第一章7 商会
フローレス商会へ近付いていくにつれて、人通りが多くなっていった。いつもはこれほど騒がしくは無いのだが、もしかしたら何か事件でもあったのかもしれない。
「何かあったんですかね?」
「多分そうみたいですね。心配ですか?」
「丁度フローレス商会が事件に巻き込まれているなんてことは無いですよー。」
「……そうですね。」
無責任な事を言いたくなくて、少しの間だけ俺は答えに詰まり、沈黙してしまった。
「そんなに暗い雰囲気出さないでくださいよー。あ、そうだ。私の名前って知っています?」
名前か、一度聞いた事があったような気もするけど、覚えてないな。
「分からないなら当てずっぽうでもいいですよ。もし正解したら、ほっぺにチューしてあげますよー?」
名前か、当ててチューされるという事には別に期待していない。期待はしていないが、一応クイズなら当てたい、何だろう? フローレス、フローレス……
「……フローレス・ルージュ。どうだ?」
「考え過ぎですよー? そんなに私にチューして欲しかったんですかー?」
「なっ、違うっ! 俺はただ――」
「冗談ですよ。」
一応俺の方が年上なのだろうけど、年下にからかわれた事が少し悔しく思えた。
でもそれ以上に、人と触れ合うのが久し振りだからだろうか、楽しかった。ずっと一人で修行を続ける必要も今となってはそんなに無いだろうし、こういうのも良いかもしれない。
「私の名前はエレノア・フローレスセントですよー、ゼルディン君。」
エレノアか。もし次に出題された時に備えて覚えておこう。断じてチューを期待している訳ではないが。
そうしてしばらく雑談していると、フローレス商会が見えてきた。
「……エレノアさん、あれって、フローレス商会の所じゃあありませんか?」
思わず俺がエレノアに聞いてしまったフローレス商会には制服を着た一団、つまり王国魔術師団が来ていたようだった。
魔術師団、そこは貴族院を卒業した貴族の多くがそこに所属する事になる、警察と軍隊を兼ね備えた組織だ。つまり、
「やっぱ何かあったんだ! ごめん!」
それだけ言うとエレノアは慌だたしくフローレス商会に向かって行った。
俺にとってもあの店が使えなくなるのは不味い。フローレス商会の次の最寄りの商会は家から20分程掛かってしまう。身体能力を強化してまで急いで行くというのも流石に馬鹿らしいし。
あとはエレノアの事も心配っちゃ心配ではある。
という事でエレノアと一緒に外に集まっていた魔術師団の人に聞くことにした。
「あの、何かあったんですか?」
「この商会がダンジョンを秘密裏に所持しているという疑いが掛けられていてね。そのダンジョンの地図を所持していないか捜査していたんだが、杞憂だった様だよ。殺人事件が起こったとかじゃないから、安心しなさい。」
エレノアが露骨に安心していた。何も無かった様で良かった。
でもダンジョンの保有の罪なんてあるんだなー。ダンジョン内の利益を独占するのを防ぐ為、といった所だろうか。
「そうですか。もう入っても大丈夫ですか?」
「関係者の方ですか。捜査は終わっていますから大丈夫です。どうぞ。」
俺も入っていいんだよね。客だし……別に金が足りなくなっている訳じゃあ無いが日課を崩したくない。
「すいませーん。フローレスさーん。」
中に入っていくと、エレノアとフローレスさんが話していた。
「おお、ゼルディン君か、心配を掛けたようだね。」
人の良さそうなフローレスさんが不正を働いている筈がない、と思っていた俺もいたが、それでも少しは心配だった。
「あ、いえ、大丈夫そうで良かったです。どうして突然ダンジョンの秘密保持なんていう容疑が掛けられたんですか?」
「ああ、そうだね……」
あれ、フローレスさんが少し言い淀んでいる?
「お父さん? どうしたんですか?」
そしてそれに気付いたエレノアは空かさず追及した。
「まあ、なんだ、ゼルディン君の前では少し言い難い事なんだが。」
俺の前では言い難いってことは、もしかしたら俺が原因の一旦って事か?
「あの、もしかして俺が何かやってしまいましたか?」
そしてフローレスさんは一呼吸置いた後に語り始めた。
「君が売ってくれている銀の総量が、この国で毎年産出される銀の20%程を占めているらしくてね。組織的に大量のダンジョンを抱えているのではって容疑を掛けられたんだ。まあ、直接的な原因は高純度の銀で儲けるようになって、他の商会に疎まれ、嫌がらせを受けたからなんだけろうけどね。」
「あの、俺の名前は出さなかったんですか?」
「まあ、そうだね。」
そうか、無理して俺の事を庇わなければわざわざ魔術師団が出動するほどの捜査にはならなかっただろうに……
これは俺の責任だ。一応の調整をしているつもりではいたが、安易に大量の銀を供給し続けてしまったことがいけなかったんだ。
別に、他の店に乗り換える事は簡単だ。引っ越しさえすれば良いのだから。でもそれは俺の意志ではない。
もしこの店に火の粉が降り掛かる事になるのなら、俺の今の生活が維持出来なくなるというのなら、それは俺の自由が侵されるということだ。そうなる前に、俺の邪魔をする全ての物を俺が退ける。
だが、それでもこの店には多少の迷惑を掛けることになるだろうし、銀が理由で他の商会から疎まれたって言っていたし……
それならば、最低限の説明はしておくべきだ。俺のスキルの事を教える丁度良い時期なのだろう。
もう三年の付き合いにもなるのだから。これからもこの店のお世話になっていく事は変わらないのだから。
「あの、実は聞いて欲しいことがあるんです。そろそろ一人で抱え込むのも限界かなーと思いまして。少し見ていてくださいね。《鉱物生成》」
銀はアルミニウムとかに似ているし、金だと流石に驚かせてしまいそうだと思ったから、俺は分かりやすい様にミスリルのインゴットを生成した。ついでにこれでいい装備でもしてくれたら、このエレノアも安全になるだろうし。
「ゼル君、一体それは一体何ですかー?」
あれ、エレノアさんは知らないのかな? 図書室で読んだ知識によると、確かオリハルコンは現存していないが、ミスリルとアダマンタイトは産出されているはずだったけど……
「まさか、それはミスリル……ミスリルなのか?」
あ、良かった。フローレスさんは知っていたんだ。
「はい、その通りミスリルです。」
「ミ、ミ、ミスリルですかー!? これが!? 初めて見ましたよ!?」
あ、エレノアも凄いテンションが上がりだした。興味を持ってくれたようだ。流石商人の娘。でも今まで見たこと無かったのかな?
「あ、触ってみますか? どうぞ。」
「お、お、おおおお!!! お父さん、ミスリルですよー!」
エレノアはミスリルをフローレスさんの目の前でブンブンと振っていた。可愛い……
「これは……驚き過ぎて言葉が出んな……」
「このスキルで毎日銀を生成して売りに来ていたんです。」
俺がそう言うとフローレスさんは何かを考えているのだろう少しの間沈黙し、それからこう続けた。
「……ゼルディン君、この事は誰にも言わない方がいい。出来ることなら俺達にも内緒にしておいた方が良かったと思う。」
「どうしてですか!? 折角こんなに凄いスキルを持っているんだったら――」
そう言い出したエレノアをフローレスさんは制止した。
「それ以上はやめておけ。このスキルは個人が持つにしては影響力が強すぎるんだよ。ゼルディン君、それは持って帰ってくれないか?」
別にミスリルから魔力を抜けば昔の様にただの石ころに戻せはするが――
「お断りさせて頂きます。これは受け取ってください。これでエレノアさんの防具でも作ってください。余った分はこの商会の防衛施設にでも。俺が原因で他の商会に疎まれるようになったというのならこれで。これからも嫌がらせが続くなら、何があるかは分かりませんし、それに今日、エレノアさんが男の人に絡まれていたので……」
ミスリルで作った装備には魔力を付与出来ると読んだ事がある。専門の付与術師に頼めば自衛くらいは出来るようになる筈だ。そうすればエレノアだってあんな暴漢? ナンパ野郎に困らせられる事も無いだろう。
「ゼル君、それは私を心配しての行動ですかー? それとも、フローレス商会を心配しての行動ですか?」
……正直、自分でもどっちかは分からないけど。でも多分
「両方だよ。」
「そうですか、お父様、これを受け取ってもよろしいですか? 受け取れる物は何でも受け取っておけ、でしたよね? それに、これがあれば私もスキルの修練を出来ますし。」
スキルの修練にミスリルが必要……? 鍛冶系統のスキルなのかな? 必要ならこれからも修練用に持って来ようかな?
「まあ、魔術師団が調査に来てからいきなり銀の供給を止めるとなると、寧ろその方が怪しまれるか……だがそのスキルは他言無用だ。君の身に危険が及ぶ。命あっての人生だ。肝に命じておきなさい。」
最後まで俺の事を心配してくれているフローレスさんの優しさがありがたい。俺の家族は、風習的に認められているとは言え、俺が無能と分かるなり直ぐに破門にしたのだから。
「はい、気をつけます。では俺はそろそろ帰りますね。忙しい所すみませんでした。」
「あの、ゼル君、魔道具が完成したら明日にでも見せに行っていいですか?」
「あ、はい、ご自由に。」
そして俺は帰路に着いた。あ、銀売るの忘れてる。