第36話 「もっと素直になってよ」と幼馴染は胸を痛めた
~前回までのあらすじ~
元勇者、集中力に欠ける。
幼馴染、元勇者の変化に気付き始める。
元勇者、自分の気持ちを気付かされる。
トイレから戻った怜士だが、やはり集中ができない。それを見かねた梨生奈の提案で、気分転換に昼食を摂ることになった。時刻は正午を少し過ぎた辺りだったため、丁度良いタイミングでもあった。また、梨生奈の両親は出掛けたままなので、二人きりでの食事だ。
「おおおっ、ハンバーグ!!」
「……相変わらず子どもっぽい」
「いいじゃん! 好きなんだからさ」
あらかじめ昼食は用意されており、これには怜士も感謝の念でいっぱいだった。特に、メニューが怜士の好物のハンバーグであることも大きい。
(う~ん、やっぱり気になるな)
怜士の好物の一つがハンバーグであることは確かだ。しかし、反応がやや不自然で、梨生奈は怜士がどうにも無理をしているように見えてならない。
「いただきます」
「はい、いただきます」
折角の昼食だ。それにこの場では昨日とは異なり、“怜士と二人きり”という枕詞も付く。梨生奈自身も気持ちを切り替え、そのまま対面するように食卓に座った二人は手を合わせて食事を始めた。
梨生奈は、今日の怜士の様子がおかしいことが気になっているが、この時に限って、もう一つだけ気になることがあった。そのためか、彼女も少し落ち着かないように感じられる。
「ね、ねえ、怜士!」
「ん? 何?」
「あ、あのさ……」
子どものように無邪気にハンバーグを頬張る怜士に梨生奈が問い掛けた。自分から話し掛けたものの、どうしても目が泳ぎ、まともに怜士の顔を見ることができない。
「うんと、その、ハンバーグはどう? 美味しい?」
「うん、凄く美味しいよ! 焼き加減が絶妙で、肉汁も溢れて食べ応えがあるよ。このデミグラスソースも美味しい」
「そ、そう! なら良かった!」
そうして強張っていた表情を緩ませ、再び自分の箸を進める梨生奈の姿からは、大きな安堵感が溢れていた。それを見た怜士は、流石に気付いたようだ。
「……これさ、おばさんが作っておいてくれたと思ったんだけど、もしかして、梨生奈が作ったの?」
幼い頃からお互いの家を行き来する関係だ。当然、お互いの家で食事を摂ることは何度もあった。そのため、この日も梨生奈の母親があらかじめ用意してくれたものだと怜士は考えていた。
「そ、そうよ! 時間があったし、お母さんが忙しそうだったから私が作ったのよ!! 悪い? 何か文句ある? 言いたいことがあるんだったら、はっきり言いなさい!! 次は法廷で会いましょっ!!」
「悪くないし、文句も無い! どうして裁判沙汰になるんだ!?」
恥ずかしさのあまり、赤面する梨生奈の怒涛の言葉責めにたじろぐ怜士だったが、それでも彼が思うことは変わらない。
「裁判はご免だけどさ、本当に美味しいよ。梨生奈が作ってくれたハンバーグ。本当にありがとう」
「別に、大したことじゃないよ。まあ一応、お礼は受け取ってあげる」
「何故に上から目線? まあ、美味しいのは本当だからさ。今度また作って欲しいな」
(また作る? それって、それって……!!)
怜士が笑顔で述べたために、梨生奈の顔はさらに赤く染まった。
(私の作るご飯が美味しくって、また食べたいってことは、毎日でも私の作ったご飯が食べたいってことよね! だから、それはつまり、わ、私と結婚してずっと一緒に居たいってことぉ!?)
梨生奈はその脳内で怜士の言葉を曲解し、とんでもない方程式を成立させていた。
一方で怜士は照れている梨生奈の様子を見て、心温まるものを感じたが、それはすぐに吹き飛んだ。
「うううぅぅぅみゃあ~!!」
「どうした、梨生奈!? 」
突如として奇声を発した梨生奈は次の瞬間、食卓に並べられた白飯やハンバーグ、汁物を一気に口にかき込んだ。妄想が限界を突破したために錯乱しているようで、その迫力に怜士は圧倒されてしまう。彼女の照れ隠しも、ただの奇行にしか見えない。
「おおお、落ち着いて! かき込み過ぎてハムスターみたいになってるから!!」
「モガガガボガァ!?」
怜士は梨生奈のそばに駆け寄ると、箸を取り上げ、ゆっくりと咀嚼を促して背中を擦った。頬張ったものを無事に胃の中に流し込んだ梨生奈も、落ち着きを取り戻したようだ。最後に怜士は温かいお茶を飲ませた。
「先程はお見苦しいものをお見せしました……」
「いや、ほら、俺は大丈夫だよ。梨生奈が窒息しなくて良かったよ……」
クールダウンした梨生奈は、己の痴態を恥じ、迷惑を掛けた怜士に謝った。怜士は何事も無く済んで良かったと考えているが、梨生奈はそうでないらしい。
(ずずず、ずるいよ、怜士! あんなこと言うなんて!! 思わず、夢色の新婚生活を想像しちゃったじゃない!! それより、あんなおかしなトコを見られたぁ! 品の無い女って思われないかな……?)
梨生奈の心配は杞憂だった。怜士は彼女を品が無いと思ったことは無い。代わりに「言葉と同時に手が出る幼馴染」とは思っているが、それを彼女は知らない。
食事を終え、小休止を挟んだところで二人は勉強を再開した。気分転換になるかと思われた食事も結果としては一時的なもので、怜士は相変わらず上の空だ。
「ねえ、怜士。やっぱりさ、今日の怜士、少し変だよ? いつもの十割増しでボーっとしてる」
「……ボーっとすることって割り増しできるの?」
「ほら、ツッコミのテンポが遅れた」
「俺の役目って一体……」
梨生奈に怜士は敵わないようである。怜士の心にある悩みなど、すぐに見抜ける。
「……まあ、俺だって思い悩むことくらいあるよ。ティーンエイジャーって奴だぞ?」
「その言い方、古いよ?」
怜士はいつもの調子で軽くおどけて見せるが、梨生奈の違和感は拭えない。そこで梨生奈は一気に距離を詰めることにした。
「……もしかして、私が関係してる?」
「ん!?」
「あのシルヴィアさんも?」
「…………」
「沈黙は肯定の証だって知ってる? やっぱりか……はあ」
勘を頼りにしたカマかけだったが、的中したらしい。幼馴染の少年が分かり易くて単純なことは最初から理解しているが、少しくらいは駆け引きがあってもいいのではないかと梨生奈は思った。
「また相談、できないこと?」
「うん、今はまだ難しい。俺の中で固まってないんだ」
「だからこそ話して欲しいんだけどな。この前の件といい、流石に心配だよ?」
「ごめん」
怜士は視線を下げ、ペンの動きも止まっている。長い付き合いの梨生奈も、流石にここまで悩む彼を見るのは初めてだ。梨生奈は先日も怜士の言動などから感じた違和感を追求したが、それも一度、彼を思って保留にしている。
(自分でも分かる。今の俺が、明らかに様子が変だってこと。梨生奈にまた余計な心配かけたか。何をウダウダやってるんだか、嫌になる……)
怜士が自己嫌悪に陥っていると、梨生奈が口火を切った。ここまで来て、彼女も易々と引き下がることはできないらしい。
「……昔さ、私がクラスの女の子にちょっかいを出されて、騒動が収まった時、怜士は私に何て言ったか覚えてる?」
「うん、覚えてる」
怜士は目を伏せたまま無気力に梨生奈に答えた。
「あの時、言ったよね? 『西條さんの悲しむ顔なんか見たくない。そのためなら、何でもする』、『大切な人を助けたい、守りたいって思う気持ちは紛れもなく本物だ』って!!」
「うん」
「それは、それは、私にとっても同じことなんだからね!!」
目に涙を浮かべながら言い切った幼馴染の姿を見て怜士は酷く後悔した。彼女に心配を掛けまいとして振舞って見せていたがそれは逆効果で、梨生奈の心に大きな負担を掛けていたのだ。
「梨生、奈……」
怜士は悲しみと怒りに満ちたような梨生奈の表情を未だかつて見たことがない。大切な幼馴染にここまで言わせたこと、思わせたこと。怜士はそれに早く気付くべきだった。
「こんなの、こんなの悲しいよ。今までずっと、ずっと一緒だったのに」
声を詰まらせる梨生奈を見て怜士は何も言うことができず、唇を噛みながら彼女を見つめることしかできなかった。
「……勉強、続けるのは難しそうだな」
「そう、だね……」
「今日はもう、この辺で帰るよ」
「うん」
到底、二人きりでの勉強を再開する雰囲気ではなく、二人の心にそんな余裕は無い。それは懸命な判断だった。
「ありがとう、勉強を教えてくれてホントに助かったし、ご飯も美味しかった」
「うん」
「おばさんたちによろしく伝えて欲しいな」
「分かった」
梨生奈は一応の形式として、怜士を玄関で見送っている。二人はお互いの距離感を計り損ねているように感じられる。もしも、二人をよく知る人物がこの光景を見れば、果たして何と言うだろうか。
「じゃあ、また明日学校で。…………ごめん」
背を向けながら怜士はたった一言、梨生奈に謝った。これで彼女に許されるとは思えない。しかし、それでもこう言わなければいけない気がしたのだ。
「…………謝るくらいならもっと素直になってよ、馬鹿怜士」
遠くなっていく怜士の背中を見つめる梨生奈は、溢れ出そうな涙を留めることで精一杯だった。
※ 2021/8/22 部分的に修正をしました。




