヴィアと一緒に試すかね)
「お帰りなさいませ、レイジ様!!」
「ただいま、シルヴィア」
花が咲いたような笑顔で怜士に抱き着いたのは勿論、シルヴィアだ。気持ちが通じ合って以降、怜士が帰宅すると決まって飛びつくようにして彼に抱き着く。これは志藤家では最早当たり前の光景になっている。
「シルヴィア。少し、話があるんだ。いいかな?」
「話、ですか?」
怜士は靴も脱がず、肩に掛けた鞄を下ろすことなく、そのまま玄関の土間でシルヴィアに言った。怜士の真剣の表情を見て、察するものがあったのだろう。シルヴィアはすぐに怜士を抱きしめる腕の力を緩めた。
(話……とは一体何でしょうか? レイジ様のあの真剣な眼差し。これはきっと只事では無さそうですね。…………そんな、まさかっ!?)
怜士の様子から思考を巡らせたシルヴィアは、とある結論を導き出した。これを一瞬でやってのけるとは、流石は聡明なシルヴィアである。異なる世界で暮らし、戦いや政治などから離れても、聖女や王女としての能力は何ら衰えてはいない。
(――結婚の話ですね! そうですよね、それ以外にあり得ません。恐らくきっと、私を正妻、側室に梨生奈様を迎え入れるというお話でしょう。梨生奈様には気の毒ですが、やはり一番はこの私ということです! 二年前のあの日から決まっていた絶対運命なのです! ああ、そう言えばこの国の結婚式は向こうと違って様々な趣向を凝らすと真奈美様から伺いました! 何でも“しろむく”という日本伝統の衣装もあるとか。煌びやかなドレスも良いですが、レイジ様の国のしきたりに合わせることも必要でしょう。ああ、これはとても困りました! どうしましょう!?)
――衰えていた。
殺伐とした世界から、平和過ぎるとも言える世界で生活をするようになったシルヴィアのその思考は逞しさすら感じられるほど、夢に溢れてしまっている。そして、シルヴィアが幸福な妄想に耽っていると、怜士がその口を開いた。
「これを見て欲しいんだけどさ」
「私、やっぱりドレスが着たいで――」
そう言いながら怜士が付き出した左手には赤い宝石が一つだけ埋め込まれた金色の腕輪があった。
「――“ストレージリング”ですね」
怜士の「話がある」という言葉を勘違いし、飛躍し過ぎた妄想を垂れ流したことに気付いたシルヴィアはすぐに冷静さと王族に生まれた者としての気品溢れる表情を取り戻し、彼が差し出した腕輪について正しく分析をして見せた。
「うん、そうなんだ。どうにも鞄の中に入れて持ち込んじゃったみたいで、さっき気付いたんだ。それより、ドレスがどうしたって?」
「なな、何でもありません! さあ、玄関先では進む話も進みません。は、早くリビングへ行きましょう!」
顔を真っ赤にしながら身体を翻してそそくさとリビングへ向かうシルヴィアの後姿を怜士はただ不思議そうに見つめていた。
「え、今の何だったの?」
怜士の呟きは、羞恥で染まるシルヴィアの耳には届いていなかった。
近いうちに、登場人物紹介ページを挿入します。
アドバイスをくださった読者の方々、ありがとうございました。
設定のメモ書きのファイルが行方不明ですが、何とかします(汗)
ブックマークや評価をしてくださった方々、ありがとうございました。
※2022/1/13 部分的に修正をしました。




