第27話 「何かを期待していた私が嫌になるわ」と退魔師は卑しめた
~前回までのあらすじ~
退魔師、全身ズタボロ……。
退魔師、強敵と接敵するも、何とか逃げおおせる。
退魔師、リベンジの用意。
元勇者、何かに気付く。
狼の妖魔を誘い出すことは至極簡単だった。
まず琴音は妖魔に縄張り意識があるものと仮定し、件の廃ビルに赴いた。次に、妖魔であっても狼の特性が反映されていると考えた琴音は、自身の霊力や匂いが記憶されていると予想し、霊力を放出して妖魔を誘き出した。
すると、三分もかからずに妖魔は琴音の前に姿を見せた。
「……あら、一日ぶりね、狼さん。貴方につけられた傷はまだ少しだけ痛むわ。全力でお返しをしてあげる」
琴音は抜刀し、正眼の構えを取り、全神経と霊力を集中させた。全ては、目の前の妖魔を祓うために。
「そうは言っても、相打ち覚悟なのだけれどね」
そんな琴音の言葉に返答を寄越すはずもなく、狼の妖魔は大地を蹴り、再び獲物を狩ろうと飛びかかった。
速さは相手に分があることを昨日の戦闘で琴音は理解している。先手を取ることはまず不可能だろう。よって、彼女が対抗手段として導き出した答えは、「カウンター」だった。
「妖魔は恐らく、自分のことを格下として見ている」と、琴音は理解していた。この妖魔は、琴音の霊力を栄養源として吸収するか、琴音を嬲り殺して遊ぶための玩具程度にしか考えていないはずだ。後者の方が正解だろうか。その証拠に、妖魔は攻撃後に動きを止め、次の動作のために大きな隙を見せることが多い。琴音は防御に徹し、そこを突くことができれば、或いは勝機があるかもしれない。
尤も、「隙を突くことができれば」という、非常に大きな皮算用があるという仮定を忘れてはならないが。
「『護封輪』」
琴音が複数枚の護符に霊力を込めると、それらが彼女の前方で円を描くように回転し、霊力による強力な盾を作った。さしもの妖魔の攻撃も簡単には通らない。昨日は直接攻撃や設置型の罠として使用していた護符だが、今回はその力を防御の全てに注いでいる。
(いける)
琴音は護封輪が通用したことで、勝利への可能性が僅かながらに上昇したことを確信した。術の展開も、妖魔のスピードに対して、何とか間に合っており、作戦通りにカウンターも決められている。
護封輪で防ぎ、刀で斬りつける。この工程をひたすら繰り返す琴音。妖魔の防御力は想定を少し上回るが、少しずつ、確実に斬撃によるダメージも蓄積できている。
――手を緩めず、相手から意識を逸らさず、一点突破に全てを懸ければ、格上の相手にも対抗できる。
琴音はそう信じていた。いや、信じるしかなかった。
琴音も妖魔も、お互いに決定打を放つことができず、所謂、膠着状態に陥った。見方によっては互角の攻防に見えるかもしれないが、双方には決定的な差があった。
(流石は一級クラスの妖魔ね。消耗はしているのでしょうけど、それほど大したものじゃなさそうね。それに比べて私の方は……少し厳しいわね)
互いの消耗の度合いが大きく異なるのだ。
地力で劣る琴音の霊力はみるみる減る一方で、妖魔は余力が十分にあるように見える。琴音が言うように、流石は“一級”といったところか。
妖魔は、備える霊力が大きいほど戦闘力、殺戮能力が高い傾向にある。退魔師たちは独自の霊力基準を設け、妖魔のレベルを高い順に一級から十級に分類している。この狼の妖魔の霊力値は一級相当。つまり、“最高クラス”ということだ。
対する琴音は退魔師の中でも指折りの実力者だが、それでも彼女が相手取って勝つことのできる妖魔は三級相当だ。チームを組んで援護を得られても二級までが限度だ。それよりも上レベルの妖魔を単独で祓うなど、夢物語もいいところだ。
(もうそれほど長くは戦えないわ。次で一気に決めるしかないわね。いえ、決められなければ終わりか……)
琴音が“巨人殺し”を成し遂げるには、いくつかの条件を満たさなければならない。
まず一つは相手の急所を的確に突くこと。妖魔に関しては霊力発生の源、生命維持の中枢と言われる“霊核”を攻めればよい。そして二つ目は相手の油断を誘い、防御させないことだ。妖魔に防御を取らせると、それを崩すのに余計な力を加える必要がある。そして三つ目は一撃に琴音自身の全霊力を込めることだ。単純に霊力を込めれば込めるほど攻撃力が上昇するのは道理だ。
相手の力は強大。当てれば億万長者、外せば無一文といったところか。この賭けは単純明快で実に分かり易かった。
(まずは……)
琴音はわざと防御を崩し、弱めた。それも、あからさまではなく、僅かにだ。すると、妖魔は狼らしく、深い唸り声を上げて勢いよく飛びかかって来た。
(かかったわね)
崩した防御は打ち抜かれそうになるが、琴音はこの好機を見逃さず、この戦いで初めて、護符を攻撃に用いた。
印を素早く結ぶと、妖魔の首周りで炸裂し、雷が走った。いかに一級の妖魔であろうとも、少しくらいは痺れるだろう。そうしてできた隙を、琴音は一瞬で突いた。
「喰らいなさい!」
日頃、感情を滅多に表に出さない琴音が、力強く、雄々しく叫んだ。
込められた霊力が闇を切り裂く閃光となり、妖魔の喉元を切り裂いた……かに見えた。
「そんな……冗談でしょう?」
全てを込めた渾身の一撃。それで全てが終わるはずだった。刀身は確かに、狼の妖魔の首筋を捉えて食い込んでいる。しかし、妖魔は苦しむ素振りすら見せず、寧ろ平然としている。つまり、琴音の攻撃はまるで効いていなかったのだ。
琴音はある違和感に気付いた。
(さっきまで負っていた傷が……)
妖魔の身体をよく見ると、これまでの攻防で琴音が付けた刀傷の一切が消えている。いや、消えているのではない。癒えているのだ。
「まさか……私の狙いを理解した上で遊んでいたの? 自己回復ができるから? 霊力の絶対量が大きく違うから?」
大きく開かれた琴音の瞳は、焦点が定まらない。
一方で妖魔の眼は、愉悦に浸っているかのように、無邪気に輝いて見える。全ては妖魔の狙い通りだったようだ。
昨日の戦闘でわざと琴音を逃がし、再戦の機会を作る。対策を十分に練って来た琴音に合わせて拮抗した戦いを演じる。琴音がここ一番で放つ大技を敢えて受け止め、勝利という希望が見えたところで絶望の淵に叩き落す。
すべては、妖魔が己の欲望を満たすために計画した暇潰しに過ぎなかったのだ。
瞬間、動揺していた琴音は妖魔の殴打を受け、吹き飛ばされた。今回は防御も何もできていない、直撃だ。そのダメージは大き過ぎる。
「“もしかしたら”と、何かを期待していた私が嫌になるわ」
大きく吹き飛び、倒れたまま動けない琴音は、天を仰ぎながら呟いた。
(……そもそも、一人で討伐するように言われた時点で分かり切っていたことじゃない。制裁の仕上げってところかしら? いえ、逆らった私を他の奴らへの見せしめにすると言った方がいいのかしら?)
重傷を負いながらも、起き上がり、最後まで敵から目を離そうとしないのは、退魔師としての、大家に生まれた人間としての矜持だろうか。しかし、深刻なダメージ故に、片膝をつき、立ち上がることもままならず、呼吸も荒い。
(あの眼、今からが本番だとでも言いたいのかしら)
ゆっくり、一歩ずつ、その距離を詰めてくる妖魔にいやらしさを感じた。その気になれば一瞬で終わらせることができるはずだが、それをしないのは、琴音を追い詰めて楽しむ証拠だ。
「流石にもう、無理ね……」
完全に潰えた勝機。琴音にできることは全てを諦めて、せめて、痛み無く死ねるように祈ることだけだった。
(私が死んだら、誰かが悲しんでくれるかしら?)
最後に一つだけ、考えたのは、「自分の死を悲しんでくれる人」の存在だ。事情があって一族から半ば追放状態にある自分に、果たして家族はどのような表情を、どのような感情を抱いてくれるのか。琴音はそれを考えたが――
(それも流石に難しいわ。私は一体、何を考えているのかしらね……)
一族に背いた娘を平気で追い出す親だ。そもそも、これまでの任務も今回の任務も、意図して過酷な現場に向かわせている。肉親ですらもう信用できない。
(学校の方は……尚更無理ね。私、友達なんかいないもの)
琴音の容姿や出自に惹かれてすり寄って来る人間は、小学校の時代から山のようにいたが、感覚の鋭い琴音には、打算に塗れた上辺だけの繋がりしか見えなかった。そのため、学校の人間との接触は最低限に留め、いつも一人で過ごしていた。
琴音が傷付き、死ぬことを悲しみはしてくれるだろう。しかし、そこに乗る感情は果たしてどれだけが本物だろうか。
「少しは、女子高生らしく華やかな学校生活というものを楽しみたかったわ」
妖魔が迫り、死を覚悟して小さな後悔とささやかな願望を口にしたその時、彼女の命運を握る、大きな希望の光が舞い降りた。
「う~わっ、でかい犬!!」
痛く空気の読めない間の抜けた男の言葉だが、琴音は知らない。この声の主が異世界を救った、途方もない力を持った、最強の勇者であったことを。
※2021/8/4 部分的に修正をしました。
※2022/7/25 部分的に修正をしました。




