【番外編】Forget me.
But remember me, please.
ディアナが彼女にあったのは、まだ彼女が金髪の頃だった。
「はじめまして、アルビオン伯爵夫人。」
「ディアナ、彼女はアルビオン魔法研究所の優秀な研究員だ。何かがあれば彼女を頼るといい。」
その頃はまだエリオットは公爵ではなく、次期領主としてアルビオンの城で執事のマーリンと共に領地を経営していた。そのエリオットから直接紹介されたのがエリザベス・ノーランド。身分で言えばお茶会には呼べないくらいの下級貴族の出身だった。
「ええ、よろしくお願いしますね、エリザベス。」
「ふふ、この国はエリザベスという名前が多いので良ければリズと呼んで頂けると嬉しいわ。」
「ええ、リズ。私のことは伯爵夫人ではなく、ディアナと呼んでくださると嬉しいです。」
「是非、喜んで。」
2人の女性の和やかな様子を見ながら、エリオットは普段動かなさない表情を珍しく崩した。
「ノーランド女史、ディアナは学院ではとても優秀な成績を修めていたから、何か貴女の研究の役に立つかもしれない。」
「あら、流石は伯爵様。奥様に学歴を求めたのね。」
「人聞きが悪い。これでも、一緒に領地を治められる人だと頼んで来てもらったんだ。」
「大事だものね、領地のことが。いいわ、薄情な伯爵様に代わって、私が奥様のことを大切にさせて頂きます。」
ディアナにはその研究員エリザベスと夫のエリオットの仲の良さは少し異常に見えた。しかし、エリオットはずっとディアナの肩を抱いていたし、エリザベスは本当に穏やかな顔をしていたのだ。男女の仲というよりは、姉と弟のようだ。
エリオットが仕事だからとサルーンを出て行った後、エリザベスはディアナの手を握った。
「私も男には好かれないから人のこと言えないけれども、あの男はほんっとうに人の心知らないから気をつけて。着いて早々私を貴女に紹介するなんて、あったま可笑しいのよ。」
「え、ええ。でも、あの人は私に気の合いそうな女性を紹介すると…。」
オルレアンではオルレアン国王の前で結婚を誓ったが、アルビオンでの挙式はまだだった。これから、結婚準備するというよりも前にエリオットはディアナにエリザベスを紹介したのだ。
「確かにエルからすれば、知らない国に嫁いだ貴女のために友人として紹介したのだろうけれども。でも、普通夫と仲の良さそうな女を紹介されたら嫌でしょ。」
「ま、まあ確かに、少し疑いましたが。」
「だよねぇ。アルビオン公爵夫人に紹介されたらまだ違ったでしょうに。」
「…でも、仲は良いんですよね?」
「マトモに私に話しかける人間は確かにエルくらいだけど、仲良いとは思いたくないわ。あの人、私の研究にしか興味ないんだもの。話していればわかるわ。」
エリザベスはとても明るくてはっきりと物を申す女性で、ディアナは彼女のことを一眼で気に入った。しかし、そのような彼女がまさか魔女だと恐れられているとはディアナも知らなかった。エリザベスが出て行った後、ディアナ付きの侍女はエリザベスのことを不気味な女と口汚く罵った。
「そのように人を罵るものではないですよ。」
「申し訳ございません。過ぎた真似をいたしました。」
ディアナの忠告に彼女は謝罪したが、どこか納得はしてなさそうだ。結局オルレアンの侯爵家から嫁いできたディアナはここでは「異端児」でしかないのだ。執事や侍女も事務的で素っ気がなくて、エリザベスの気軽さがすでに懐かしかった。
「エリザベス・ノーランド女史、貴女は何の研究をされているの?」
「これはこれはアルビオン伯爵夫人、とても寂しいわ。」
「ふふ、ごめんなさい、リズ。」
「いいえ、私の城に来てくれるなんてとても幸せよ。」
ディアナは無理を言ってアルビオン魔法研究所のエリザベスの研究室まで来たのだが、エリザベスの部屋は光のささない研究所の隅で、ジメジメとしてカビ臭く、助手などおらずそこらかしこに無造作に魔導書や研究資料に置かれ、机には変なカラフルな液体が入った試験管やビーカーがいくつも並んでいた。
「とても賑やかなところですわね。」
「あはは、そうよね。片付けるの苦手なの。ご飯も食べるのを忘れてしまうくらいで、偶に家人が確認しに来るのよ。」
「他の研究員が来てくれないの?」
「皆私のことが怖いから来ないわ。来るのは兄様が私が変なことをしないように確認のために派遣した家人だけ。」
エリザベスは椅子に置かれた資料を退かして、ディアナをそこに座らせた。
「お茶を出すわ、待ってて。」
彼女は青い光る小さな球を棚から取り出すと一言何か唱えると、その青い球から水が溢れ出て、茶器に注いだ。
「珍しいものね。」
「これは私が開発した水の出る玉なんだけど、実用するには成功率は高くないのよね。」
「へぇ、でも、これがあれば絹の道を歩くのも怖くないですわね。」
「でしょ?誰も協力してくれないから頑張って1人でやっているのだけれども、1人でやるには限界があるわ。」
染めていない金色の髪をくるくると遊びながら、ため息をついた。薄い茶の瞳はどこか悲しそうだった。
「怖がっているって、貴女の研究はそれほど恐ろしいものなの。旦那様はとても興味を示していますが。」
「兄様に言わせると、私は残酷な子供なのですって。」
「そうなんですか。」
「私はただ誰もが幸せに生きれるような、誰もが苦しくないようなそんな国になればいいと思って研究しているのよ。…誰でも綺麗な水を飲んで、誰でも治癒魔法を受けられて、そんな国になれば良いと。…誰でも精霊の力を借りられるようになれればと。」
「…まさか、精霊の、研究?」
「その、まさかよ。どう、恐ろしい?」
饒舌な彼女が怖々とディアナに尋ねた。禁忌とは言われているし、魔法学院を優等生として卒業したディアナは精霊の恐ろしさもよく知っている。
「程々にしてくださいね。」
「別に結婚したいわけでもないし、悲しむ友達がいるわけでもないからね。」
いつもは強気な美しい形の瞳が力がなかった。
「酷いです、私は貴女の友達にはなれなかったのですね。」
「…ディアナ。これは本当に貴女のことを思っての忠告よ。私とは関わらない方がいいわ。」
「それは私が決めることです。リズがひどいことを私にしないなら、私は貴女のお友達ですよ。」
魔法学院にいた頃、どうしても同い年の女性と反りが合わなかった。お洒落や妙齢の男性に興味を示さず、ずっと勉強ばかりしていたから面白くもなかったのだ。オマケにダンスは下手くそだし、刺繍も下手くそ。当時の女性観では全く魅力のない女だった。
「しないわ。嫌がらせをするほど暇じゃないの。」
「なら、いいでしょう。」
エリザベスはその形のいい目を見開いて、少しだけ涙ぐみ、
「ええ、貴女の望むままに。」
インクで汚れた手でディアナの白い手を掴むと口づけをした。