12歳の主治医
長い幕間。
夢を見た。優しそうな男性に抱き締められて、「偉いね」と誉められた。
なにもしてないのに、その男性が来るのを大人しく待っていただけなのに。
ずるい。ずるい。シューだってずっと待っていたのに。
大きくなった美代子は健康そのものだったが、幼い頃はよく風邪を拗らせて入退院を繰り返した。両親は共働きで、時間を作っては美代子に会いに来てくれたけれど、やはり寂しかった。子供だから癇癪も起こしたこともあるが、それほど我が儘を言ったことはない。何故なら、美代子は寂しさを紛らわす方法を見つけていたからだ。人がいないから寂しいのなら、他に頼る人を見つければ良いのだ。小難しい言い方をしたが、ただ看護師たちと仲良くさせてもらっていただけだ。 だから、後に彼女は看護師になった。
でも、シューには彼女のように、他人を頼れば良いという発想は出てこなかった。シューがまだ何も分からない頃、闇属性を意味嫌う使用人たちからは、執拗な嫌がらせ、虐待、犯罪として罪に問われるほどのことをされた。中には泣きながら「アルバート家繁栄の為だから」と首を絞められたことすらあった。
父親は何がしたいのかよく分からない。
そうしてシューを害した使用人たちは軒並み追放されている。だから、シューは使用人たちを虐めることで父親の反応を見ていた。そのとき、彼は何もしなかった。叱責することもなく、虐められた使用人たちに謝罪をすることもなく、出ていくなら勝手に出ていけと言うように、彼は何もしなかった。
行為はエスカレートし、いつの間にか目的は入れ換わった。最初からただ人間が嫌いだったかのように振る舞い、そして、夏休みに蟻の巣を壊して楽しむ残酷な小学生のようにシューは人を壊していた。シューの心もすでに歪に曲がって壊れていた。
「はぁ、つまらねえな。」
「悪魔の癖に。」
醜悪な姿をした悪魔は、血の海の上にたつ少年を見て嘆くように苦笑いを浮かべる。
「前はすっごい面白かったのによぉ。」
「君が望んだんでしょ。だから、僕を助けた。」
「俺様は面白れぇもんが見てぇ、それだけだっつーの。」
人の失敗した姿を見ては大笑いしていた性格の悪いこの悪魔が、何故か泣きそうに笑っていた。
全身が汗だくになった気持ち悪さを感じて、シューは飛び起きた。粗末なベッドと亀裂の走るシンプルな部屋の壁を見て自分が神殿にいたことを思い出して安心した。
あれは未來だ。
シューの一人称視点なんてゲームでは出てこないし、あんなものが回想シーンで出てきてないが、シューにはそう断言できた。
「起きたか。」
「シュー、大丈夫ですか!」
シューが悪夢のせいで呆けていると新緑の目をした精悍な顔つきの男、ウィリアムがカーティスと共に部屋に入ってきた。途中から意識が朦朧としていたから不安だったが、ウィリアムの顔色は随分よくなっているし、毒の後遺症があるようには見受けられないようで安堵した。それなら何故回復したのにまだ神殿にいるのかが分からなくて首を傾げた。
「あ、えーっと、ジョーンズ様?」
「ウィリアムでいい。…もしくは愛称で呼んでもいい。」
「ウィル様?」
オズワルドとの関係を知らないシューは、一番最初に思い付いた名前を呼んで、ウィリアムが残念そうな顔をしたのか分かるはずもなかった。
「…ビル様って呼びます。」
その呼び方が嫌だったのかもしれないと違う呼び方を考える。どこかの国の大統領が同じ名前でこの愛称だったはずだから、愛称としては悪いということもないはずだろう。
「どうしてここに?」
「…礼をしたくてな。倒れてまで助けてくれたのだから、何か、と。」
窓の外を確認すると、既に真っ暗だった。
「あの、学校は?」
オズワルドは月の半分ほどタウンハウスから通っているが、学院は一応全寮制なので特別な事情がない限りウィリアムは学院の寮で暮らしていたはずだ。回復したのなら、寮に戻っていると思っていた。
「大事をとって、神殿にいさせてもらっている。こちらの方が詳しいから。」
それはどうだろう。ティキが魔族に詳しかったから、シューもすぐに治療を行えたが、彼がいなければ今頃ウィリアムは死んでいたかもしれない。クラウス神殿長だって、ルルのことを訝しそうに見ていたけれども、ルルの知識が必要だと判断してなにも言わなかった。
「何か礼をしたかったが、なにかあるか?…とはいってもアルバート家の者に言うのも烏滸がましい気がするが。」
「お礼?」
神殿仕えとしての職務を全うしたに過ぎないから、お礼なら神殿にするべきだろう。困ったように窓の外を見て、また夜であることに気づいて声に出すつもりはなかったのだが、
「あ!しまった…、調べものしたかったのになぁ。」
修練の時間にアンゲルフレダーマウスについて調べるつもりで、しかし、その時間も無くなって夜の時間で調べたかったが、これでは無理だと情けない声が出た。
「その調べものに協力できないだろうか?」
独り言のつもりだったが、ウィリアムは有り難い申し出をしてくれた。調べものなら手は多い方が助かる。
「アンゲルフレダーマウスをどうにか調べたかったんだよねぇ、…ですよね!」
「敬語は無くてもいい。むしろ、本来ならこちらが使うべきだった。失礼しました。」
ウィリアムが申し訳ないと頭を下げる。ウィリアムはあまり人とたくさん話す質ではないから、つい忘れてしまうのだろう。シューも気が抜ければすぐに忘れてしまう。
「うん、面倒だから普通に話そうよ。」
シューが念を押すように言うと、彼は驚きつつも懐かしさを感じながら嬉しそうに頷いた。
「それでさっきのアンゲルフレダーマウスの件だが。」
「やっぱり難しいよねぇ。アンゲル山のものだし。。」
「可能だ。」
「うんうん、難し…?え?」
シューの転移魔法の範囲外なんてどうしようかと考えていたところだった。
「どういうこと?」
「学院で観察用にアンゲルフレダーマウスを飼っているから一匹くらい持ってこれる。」
「許可もらえるの?」
「俺には難しいかもしれないが、親友に権力者の息子がいてな。」
権力者の息子ではないウィリアムだったが、その彼に協力を得られること
を疑うようでもない。
「死なせちゃだめだよね?死なせないように頑張っても、僕動物飼ったことないから…。」
実際は実験途中に死んでしまう可能性が高いのだが、それを言及するのは止めた。
「元々死にやすいらしい。不慮の事故なら仕方ないだろう。何故必要なのか聞いてもいいのか?」
「うん、アンゲルフレダーマウスの目の構造に興味があって。」
今朝初めて診た患者が足を骨折し動けないという話と、アンゲルフレダーマウスが特殊な目を持っていることを伝えるとウィリアムは感心していた。
「なるほどな。分かった。明日すぐに持ってくるとする。」
「本当! 嬉しいな。」
情けは人のためならずとはよく言ったものだ。攻略対象が死んでしまうと、ハッピーエンドのシナリオが破綻する恐れがあったから助けたかったという下心もあったが、予想外にいい方向に転がった。シューはいつになく楽しそうに鼻歌を歌っていて、ベッドの下にずっといたティキはつまらそうに足で頭をかく。
「…オズワルドとはあまり仲が良くなかったのか。」
突然、ウィリアムは話を切り替えた。ウィリアムには、シューの様子とオズワルドの普段の様子がたぶってみえたのだ。本当に仲が悪かったのかと疑うほどだ。
「オズ兄様?何故?」
「俺はオズワルドには良くして貰っている。」
「そうなの?」
そうだったかと美代子の記憶をフル動員で働かせる。けれども、全く思い出せない。どうしても現実の人間は思考して動いているせいか、ゲームとは違うところが出てきている。これからゲーム知識に頼りきりになるのはよくなさそうだ。
「あ、ああ…。オズワルドから聞いてないか?」
「聞いてないよ。オズ兄様もお忙しいから、あまり話せて居ないんだ。…お兄様と仲がいいの?」
と聞くと彼は首を傾げた。
「よく話を聞く仲だが、それくらいだ。」
オズワルドは凄く社交的な人間で、ウィリアム以外とも色んな人間と付き合っているし、多くの人たちと外出もしているが、ウィリアムはあまりそういうことが得意ではないから学院で会ったら話す位の関係性だ。それでも、ウィリアムにとっては重要な人物なのだ。シューにもなんとなくではあるが、それが伝わったてきた。
「オズ兄様と仲良くしてくれてありがとう。」
ゲームの知識が無くても、実際にウィリアムと話してみると、相手を慮って言葉を選ぶ姿などから彼が誠実な人で優しいということが伝わってくる。腹の探り合いの多い彼からすれば、ウィリアムの存在がどんなに貴重かは、シューにだって分かる。
「礼を言うのはこちらの方だ。」
こういうところが恐らくあの兄は気に入ったのだろう。それが嬉しい反面シューには妬ましくもある。急に悲しくなってきて、シューは布団を被った。
「今日はもう遅いから眠るよ。」
「ああ、済まない。遅い時間に失礼した。」
ジェットコースターのように変化する子供の気持ちにきっと彼は戸惑っているのだろう。けれど、弁解することも出来なくてそのまま彼が出ていく扉の音を聞いていた。
「…おやすみなさい、シュー。」
傍で控えていた忠実な従者の声を聞きながら、元々疲れていたこともあってすぐに眠った。
明くる日、再びカーティスの呼び声で目を覚ました。時計という立派なものが無いのによくいつもきっちりと起きられるカーティスを尊敬する。
そもそもこの世界は神殿の水時計や日時計に頼りきりで、市民たちは神殿の15分置きの鐘の音で時間を把握しているから、神殿の鐘つき担当が間違えれば皆時間を間違える。
「おはよう、カート。」
「朝の祈りの時間には早いですが余裕をもって起こしました。」
朝と言ってもまだ太陽よりも早い時間だ。眠くてぼうっと呆けてしまうそのシューにカーティスは手早く服を着替えさせる。
「昨日のうちにアレンさんから、今日も農作業の代わりに奉仕作業の方をと。」
「はあい。」
「修練の時間は昼寝の後を使って良いとのことでした。修練の時間の前にジョーンズ様がお見えになります。」
そこできちんとシューは覚醒して、目をぱちくりと瞬かせた。それがカーティスは不興を買ったと思ってしまい、不安そうな顔をした。
「あの、嫌でしたか?」
「ううん、違うよ。」
いつの間にかカーティスが従者としての力を発揮していることに驚いたのだ。彼は自分より頭2つ分以上背も高いし年齢も2つ年上なのに、護衛なのにシューを置いていったりすることもあって、彼を下に見ていたからそうやってしてくれるのが意外だった。
「助かるよ。あんまり人との予定とか覚えてられないから。」
「それは側仕えの仕事なのでお任せください。」
「護衛に、予定の管理なんて仕事のしすぎじゃないかな。」
「シューの仕事に比べれば、なんてことありません。」
そう言う彼はいつになく生き生きしていて、彼は貴族として民の上に立つよりも人を支える事が得意なのだろう。フットマンの仕事は天職だったに違いない。
「できるなら任せる。」
尊大な言い回しだったが、彼はとても嬉しそうだった。シューは楽しそうにシューの服を片付けている彼を横目に見ながら気を引き締めようと頬を叩いた。
どんなに彼がシューの味方で居たとしても、アルバート家の使用人でしかない。エリオットーーーどちらであってもーーーの持ち駒で、簡単にシューから取り上げられてしまうのだから。
祈りの時間に遅刻することなく聖堂に入ると、中にいた人間たちから視線を浴びた。昨日まではアルバート家の子供として、面倒事に巻き込まれないようにと平静を保っていた人間ですら、シューのことを奇異の目で見てきたのだ。
「これってどういうこと?」
「私の言葉で良ければ説明すると。」
と、言いながらカーティスはうんうんと唸る。
「君が言葉が得意ではないことを知っているから、直球で言ってくれないかな?『君には』憤らないからさ。」
事実カーティスは悪くないから、怒る理由も無いのだが。
「シューが12歳なのに、難しい毒を解毒したから、畏怖しているのだと思います。」
恐らく「12歳なのに」が重要なところだろう。
「…難しい、ね。」
それは光属性の回復魔法しか知らないから、そう感じるのだ。シューは闇属性の知識として、毒の性質、構造に詳しいし、人体がどのようになっているのかもよく知っている。科学なんて無くたって、原因が分かれば対処だって簡単にできることくらい、誰でも分かる筈だ。
「皆が捨てなければ、簡単にできるのにね。」
「それはどういう?」
「さあ席につこうか。」
美代子はふと「これは12歳の発想だろうか」と疑問に思った。シューの心はシュー自身がそう思っているのだからと言っている。置かれた環境が人を作ると思う。美代子の世界でも16歳から社会人として働いている人間と26歳から働いている人間の価値観は全く違う。シューが昔から誰にも心を許せない環境に発想が大人らしくなったのなら、決して可笑しくはないのだとシューは自分で結論づけた。
「シュー、どうかしましたか?」
「問題ない。」
自分に答えるように、カーティスに返答する。すると、彼は何か言いたげにシューを見つめてくる。
「まず言葉にして欲しいな。」
心中を察する能力など、他人のことをどうでもいいと思っていたシューにあるはずなどない。
「いえ、同じアルバート家に仕える使用人のことを思い出して。」
「それは僕も知っている人なのかな?」
「ランドリーメイドなので、シューは知らないです。フットマンの中でも私が一番下として他の下級使用人との連絡係をして知ったくらいですから。」
「それが今なんで僕に繋がるのかなあ。」
「繋がる、と言いますか。彼女もシューと同い年で、つい最近雇用されました。彼女を養育していたお婆さんが腰を悪くして、お金に困って奉公に出されたのです覚悟を決めた彼女でしたが、ホームシックでよく泣いていました。」
美代子が思ったようにカーティスもシューのことを大人びているなと感じているのだ。ランドリーメイドは子供らしく親元を離れたことが寂しいと日々枕を濡らしているがけれども、シューはこうして何事もないように生きている。
「あの家が嫌いな僕がホームシックにかかるはずなんてないし、泣く意味なんてない。」
「泣いたところで現状は変わりませんから、ね。」
カーティスのことだから、もっと泣いていいというのかと思ったが、予想外に共感されてシューは何も言えずにいたら、いつのまにか祈りの時間が始まっていてうやむやになった。
「冒険者さん、おはよう。」
奉仕作業の時間になって、神殿の医院で最初に声を掛けたのは、昨日最初に面倒をみた足の骨を折った冒険者だった。祈りの時間は具合が悪いとシューから離れたフアナとルルもいつのまにか足元と肩にいた。
「お、昨日の小僧!」
「無理に動いてないですよね?」
「お前が俺に動かないようにロック(魔法)かけたんだろうが。」
「脳筋ぽかったから、気合で魔法解いたとかやりかねないと思った。」
「昨日の今日でひでえ言いよう…。」
シューの言葉に本気でショックを受けたように、彼は落ち込んだ。シューはあったことないタイプの人間に戸惑い、カーティスに頼んで動けない彼の世話をしてもらうのを見ていた。
「そうだ、お前旅に出てみないか!」
カーティスが彼の身体を拭き終わって別の人のところへ行こうとしたとき、彼に声を掛けられた。
「それって君のパーティに誘っている?」
「ああ、ちっこいのに魔法がすっげえ得意そうだし、なによりいいやつっぽいからな。」
きらきらと輝いている彼は本気でそう思っているようだった。それがとてもシューにはまぶしすぎて、目を細めた。
「君、僕が誰だと思ってそう言っている?」
「ん?すげえやつ。」
なにも知らない癖に、よくそう思えるものだと、ため息ついた。
「シュー・アルバート。君みたいな人間が容易くパーティに誘える身分じゃないよ。」
「…アルバート?」
男はとんだ田舎者なのか、頭を悩ませて必死に思い出そうとしていた。シューは馬鹿らしくなって男から離れて別の患者の方へ向かった。
「シュー、なんであの人のところへ?」
「一応僕が主治医でしょ。」
「担当分けでは確かにそうなのですが。」
ただ治療しないのであれば、看護する人間はまた別なので会いに行く必要はない。実際カーティスが彼の世話をしていたから、シューがいる必要はなかった。
「僕が冒険者にあこがれてるって思った?」
「あはは…、良くも悪くも彼らは『自由』ですし、シューは『自由』な社会でもやっていける人だと思うから。」
「随分な高評価。…そうだね、その道に進むことも考えてみるよ。」
ルルが暇そうにあくびをしていた。
カーティスくんの「シュー、…。」というのは口癖というより、英語っぽいイメージでお願いします。