魔道士ミカ
カーティスの誕生日が来る前に兄二人は、オルレアンへ戻った。エリオットJr.はいつまでも(いくらアルビオンで働いていたとしても)長期的に休めないと言っていた。オズワルドも冬休みはもう終わってしまっていると告げていた。
「おいおい、寂しそうだな、シュー。」
共用の書斎でお気に入りの服を着て、お気に入りのお茶を飲んで、従者の下手糞な音楽を聴いて、魔導書を読んでいた時のことだった。男はまるで家族の一員のような気楽さで部屋に入ってシューに話しかけてきたのだ。
「ミカ、どうしてここに?」
シューたちは慌てて居住まいを正して、膝の上に置いていた魔導書をサイドテーブルに置いた。
「おい、エリーからシューが会いたがっているという話を聞いたんだが?」
そういえば、兄に話すように兄の侍従に言っていたことを思い出した。魔導士ミカ、この国で彼を知らない貴族はいないし、ずっとシューへ魔法を教えてくれていた男だ。
「会いたいっていうからには、何か聞きたいんだろう?」
「その前に、ミカ。僕に言うことはない?」
「俺は仕事だったんだ。シューに傷をつけたかったわけじゃねえ。」
そうして、彼は自分のしてきたことを認めた。闇属性ではないと知っていたこと、火魔法を無理やり教え込もうとしたこと、光魔法から引き離そうとしていたことだ。
「分かっています、貴方だって父には逆らえない、と。それでも、言いたかっただけですから。」
ミカは目を見開いて息をのんだ。それは今まで自分に甘えてきた幼子が唐突に悟り、距離を置いたことも勿論あるのだが、何より目と同じ快晴の色をした絹布の服と薔薇を象ったプラチナの髪飾りなどで飾り付けられた人形のような少年が美しかったからだ。
「お忙しい貴方につまらない時間を遣わせたくはありませんので、単刀直入にお伺いしますが、エリザベス・ノーランド『女史』についてどこまでご存じでしょうか。」
彼はいつもの明るさに影を落とした。
「ノーランド女史とは15年ほど前一緒に仕事をした仲だ。」
「エリザベスは何を研究していたのですか。」
「色々やっていたぞ。土地改良の魔法や禁忌とされていた精霊の研究もしていた。」
「封印されてしまったと聞きましたが」
ミカはああと嘆いた。
「それは誰から?」
「若い研究者から伺いました。」
「だよな、公爵夫人が漏らすはずないから。封印されたのは、簡単だ。『危険だから』だ。」
「危険。」
「そう。そして、昨今学者の中で盛り上がりつつある『人の権利』を蔑ろにする研究だ。これ以上研究をさせないために、公爵家は封印した。この封印の術式を描いたのが俺だから、まあ、知ってるって具合だ。魔力はエリオット、術式は俺っていう超最強封印魔法になったわけだ。」
術式とは魔法構成を描いた魔法陣のようなもので、簡単に言えば他の人間に魔法を解かせないためのパスワードとセキュリティそのものだろう。それを立体化した父エリオットは火の最高精霊イフリートに好かれた政治家としてだけではなく魔導士としても名の知れた男だ。彼女の研究資料は、封印魔法の中でも最高の強度を誇る魔法で封じられてしまった。
「何故その資料を燃やさなかったのですか。」
「燃やさなかったんじゃない、燃やせなかったんだ。」
「エリザベスがそこまでの力で保護魔法をかけられるとは思いませんが。」
「シュー、エリザベスは確かに天才だったが、果たして全世界に一人だけの天才か、と問われるとそうではない。他にも禁忌をかいくぐってエリザベスのような研究をしないとも限らない。もし再び現れて研究され、実現されてしまったら知らないままだと対処が遅れる。その時のために資料は残す。分かるか。」
「実現、できるってこと。その禁忌が。」
ダンタリオンが話していた15年前からアルビオンで研究されていた新兵器はどうやら倫理的な問題で消滅した、と考えるのが正しいのかもしれない。ダンタリオンが探していたのはエリザベスによる研究かすらはっきりしないが、ダンタリオンが多額の報酬を提示するくらいには恐ろしいものだ。
「どんな研究だったかを具体的に教えてはくれないのですか。」
「エリザベスが目指していたのは、人が平等に精霊の加護を得られ、人が平等に治癒魔法の恩恵に授かれる、それだけだ。それを知っていればいい。」
「それが、どうして人の権利を奪うということになるのですか。」
「問題は『精霊は気まぐれ』なんだ。それ以上言うと俺の首が飛びかねないから許してくれ。」
ミカでも言えないということは、本当に厳しいのだろう。どうにか研究所の封印した場所に行けたところで、魔導士ミカとエリオットの力の前にはどうしようにもならない。
「後は勝手に想像してくれ。お前が一番知りたかったことは教えられなくて悪いが、他の魔法のことなら聞いてくれ。」
「ミカは光魔法のことは詳しくないでしょう。これ以上エリザベスのことを教えられないなら、僕にあなたは必要ないです。」
「言い方!これでもあちこち引っ張りだこの魔導士なんだよ!こちとら頑張ってスケジューリングしたわけ!そういう切り離すような言い方していたら、嫌われるぞ。」
「僕は。」
嫌われたって構わないと言おうとしたが、言えなかった。それを言えるほどシューは子供でもなかったし、その勇気もなかった。
「ずっと貴方に憧れていた。それから、大好きだったけど、ちょっと嫌いになった。」
素直な言葉にミカは眉を下げながら笑って、大きな手でシューの頭を撫でた。
「悪かった。本当はお前が苦しんでいたのを知っていた。知っていながら何もできなかった。しなかった。」
謝って済む問題ではないけれども、と頭を下げた。いくら自由に生きていたこの男でもアルバートの公爵家に逆らったら生きづらくなるのはシューもわかっている。
「…魔道具に関しては詳しい?」
シューはこれ以上ミカの目を見ていられなくて話を変える。
シューが自室から魔力だけで明かりがつくランプを持ってきた。少し前に中央街の魔法道具屋で購入した紫の竜胆のランプで、ベッド脇のサイドチェストに
「これです。」
「殺菌灯な。へえ、難しいこと考えるなぁ。」
「光魔法の原案はできているんだけど、これ僕以外が点けようとするとつかない!」
「一般化できないのか。なんか特殊な魔法の構成になってるのか。」
「属性の魔力なしで殺菌する魔法を作ると物凄い複雑化しちゃうんだよね。特に殺菌に関すると単なる光源じゃなくて、光の魔力の性質に依るところが多くて。」
「ああ、なるほど。ある程度は絡繰り任せにするしかないが、元のランプが火属性の仕組みだから、ランプの点灯部分以外は全とっかえだな。」
「それができたらもう少し魔法構成を簡略化したらいいのかな。」
二人が顔を突き合わせて、頭を悩ませている横で、カーティスとフィリップは安堵していた。兄二人が居なくなったことにより、シューがぼんやりとすることも多かったからだ。
「フィリップは参加しなくていいのか。魔法なら。」
「私は魔法道具に関しては門外漢だからな。私のは我流が過ぎるから魔法の属性を無視した一般化なんて全く思いつかない。」
と言いながら隅に置かれた魔法道具の基礎の本を拾い上げて、文字を追っていくたびに楽しくなっていったようだ。
「この菌という話は面白いな。着眼点がなかなか珍しい。」
「え、あ。そうだね。」
そばにいるカーティスや頭のいいフィリップだってシューのこの辺りの発言は理解していない。美代子の世界でも細菌学がきちんと形になったのは19世紀の話だ。とはいえ、近頃学者の中では魔導顕微鏡というのができているのだから、美代子の世界よりも先に細菌学はまとまるかもしれない。「いっそのことこういうの全て本に纏めて、他の学者連中巻き込んだ方が上手くいくんじゃねえかって思うんだが。」
美代子は確かにある程度の医療知識はある。それでも、『この世界での病原体』の知識はほとんど闇魔法の魔導書から教わったものだ。それをどう説明しろというのだ。オルレアンの研究所から盗んだ禁忌書もある。それがバレて糾弾されるのはシューだけではなく、アルビオン全体にゆきかねない。
「今は無理。」
「そうか、残念だな。」
「確かに今も尚苦しんでいる人がいるというのは僕も分かるし、少しでも多く救える人が多いに越したことはない。でも、それでも、僕はもう少しだけここにいたい。」
「は?」
「ごめんなさい。」
ミカはシューのションボリとした顔を見て忘れてはいけないことを思い出して、頬をかいた。
「すまん、忘れてくれ。さっきのはただの凡々の魔道士の戯言だ。」
ミカの謝罪に疑問に思っていたところ、また戸が勝手に開いた。公爵家の扉がこうも軽々しく開くことはそうそうない。
「你们好吗?帰ってきたヨ!」
「イールゥイ?」
李親子は母国に帰って商品を買い付けに行っていた為、アルビオンに戻っても会えなかった。
「一度戻ル、言葉、忘れル、大変ヨ。」
「おつかれ様。どうだった?」
「书が说ス、东连的国の物あったヨ。」
一度だけシューが手紙でトーレンについて記したことがあった。全く違う国だが、同じ東側の国の人間だと興味があったようだ。トーレンが渡したのは細やかな金粉がかかった鶴と牡丹の美しい漆の文箱だ。あの国の漆器はこっちでかなりの金額で取引されているから、それはいい値段だろう。
「これ僕には買えないよ。」
「没问题。礼物、だヨ。」
「谢谢你。」
「開けル、みテ。」
促されるまま、文箱を開けると3センチ程の成形されてない黄色の宝石が輝いていた。
「これ。」
手に取ってみると懐かしい魔力の気配がした。
「これ、光の魔力の結晶体!」
「美丽の宝石ネ!」
イールゥイは美しい宝石を隣国の物から貰ったが、宝石を飾る趣味がなく、勿体ないのでシューにくれるとのことだった。
「それは魔力の結晶体なのか?」
やりとりを見ていたミカがシュー手にある石に注視した。
「僅かに魔力の気配がある。恐らく光の魔力。」
「魔石ではなく?」
「武器につける人が魔法付加したものとは別物。アレは魔力じゃなくて魔法だもん。」
「魔法使わず、ただ触れるだけで分かるあたり流石愛弟子。」
未だ魔力の結晶体を使う技術は人にない。動力源にはならないが、もし使えるのならこんな面倒な魔法を考えなくてもいい。
「文箱も宝石もとんでもない売ったら恐ろしい額になるんじゃ…。」
公爵家にはこうした商人からの贈り物はよくあることだが、それにしたってシューはこのプレゼントを貰うには値しない。
「宝石、太太様への礼物だっタ。太太様、いらナい、らしい。」
母ディアナがこれらを贈られるのは分かる。ディアナは領主である父や家督相続する兄に代わって実務をこなしている人間だから。
「太太様、书へ、渡ス、欲しい、言う。」
「お母様が?」
何故だろうと首を傾げると、ミカと目が合う。「言い方は悪いが、公爵夫人はシューを試したのではないか?」
「何のために?エリザベスとどこまで似ているか調べるため?」
「いや、分からん。ただ単にお前が綺麗なものが好きだと知って渡しただけかもしれない。」
エリオットJr.がディアナも女の子も欲しかったという話をしていたので、少し女子に近いところがあるシューに貢ぎたいだけと言われればそれまでだが。
「それが使えるか検証するか。俺もちょっと考えてみよう。光は使えないが理論ならなんとなくわかったしな。」
お前のおかげでなとミカはニコニコと笑った。




