第29話 「無関係ではいられないでしょう?」と先輩は悪戯に笑った
~前回までのあらすじ~
元勇者、圧倒的な力で退魔師を助ける。
退魔師、開いた口が塞がらない。
元勇者、退魔師の武器を壊し、顔面蒼白。
砕けた刀の件は後回しにし、廃ビルから近隣の公園に場所を移した琴音と怜士。そこで口火を切ったのは琴音だった。
「単刀直入に言うわ。貴方は一体、何者なの?」
「ええっと、そう言われましても、何と言えばいいのか……」
「退魔師……ではないのかしら?」
「たいむましん?」
「……その様子だと、違うようね」
琴音は自分が知らないだけで、名のある退魔師の一人ではないかという予想をしたが、怜士の阿呆のような反応を見るに、その予想はすぐに取り下げた。
「あの犬といい、退魔師って何ですか?」
知らないのならば放っておけばよいとも思う琴音だが、助けてもらった手前、説明しないのは不義理というものだろう。琴音は退魔師と妖魔の存在と能力について、最低限の情報だけを明らかにした。
「へえ、そんな伝奇小説みたいなもの、実際にあったんですね。じゃあ、テレビでやるような心霊現象とかもあながち嘘じゃないのかも……」
「え、ええ。まあ、全てが妖魔に関係する訳ではないけど、大体はそんなところよ」
あまり驚きを見せない怜士の反応に、琴音は拍子抜けしたようだ。二年も濃厚なファンタジー体験をしてきた怜士の感覚からすれば、別段、驚くことではないのだ。琴音はそれ知らないのだから仕方ない。
一方で怜士は、攻撃魔法こそ使用していないとはいえ、力の一端を見せてしまったことは事実だ。どうやっても取り繕えないことに焦りを感じている。
(何、退魔師って。ここ日本だろ? 急にファンタジーの世界が始まったのか? でも、あの犬。確かに魔力を出していたし、あの感じは魔物だよなぁ。和泉先輩からも魔力みたいなものを感じる……。これ、昨日、梨生奈と買い物に行った時に感じた力に似てるぞ。もしかして……)
異世界のファンタジーから解放されたと思いきや、まさか故郷でも同様の力を持つ者や魔物の類と遭遇するとは全くの予想外だ。怜士が混乱するのも無理はない。
「貴方、訳ありというやつかしら?」
「……ええ、そんなところです」
「貴方が言っていた『魔力』や『魔物』という言葉。これも気になるところだけど、これ以上の追求はしないわ。話したくない、話せないというようにも感じるの。でも、一つだけ教えて欲しいの。貴方のその力は、何処で身につけたものなの?」
目を細め、腕を組み、考え込んでいる怜士を見て、琴音は追及を諦めた。「彼にも話したくない理由の一つもあるだろう」と考えたのだ。今、琴音自身が置かれている状況もあるからこそ、引き際を見つけられたようなものだ。しかし、一つだけ。志藤怜士という後輩の異常なまでの力については訊かざるを得なかった。
宙を見上げ、少しだけ迷うような素振りを見せた怜士は、フウと一息ついた。
「二年位前ですかね。ちょっと特別な出来事があって、ある場所で偶然に手に入れたというか、授かっただけです」
「特別な出来事? 一応確認するけど、それは話してもらえることかしら」
「う~ん、そんなことはありませんけど、あまりにも突飛で非常識と言うか、非現実的というか、なかなか信じてもらえないような話なので、今は勘弁してもらえますか?」
「……そう、分かったわ。無理に訊き出すようなことはしない」
他者の追随を許さない、圧倒的にして最高の力。それを目の前で見せられた琴音としては、怜士の力の出所くらいは訊き出したかったが、それは難しそうだった。事を荒立て、強引な手段に出ようにも、彼にはそれが通じない。琴音はそれを理解しているからこそ、無用な追及は避ける。
(あれだけ強大な力を二年も前から持っていたのに、一切の情報が無い。力を隠していた、或いは何者かによって秘匿されていた? でも、何のために? ……これ以上は本当に教えてもらうことは難しそうね。だけど、同じ学校の生徒だったということは幸運ね。そのうちチャンスがあるでしょう。それに、“今は”とも言っていたし……)
考えるほどに疑問が増すばかりだが、今の状態ではこれ以上の収穫は見込めない。琴音は一旦退くことを考えた。
「本当は話し足りないくらいなのだけど、今日は一度解散にしましょう。学校が同じなのだから、また会って話せるわ」
「そうですね。その、何かすみません」
「謝らなくてもいいわ。誰だって話したくないことくらいあるわ」
琴音は「そう、私だって……」と小さく呟いたが、当然、怜士の耳には届いていない。
「あの、和泉先輩」
「何かしら?」
琴音からすれば長居は無用だったが、次は怜士が声を掛けてきた。その顔は何故か浮かないように見える。
「さっきの怪我なんですけど、一応、それなりに回復させたつもりです。でも、念のため今晩は安静にしてください。特に左腕には気を遣ってくださいね」
「え……」
「やっぱり、俺、回復っていうのはどうも苦手なんです。だから心配で……」
怜士が申し訳なさそうに告げる意味が琴音には理解できなかった。「一応」とか「それなり」とか、本人は謙遜しているようだが、琴音にとって、あの回復術は見事としか言いようがない完成度だった。琴音は前日に負った左腕の怪我を見抜いたことにも驚いたが、何より驚いたのは、目の前の後輩がいたたまれない表情で自分を“気遣ってくれたこと”だった。
(どうしてそんなに悲しそうな顔をするの?)
妖魔との戦いで負った琴音の傷は怜士の力によって完治したと言ってもいいだろう。回復魔法に問題があったとか、後遺症がありそうだとか、そういった心配すら必要ないくらいだ。それなのに、何故、怜士が表情を曇らせているのか、琴音には理解の外だった。
「俺がもう少し早く来ていれば、あれほどの怪我をしなかったかもしれないと思うんです。なんとか間に合ったから良かったものの、やっぱり、どうしてかやるせないんです」
「……優しいのね、貴方は」
これまで出会ってきた人間の誰とも違う、打算も裏も無い真っ直ぐな感情をぶつけられ、琴音は困惑していた。怜士の優しさや素直さには愕然とするしかなかった。そして、それを羨ましいとさえ思ったのだ。
(確か昨日もこんな風に思ったわね。あれは…………ああ、そうだったのね)
琴音の頭には、昨日見かけた、ぶつかってしまった相手に素直に謝り続けていた少年の姿が去来する。どうやらあれはこの少年で間違いないらしい。珍しく気に掛けた人間が、こうして自分を助けてくれるとは、夢にも思わなかったようだ。
「そう言えば、まだちゃんと言ってなかったわね」
「何がです?」
「自己紹介よ。和泉琴音、明誠高校の三年生で貴方の先輩。それからお礼も――」
琴音が悪戯に微笑んだ。月明かりに照らされた彼女の妖艶で神秘的な美しさは怜士の心に焼き付くようだった。
「助けてくれて、ありがとう」
これが女子高生退魔師と元勇者の出会いだった。
怜士が琴音を助けた翌日。午前の授業が終わり、昼休みとなり、各々が昼食を摂り始めるが、怜士は右手に箸を、左手に単語帳を持っている。少しでも、時間を有効に活用しようという考えであり、食事をしながら勉強をするという行儀の悪さは無視している。
そんな中で突如、教室内が大きくざわめいた。
「志藤怜士君はいるかしら?」
誰かが怜士を訪ねてやって来たようだ。しかし、怜士はそれに構うことなく、単語帳を見ながら白米を口に運んでいく。「用があるなら、そっちが早く来いよ」というくらいの心持なのだろう。
「昨日ぶりね、志藤君」
「んん? 和泉先輩!? どうもです!」
机の前に立たれたことで漸く、誰が来たのか怜士は認識した。すると、慌てて箸と単語帳を手放した。
先程のざわめきは、有名人である琴音がやって来たことに関係することが分かった。しかし、何故、彼女が自分の教室に来たのかが分からない。
「折角だから一緒に昼食を摂ろうと思ったの」
「ほへ?」
ただ一言、怜士は間の抜けた声を出した。
「嫌だったかしら? 別に知らない仲ではないでしょう?」
「いえ、いえ、いえ! 嫌じゃないです、光栄です、嬉しいです! ただ……」
「ただ?」
「知り合って本当に間もなくて、それほど親しいわけでもないのに、どうしてかなって思いまして」
昨晩知り合ったばかりの二人だ。それが急に一緒に昼食を摂るなど、有り得ることだろうか。そういった疑問だけが怜士の頭を渦巻いている。
「“それほど親しくない”とは随分ね。私の大切なもの、滅茶苦茶に壊したのに……」
「いや、それは申し訳なかったですけど……」
緊急事態とは言っても、拝借した琴音の刀を壊した原因と責任の何割かは怜士にある。それを盾に言い寄られると、怜士に返す言葉は無い。一応、壊した刀の処遇については保留となっている。
二人は気付いていなかったが、今の琴音の主語が不明瞭な言葉は、教室中を震撼させていた。
「こ、壊した? 志藤、何をやったんだ?」
「おい、和泉先輩の大切なモノって……」
「め、滅茶苦茶だって?」
「ききき、決まってるでしょ!!」
「なっ! まさか、あの美しい先輩のカラダを!?」
「怜士君、ないわ~、ホントにないわ~」
「……最低」
妙な勘違いをした怜士のクラスメイトたちは妄想を掻き立て、怜士が琴音にいかがわしい“何か”をしたという、大きな思い違いをしている。そして、温度の低い視線が怜士に向けられている。
「私にあんなことまでしておいて、無関係ではいられないでしょう?」
「あんなことって、どうしてそういう人聞きの悪い言い方をするんですか! クラスのみんなが誤――」
怜士が琴音に言葉選びについて注意をしようとしたが、それは既に手遅れだったようだ。
「あ、あんなことぉ!?」
「嘘でしょ? 志藤君、最近少しだけ変だったけど、真面目な人だと思っていたのに……」
「女の敵よ!」
「怜士のヤツ、和泉先輩になんて羨ま恨めしいことをぉぉ!!」
「……くたばれ」
侮蔑や軽蔑、あらゆる負の感情を乗せた絶対零度の視線が怜士に襲い掛かる。そんな中で、一つだけ次元の違う気を怜士は感じ取った。
「怜士ぃぃぃぃぃぃ!!」
怜士の背後で鬼の形相を浮かべて叫ぶ梨生奈は、鉄のこん棒ではなく、机を天に掲げていた。
「梨生奈さん!? つ、机は投げるもんじゃありませんよ!? や、やめましょうよ! マジで洒落になら――」
「怜士の馬鹿あああぁぁぁ!!」
周りの人間に被害が出ないよう、咄嗟に広いスペースへ逃げ出し、梨生奈の狙いを引きつけた怜士の判断力は称賛に値するだろう。
「おもしろいのね、志藤君は」
怜士の悲鳴に掻き消された琴音の声は、誰にも聞こえていなかった。
漸く、一区切りです。




