罪人
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「現在の状況は?」
シューが焦燥と悲壮で溢れた部屋に入ると、すぐさま近くの人間に声をかけた。
「王宮魔道士が回復魔法をかけてますが、効果は出ず。」
シューと殆ど違わないくらいで彼女の2人の兄が駆けつけた。セルジュの顔を初めて見たが、マリアンヌと似たうつぶし色の目と髪色が優しげだが、今は翳っている。
「…マリアンヌを咬んだ毒蛇は?」
「既に駆除されていますが…。」
「死骸は残ってる?」
王宮の優秀な魔道士が治せていないのなら、まずは毒の解明だ。本来なら『待った』なんてすることが許されない状況だが、ここにはマリアンとアポロンの加護を持ったシャルルがいる。
「マリアン。」
シューは未だしっかりとした魔法が使えないマリアンに、ただ祈るように指示を出す。彼女の手を握って彼女の魔法の力を引き出すと手を離した。
「シャルルさん。」
「なんだい?」
「シャルルさんもアポロンの力を借りながら、アンヌの為に祈ってください。」
「ええ、勿論。」
シャルルもマリアンも信用してくれている。元々失敗してもいい、治癒・回復魔法なんてないが、シューの精神の安寧のためにも絶対に失敗はできない。
「シュー・アルバート卿。毒蛇の死骸をお持ちしましたが…。」
「ありがとうございます。」
一体何のために使うのかという疑念の目を向けられるから、目の前の近衛兵にわざとらしく言う。
「どんな毒蛇なのか、どのような毒なのかが把握できれば、回復魔法も簡単になりますから、助かります。」
治癒・回復魔法がかけられないと言う状況で血清打つことだってあるから分かるだろうが、王宮で『守られている』方は反応が悪い。でも、そういった知識が少しでもある方には伝わっているようだから、今は十分だ。
彼が持ってきたのは、大きさとして0.5メートル程度だが、赤と黒の鱗に、奇妙な片翼がついている。
毒についてはある程度闇の魔導書に書いてあり、その毒を持つ動物や植物も詳細に書いてある魔導書も所持しているが、直ぐにその毒蛇は思い出せなかった。
「…なんだ、この蛇。」
シューが呟いたその時あの事を思い出した。
ーーーああ、こりゃあハンティング・ホラーに咬まれたな。
神殿に担ぎ込まれた、呼吸が荒く至る所に内出血が起こっていたウィリアム。光の神殿以外にもシューの存在が知られるようになったあの事件。ウィリアムを殺そうとした犯人は未だ捕まっていない。
「…ありがとう。」
毒蛇なんて暗殺するには確実な手段じゃない。ウィリアムが毒蛇と戦ったのは、彼が騎士隊に所属していたから。そして、咬まれたのはオズワルドを庇ったせいだ。
それでも、シューには誰かがゲームの主要人物を殺しに来ているように思えてならなかった。
シューは疑念を抱きながら、マリアンとシャルルの魔法によって幾分か顔色が良くなったマリアンヌのそばに寄った。
「唆した罪人よ、知識を持ってハデスに恨まれても優しき心を持って他者を癒せ。」
シューの声が届いているはずのアルテミスは相変わらずシューの言葉を無視をしているが、一度は治したことがある毒だから、彼女に頼る必要もない。マリアンヌの書斎から出てきた時のような焦りもなく、ウィリアムを治した時ほどの疲労もなかった。しかも、シャルルとマリアンの魔法で毒の進行を遅くすることができている。シューが呪文を唱えると、マリアンヌはすぐに瞳をあけてゆっくりと上体を起こした。シャルルやセルジュ、侍女たちが無理をするなと言うがマリアンヌは首を振った。
「心配をおかけしました。皆様、ありがとうございます。」
皆の焦燥に比べて呆気なくマリアンヌは完全回復をした。
「マリアが無事で良かったです。シュー、本当にありがとう。」
「私からも感謝する。挨拶ができずすまない、私はセルジュ・ド・オルレアンだ。よろしく頼む。」
セルジュは先ほどまで厳しかった顔を緩めて、マリアンヌと似た顔で明るくシューに挨拶した。
「いえ、とんでもございません。シュー・アルバートです。」
「シューがいる時で本当よかった。」
シューは和かに対応しながら、考えているのは犯人はどういう人間か、だった。
「アンヌ、起きて早々悪いけど、毒蛇を持ち込んだ人とかって分かったりする?」
「え、いえ…、怪しい人はいらっしゃらなかったと思います。」
マリアンヌはゆっくり考えたが、思い当たらず、側で護衛していた人間も首を振った。
「王女殿下の周りにいる人間はとても古くからお仕えしている者のみです。怪しいものとは…。」
シューを案内した兵士がマリアンを睨んだ。
「…一番そこの娘が考えられるのでは。」
確かに今一番王城内で卑しい身分は誰かと問われればそれはマリアンとアンドリューだが。
「それは僕とマリアンヌを馬鹿にしているのかな?」
彼女たちを連れてきたのはシューとマリアンヌで、王と宰相の謁見し許可も得ている。それに事件発生している時間シューがマリアンとアンドリューと共にいるし、それ以外の時は信頼のおけるマリアンヌの部屋付きの侍女たちがいたのだ。シューが睨みつけ、マリアンヌも同意を示した。
「…そうです。マリアンとアンドリューができるはずありません。」
マリアンヌとシューに庇われたら、後言い募ることができるのは2人の王子しかおらず、2人は何も言わなかったので、誰も言い出せることがなかった。何も進展しない状況にシューは眉を顰めた。
「…こんなことにかかずらうのは嫌です。僕は絶対に犯人を見つけ出します。忙しいのは重々承知ですが、誰か騎士団のエリオットJr.・アルバート隊長がどこにいるかご存知ですか。」
「アルビオン伯爵ですか?」
近衛兵たちは困惑していたが、一番年若(もちろんシューよりは年上)の兵士が使いに走ってくれた。王宮内の事件だから本当なら近衛の人間で事態に当たりたいのだろうが、誰もシューを止める事はしなかった。
「それなら私も共にゆきましょう。」
「シャルルお兄様、王太子が奔放に動かれるのはどうかと思いますが?未だ犯人は捕まっておりませんのに。」
セルジュがシャルルを止めるが、シャルルはにっこりと微笑み有無を言わせなかった。記憶が朧げだが、ゲームだとセルジュもシャルルにかなり強気に話していた気がしていたが、関係性はかなり違うらしい。
王宮はこの国で一番セキュリティが高い場所だし、ウィリアムの事件があった王立魔法学院も騎士隊という志の高い自主組織と最先端の魔法を研究する教師達によって結界が張られている王国内でもトップクラスのセキュリティだ。
それを気付かれずに突破できるなんてほとんどない。
ただシューはかつて高度魔法技術で展開された結界を潜り抜けた記憶がある。方法は至って原始的だ。わざわざ魔法を消すこともない。入り口の衛兵に1週間くらい猫の姿で媚を売っていただけだ。警戒が解けたところで彼の手から逃れて中に侵入した。悪魔ならもっと簡単だ。出入りする人間にとり憑けばばいい。悪魔なんて会うものじゃないが、ティキが死んだ今同じ種類の人間に会いたくなった。
エリオットJr.とコンタクトが取れたと若い近衛兵が戻ってきて、シャルルとシューは護衛と側仕えを連れて騎士団の方は向かった。
同じ王宮とはいっても、こちらは王族たちが住う場所で、騎士団の場所はかなり遠い。シャルルは黙り込んでしまったシューを気を遣ってか、話しかけてきた。
「シュー、私は君がマリアンヌのために怒っていることも、犯人を見つけたいと考えていることも理解できますし、また有難いことだと思います。しかし、ここはオルレアンの王宮です。神殿でも、アルバートの屋敷でもありません。」
噛まれたのがマリアンヌではなく、エリオットJr.やシューだったとしても宰相閣下は近衛騎士団に事件解明を急げと命じるだけだ。それは宰相閣下が非道だからや興味がないからとかではなくて、ただ身の程を弁えているからだ。
「僕が犯人を探すなんて馬鹿げていることだというのも、アルバートの人間が出しゃばってはいけないことだって分かってはいるんです。」
でも、ウィリアムが咬まれてから何ヶ月経った。そして、次はマリアンヌが命を脅かされた。「ウィリアム・ジョーンズ卿や王女殿下が咬まれた時の現場は知りませんし、同じ蛇かどうかも判断できません。でも、毒は同じでした。」
シューがゲーム要素を除いた現在考えていることをシャルルに全て話した。
「…そうでしたね。ウィリアムが咬まれた際助けたのは貴方でした。」
「王女殿下を咬んだ蛇は0.5メートル程でしたが、ビル様を咬んだ蛇は咬まれた傷口から見ても口の大きさたけで0.3メートルはありましたから、普通に考えたら別種かもしれませんが。それでも、『同一犯が蛇を持ち込んだ、あるいは侵入させたのでは』と疑っています。次毒蛇に咬まれるのは僕の兄かもしれませんし、シャルルさんかもしれないんです。その時、僕が間に合うかどうか分かりません。」
「来月から暫くアルビオンに行かれるのでしたね。もしまた王宮か学院で事件が起きたればアルビオンまで伝令に走っている間に亡くなってしまいますね。」
分かりづらい言葉だったと自省していたが、シューの懸念をシャルルは正しく受け取ってくれたようだ。とはいってもシューの懸念を理解してくれただけで、許可するとまでは言えない。それはやはり、シューが子供であること以上に、どんなにオルレアンに尽くしていても、所詮アルバートの人間だからだ。
「でも、リオならもう少し上手く話を通してくれるかもしれませんね。」
「ごめんなさい、僕は感情論しか言えなくて。」
「いいんですよ、友人でしょう。私もよくリオに指摘されますから、人のこと言えません。」
友人だと言われて驚いた。エリオットJr.やオズワルドがいなければまともに話したことがないのに。
「これだけは伝えたいのです。私もまだ若輩者ですから、周りを頼ります。私よりももっと若い貴方は私以上に周りを頼ってください。」
「頼ってますよ。」
後ろからついてくるカーティスにチラリと視線を送ると彼は微妙な苦笑いした。
しかし、特にエリオットJr.には、自分自身を庇護してもらうようにお願いをしていたり、シューのために騎士団を辞めたニーナについてもお願いしているし、カーティスにはおんぶに抱っこで身の回りの世話を頼んでいる。美代子を取り戻す前には全くしなかったことだ。
「自分から毒蛇の犯人捕まえます、なんて普通公爵家の人間は言いませんよ。」
「自分の弟に部下全員つけて、一人で戦場の前線に駆け出した次期公爵様を僕は知っていますが。」
こうして発言してみるとシューよりも酷いじゃないか。シャルルもああと嘆くように肩を竦めた。
「次期領主の癖に、戦闘狂なところありますから。」
エリオットJr.を擁護するなら、『自分が前線に出た方が早く片付き、犠牲が少ない』と判断したからにすぎないのでシューのような独りよがりとは違うのだが。
騎士団の来客室にまで到着すると、もう退団が1週間後に迫っていたクリストファーが出迎えた。クリストファーはシューと一緒にシャルルが居たのにおやと驚いた。
「あれ、シャルルも来たんだね。」
「気になったものですから。」
「さすが優しいね。」
「クリストファーも今忙しいのでは?」
「大体の引き継ぎは終わったから、気楽なものさ。それに貴人を迎えるのも副隊長の立派な仕事なのでね。」
「貴人という割には気安く話してるじゃないですか。」
「申し訳ございません、殿下。」
クリストファーはシャルルのことが苦手だと話していた割に、親しそうに話していた。クリストファーとエリオットJr.が親友なら、エリオットJr.と仲がいいシャルルとも苦手とはいってもそれなりの仲ではあるのだろう。
「ああ、アルバート隊長は中でお待ちですよ。」
クリストファーはシューの方を見て仰々しく挨拶するので鳥肌が立った。
「クリスさんにそう言われるのは気持ち悪い。」
「ごめんごめん。エルは今休憩時間だから、好きに喋っていくといいよ。」
「前と休憩時間変わったんだね。」
「そうだよ、今日はイスコの妹様の誕生日でね。」
全く関係のない、明らかな嘘だとシューは分かったがもう言わなかった。
中へ入ると奥のソファにエリオットJr.は本を読み、お茶を飲みながら待っていた。シャルルを見ると彼は労いの言葉をかけた。
「王太子殿下、この度は王女殿下が大変な事件に遭われて。」
「今はそういうのなしにしましょう。」
「これでも本心だぞ。既に全ての門は閉められているし、中にいる人間が外に出た形跡はないそうた。下級使用人や業者に至るまで全てストップさせているが。」
「分かっています。誰かが使役していたとしても王宮の結界には通れませんし、あと考えられるのは。」
シャルルが言いかけた途中で、シューは口を挟んだ。
「悪魔か、闇属性か闇属性並みに闇魔法が使える人族のどれかだと思います。」
「悪魔はともかく、闇属性の人族ですか?」
「いくら高度な結界だとしても、人為的なミスは起こり得ます。例えば闇魔法で完璧に猫や犬になりきり、暫く野良の振りをして門番に懐いた振りをします。長い時間をかけて仲良くなれば相手が油断をして中に入れるチャンスができると思います。これだと時間はかかりますが、危険を犯さず侵入できると思いますよ。」
「だから、人為的ミスか。…あとは、家族を人質にとられた、結界魔導士もあり得る話だ。」
そこまで話すとエリオットJr.はさっさと帰れというような手振りを示した。
「今、身分の低い者は門を通れないだろうから、俺が馬で屋敷まで送るから、帰れ。」
カーティスは厳戒態勢の門は通れないから、エリオットJr.がシューを護衛すると周りに指示をし始めた。しかし、シューはカーティスを置いていく気も勿論なく、そもそも毒蛇を連れてきた人間が捕まるまで帰る気はない。
「帰りません。まだ毒蛇がいないとも限りませんから、マリアンやシャルルさんがいるからといっても、まだ2人には治せない毒です。」
「なら、お前が咬まれたら誰も助けられないということだ。それならば今一番咬まれてはいけないのは王や王子、宰相でもなくお前だろう。」
エリオットJr.がシューのことを守ろうとしているのは分かる。
「エル兄様について行けば安全です。」
「…俺は直接探すというよりも、警備にあたるが?」
「それでもいいです。エル兄様の側にいて僕が咬まれるということは起こりませんから。」
彼は眉を顰める。
「何故お前はそれほどまでに俺を信用する?今まで何もしてなかった兄に。」
「エル兄様が何もしなかったのは、僕が何もしなかったから。エル兄様に抱っこしてって言ったら、文句を言いながらも抱っこしてくれただろうって今なら分かります。僕が絶対にエル兄様を殺させないから、エル兄様も絶対に僕を殺さないで。」
エリオットJr.もそうだが、シャルルとクリストファーも目を丸くした。それから、シャルルが何かを見つけたように納得した。
「シューのリオへの期待や盲信は、信頼というよりもただの願望であり精一杯の甘えです。リオ、『事実』じゃなくていいんです。」
「この国じゃあ大した地位のない俺が言うのも良くないけどさ、シャルルもこう言っているから、ちょっと犯人探しと弟くんの護衛してくれば?『俺は』エルと弟くんのコンビでどちらかが死ぬようなことはないって思うからね。騎士団の方の仕事は俺がやっておくしさ。」
クリストファーは、壁に立てかけていたエリオットJr.の大剣を取り、ソファで座っている彼を立ち上がらせた。
シャルルが態とらしく手を叩いて、マリアンヌの元に戻らなくてはと護衛を引き連れて部屋を出て行ったのを見て、エリオットJr.は大きなため息をついた。
「よしよし、休憩も終わったし、業務に戻ろう。ああ、宰相閣下には話を通しておくから心配しなくていいよ。本当にね。」
クリストファーは最後に軽くシューの頭を撫でると部屋を出て行った。
「…分かっているとは思うが、ここはオルレアン王国の王宮だ。事実は同国であっても未だ他国という意識が強い貴族もいるから、好き勝手はできないからな。」
「気をつけます。」
気を引き締め、エリオットJr.から離れず周囲を警戒する。