あたし、メリーさん。今ヤクザの事務所前にいるの……
「若、お電話です」
角刈り頭のチンピラ風が頭を下げながら両手に持ったスマホを差し出した。
「誰からだ」
それを受け取ったのは金髪をオールバックにした、若いながらも威厳と覇気を纏う男である。
今シャワーから出たばかりの男は肩にタオルをかけながら、尋ねた。
「メリーさんという方からです」
「メリーさん? 知らねぇな」
そんな知り合いはいたかな、と思いながら電話を耳にする。
恋人、愛人、運営する風俗やキャバクラの嬢などの名前を思い出しては見るが、メリーなどという名前にピンとくるものはなかった。
「俺だ。オメェはどちらさんで?」
「あたし、メリーさん。今〇〇駅にいるの」
男の質問に対して、メリーさんと名乗る女は最寄りの駅名を答えた。
どこのどいつだと思い尋ねてみたが、受話器から聞こえてきた声は幼い。
そんな幼い声を耳にした記憶もなく、男は解消しない疑問に少しの苛立ちを覚えた。
「テメェが誰だって聞いてんだ、コラ。耳ついてんのかテメェ」
「……」
「切れてやがる」
疑問の解消しないまま、電話は一方的に切られていた。
今迄にこれほどまでに無礼な電話があったことはない。ましてや男はここの事務所の若頭である。
早々生意気な口を効くものはいなかったし、このような態度で応じてくるものなど居たら、即座にボコボコにされるものだ。
解消しない疑問と苛立ちに、男はスマホを叩きつけるようにチンピラに投げつけた。
◆ ◆ ◆
ルンルン気分で最寄り駅から男の元へと向かうメリーさん。
しかし、男の所在地に向かうにつれて、徐々に不穏な空気が漂うことに気づいた。
繁華街から外れた裏路地に入ると、そこには今は静まり返った風俗街が顔を出した。
夜中は煌びやかな世界であるが、日中の今は音沙汰がない。
30分5000円などと書かれたセクシーな女の看板なんかを見ていると、メリーさんは来てはいけない所にきたような気がして、心がざわついた。
普段ならばベッドタウンにあるマンションや一軒家ばかりに向かい、電話に出ていたものを怖がらせていたメリーさんである。
こんな場所にくるのは初めてだし、最初こそスキップでもしそうだった足取りは今は薄氷を踏むかのようなものになっていた。
「あ゛あ゛ぁ……」
「ぴゃぁ!!!」
メリーさんの間抜けな声があがる。
誰もいないと思っていた道の脇に詰み上がっていた段ボールの中から、ホームレスが顔を出していた。
酒に酔っているのか、顔色は濁っておりゾンビのような声はメリーさんのことを大いに驚かせた。
「お嬢ちゃん……金持ってねぇか」
ゾンビが言う。
「も、持ってません!」
早口に言って立ち去るメリーさん。
電話をかける相手を間違えてしまったかという後悔を抱きながら、メリーさんは薄汚れた路地裏をかけていった。
◆ ◆ ◆
「あたし、メリーさん……えっと、今、あの……なんとか木組のビルの前にいるの」
「鏑木組だ」
「あ、そうそう! それ! 鏑木組のビルの前にいるの! べ、別に読めなかったわけじゃないの! あなたを試しただけよ!」
「だからよぉ、テメェはなんだってんだコノヤロウ」
再びかかってきた電話は最寄り駅よりもさらに近づいていた。
しかも鏑木組のビルの前と言えば、もうあとは階段をあがるだけでたどり着く。
相変わらず自分が誰か名乗らないメリーさんに苛つきつつ、男は来るならこいと手にドスを持って待ち構えていた。
電話がかからぬ間に、男はメリーさんというものについて調べていた。
といってもスマホで検索して出てきたのは、都市伝説の類ばかりであった。
本当にそんなものがいるのかと思う。
だが、実際にかかってきている番号は非通知だし、メリーさんというのに思い当たるものはない。
これだけの無礼を働くものは女の子だろうが、オバケだろうが、許せるものではない。
男としては躾のつもりで、一発叱りを入れてやろうと考えていた。
そこからさらに数分のときが経って、再び電話が鳴った。
男は事務所で一人待ち構えている。
「俺だ……」
「あたしメリーさん……今……あなたの後ろにいるの……」
「そうか」
もう自分の背後にいると告げられる。
今まで一人しかいなかった空間に急に他の気配を感じると、男は何を思ったのか、着ていたシャツをおもむろに抜き出した。
「きゃ! ちょっと何しているの!」
もう電話ではなく、後ろから直接声がする。
恥ずかしそうな悲鳴に構わず、男はズボンも脱ぐとパンツ一丁になってその場に仁王立ちした。
そこに見えたのは首から太ももまで入った、大層立派な和彫りである。
さらには背には大きな切り傷まであり、今まで修羅場をくぐってきたであろう記憶まで刻んでいる。
「テメェが誰かが知らねぇが、鏑木組若頭を務める俺に用たぁ、相当な用件なんだよな?」
「ひぃ……」
振り向かず、和彫りを見せつける。
ドスの効いた声はメリーさんを震え上がらせると、男の背後で尻餅をつくような音が聞こえた。
「わざわざ俺の元まできたんだ。無礼の上に無礼を重ねてな。テメェが誰だか知らねぇが、覚悟はあるよな?」
「そんな、覚悟なんて……」
「無いとは言わせねぇぞコラ! どこまで俺のこと舐めてんだ、アぁ!?」
「ひぃ! ご、ごめんなさい」
もう泣き出しそうな声になったメリーさんは早く帰りたくなった。
とは言え、相手を怖がらせないと帰ることも出来ない。
いつの間にか怖がらせる側から、怖がる側になっていたメリーさんは目に涙を浮かべながら、男の和彫りを震えながら見つめるしかなかった。
「じゃぁ、面ァ拝ませてもらおうか」
ゆっくりと男の体がメリーさんのほうへと向く。
メリーさんは震えながら、ゆっくりと体の正面を向ける男の姿を見つめていた。
涙でぼやけていても分かる彫り物は、男の正面にも飾られている。
「なんだ、ただのガキじゃねぇか」
「ご、ごめんなさい……」
震えながら涙を流すメリーさんは、まだ中学生か小学生くらいに見える女の子であった。
白く長い髪にフリルのたくさんついたロリータ風の服を着る少女が、震えながら謝る。
男は溜息をつきながら、しゃがみこむと怯える顔に手を差し出した。
一瞬何をされるのかとビクつく体、しかし、男の手はメリーさんをどうしようというつもりはなく、ただ流れる涙を拭った。
「メリーさんっていうからオバケか何かかと思ったぜ。なんだ、見て見りゃただのガキじゃねぇか」
「うぅ……ごめんなさい」
「謝ってばかりいるんじゃねぇ。ったく、拍子抜けだぜ」
「ごめんなさい……」
「ハァ。もう怒る気力もなくなっちまったぜ。もういい。さっさと帰んな」
「それは出来ないんです……」
「はぁ?」
「私、一度狙いを定めた人は怖がらせないと次に行けないんです……そういう呪縛に囚われているんです」
「なんだそりゃぁ」
「そういう呪いにも近いものにかかっているんです……だから、あなたが怖がってくれないと、私、次にいけないんです……」
「怖がらせるったってよ。オメェ程度にビビるわけがねぇだろう?」
「今までは皆さん割と怖がってくれてたんです……でも、あなたみたいな人は初めてで」
そりゃヤクザの元になんか早々来ないだろうと思う。
男はもうこれ以上メリーさんを威圧しないためにも、脱ぎ散らかしていた服に袖を通した。
「じゃぁ、怖がらせてみろよ」
「え、あ、はい……」
メリーさんは人差し指をかざすと、男の背後で花瓶が割れた。
振り向いてみれば、飾ってあった花瓶が床に落ちると粉々に砕けている。
「ポルターガイストを起こしてみました……怖いですか?」
「あの花瓶……200万すんだぜ?」
「えぇ!? そんな高価な花瓶なんですか!? あぁ、どうしましょう! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
相変わらずビビっているのはメリーさんのほうだった。
「これじゃ埒が明かねぇ。よし、俺が人の怖がらせ方を教えてやる。いいか先ずはな……」
そこからは男による人の怖がらせ講座が開始された。
どうやって相手を追い詰めるか、どうやったら相手の精神を追い詰めることが出来るかのハウツーを話始めると、メリーさんは怖がりながらも話をメモしはじめた。
講座は実に2時間という長い時間におよんでも、まだ続きそうである。
男はまだ話足りないという風だし、メリーさんもいつの間にか真剣な表情で耳を傾け、ペンを走らせている。
「随分時間経っちまったな。そろそろ終わりにするか」
「え、もう終わりですか!?」
「ンなこと言ったって、しょうがねぇだろ」
「じ、じゃぁ明日もまた聞きにきてもいいですか?」
「あぁ? そんなに暇じゃねぇんだよ」
「でも、あたし貴方を怖がらせないと次にいけませんし……それに貴方のもとに居ればもっとオバケとして活躍できると思うんです! お願いします!」
深々と頭を下げて三つ指をつく姿は真剣である。
男としてはさっさと帰って欲しい気持ちではあるが、怖がらせないと帰れないという呪縛ではすぐに別れることも叶わない。
「テメェ、覚悟はあんのか?」
「あります!」
はっきりとした威勢のいい声をあげながら、真剣な瞳が男に刺さる。
先ほどのような覚悟無き、涙ぐんだ瞳ではない。そこにはオバケとしての務めを果たそうとする心意気が感じられる。
「俺のこと怖がらせられんのか、テメェ?」
「いつか怖がらせられるよう頑張ります!」
「声がちいせぇ!」
「頑張ります!!!」
「覚悟あんのかコラァ!」
「あります!!!」
「気合入ってんだろうな、コラァ!!!!」
「はい!!!!!」
こうしてメリーさんは男の元で人のことを怖がらせることについて学びはじめた。
しかしながら、時が経てども経てども男を怖がらせることは出来はしない。
オバケとしてのスキルアップはすれども、そのスキルを使うチャンスはいつまでも現れない。
いつしか都市伝説はただの昔話になり、人々の記憶から忘れさられた。
それでもメリーさんは今日も人を怖がらせるための勉学に励む。
「もっと気合入れろコラァ! オバケ舐めてんのかメリー!」
「はい!!!! 頑張ります!!!」
とある事務所の一室で、今日も気合の声が鳴り響く。