I’m here because you’re here.
ティキ・シルヴィア シューを気に入っていた中級悪魔
エリオットJr.・アルバート
シューの一番上の兄、愛称はエル、リオ、エリー
アンドリュー・ホワイト
ヒロイン・マリアンの実兄
「俺も連れて行ってもらえませんか。」
マリアンが付いてくると決まって、長期滞在の用意もなかった為、一行は翌朝出立する準備を始めていたところだった。マリアンの兄、アンドリュー・ホワイトがマリアンヌに向かって頭を下げた。
「あら、どういたしましょう。働き口はありましたかしら。」
「アルバート家の屋敷は今募集はかけてない。でも、マリアンの兄なら光の家系だよ。保護対象にはなりえるよ。」
「読み書きができるのであれば、鍛冶屋ギルドでいい人がいればと仰ってました。」
トーレンが提案するとアンドリューは困ったように眉を顰めた。
「少し読めはしますが…書くのは。」
「この国の文字は表音文字ですから、旅すがら教えてあげますよ。」
「トーレンは無断欠勤しているから、クビになってない?」
「日中の鍛冶屋から突然消えましたし、シューが言付けしてくれれば親方は許してくれますよ。シューが言付けしてくれれば。」
「僕が君の為に動くと思う?」
「シューは私を餓死させる気なのですね。」
絶対に許さなかったとしても流石に今回のことはシューが巻き込んだこともあるので親方の方にはシューから説明はする気ではあるが、癪なのでつんとそっぽを向く。
「王女殿下さえ宜しければ私の方は連れて行っても構いませんが。」
「ええ、私は構いませんよ。」
クリストファーは念のためマリアンヌに尋ねるが、働き口の見込みが立つのならと簡単に了承した。急いでアンドリューは自分の荷を持ってくるとマリアンと一緒に荷馬車に乗り込んだ。
「はい、弟くんは帰りはこっちね。」
にこにことしながら、クリストファーはシューに手を差し出す。
「まだ怒ってますね。」
シューがテントに戻った時クリストファーが起きてしまい、魔法で治ったとはいえ血まみれの姿のシューを見てカンカンに怒った。怪しいと思ったことには早く言うことと、行動する時は責任者に言うことをタコができるほどに繰り返し説明されてしまった。
「当たり前。君に何かあったら、オルレアン王国にいられなくなるし、何よりエルに顔が合わせられなくなるんだよ。」
「エル兄様が大事なのって光魔法が使える人間でしょ。マリアンも見つかったし、あんまり気にしなくてもいいんじゃないかな。」
そういうとペチンとデコピンされた。
「そういうのはちゃんと本人から確認しなさい。頭が良くて察するのが得意だとしても、ちゃんと聞かなきゃ分からないこともある。エルが家族には格好つけるからいけないんだろうけどさ。」
クリストファーはシューを抱き上げて自分の馬に乗せて、しっかりと腕を回して後ろに座る。幼い子供を乗せる方法だが、シューの背の低さでは余裕だったのが少し悔しいが、そうしたのがクリストファーだから反発はしなかった。
「俺にもクソ生意気な弟がいるし、優秀で俺のこと目の敵にしている節があるし、俺も格好つけちゃうけど、だからって怪我したり病気したり傷ついていいなんて思わないよ。」
「クリスさんは優しいから。」
「はは、俺のことを買ってくれるなら、俺の親友ももう少し信じてやってほしいな。」
エリオットJr.のことを話すクリストファーは寂しげでもあった。もう少しで彼はオールセン伯爵となるため領地に戻らなければならず、毎日のように顔を合わせていた人たちとも、年に何回かしか会えなくなってしまうから。
「クリスさんが言うならもう少し考えます。」
馬上ではあるが、クリストファーの乗馬の腕もあり、荷馬車より楽だった。往路もシューが馬に乗りたいと言えばクリストファーは許してくれたのかもしれない。頼んでみても良かったと少し後悔した。
「弟くんは馬に乗り慣れてないっていうけど、怖がらないよね。」
「一人で乗ってないからです。特に初めて乗った時はエル兄様の馬でしたから、あの人が失敗するとは思えません。」
「そういうところはエルを信頼しているのが弟くんの可愛いところだよね。」
「…信頼、なんですかね。」
エリオットJr.の人格以外の部分は全く疑いの余地を入れてないだけだと思っているが、クリストファーは嬉しそうだった。
「君が光属性じゃなくて普通の子なら宰相閣下も隠さなかっただろうし、エルと君の関係が拗れる事もなかったと思うと、少し寂しいね。」
「エル兄様との誤解は解けた。今が全てですよ。」
「ふふ、俺は弟くんの前しか見ないところ好きだよ。カッコいい男だ。」
「クリスさんに好かれるのならこの性格も好きになれそうです。」
美代子はシューのことを嫌っているし、シューは自分の性格を認めてはいるが好きではない。それをクリストファーが褒めてくれるのは凄く嬉しいことだった。
「俺も弟くんが俺のことを褒めてくれるから、自分の性格が好きになれるよ。」
「光栄です。」
自分の存在で違う誰かの存在を肯定することができるなら、生きている意味が出てくるというものだ。
「オールセン伯領ケペンハウンは遠いですよね。」
「王都から1週間はかかるね。アルバート領北端から船で5日。」
「北端だと結局合わせて1週間と2日はかかりますね。」
「潮の流れで帰りはもう少しかかるかな。」
気軽に会えるレベルはとうに超えている。オールセン伯領は辺境伯という名が付いてないが、辺境伯と同じで国境である。アルビオンと同じくかつては独立した領地であった、オールセン伯領は王国の国境を守るという辺境伯とは少し意味合いが違う。
「エル兄様は、なんと話して。」
「あはは、頑張れとしか言われないよ。一応伯爵として夜会やらなんやらで会うだろう。全く会えないということじゃあないから。」
「…でも、きっとお兄様だって寂しがってます。僕の家は家というより社会的組織ですから。心休まる場所ではありません。僕は気楽に日々を過ごしてますが、特にエル兄様は完璧な伯爵なので。クリスさんの存在は貴重です。」
初めてクリストファーと会った日、クリストファーが朝の挨拶だけはしっかりとしなくてはとエリオットJr.に「アルビオン伯爵」と呼びかけてエリオットJr.はそれを嫌がっていた。それが全てだと思うのだ。
「でも、それも過去の話だよ。これからは2人ともちゃんと兄弟になれるさ。」
「そうだといいな。」
シューを嘲る昔の兄の冷たい目を思い出した。だが、それも過去の話。シューが森の中で動けなくなったところに、危険を顧みず一人で馬で駆けつけたエリオットJr.が今の兄だ。
「なれる。だって、シューはエルのことを尊敬しているし、エルはちゃんとシューのことを尊敬している。尊敬し合える人たちは仲良くなれるものなんだ。」
シューとエリオットJr.の関係を言い切ったクリストファーは寂しそうだった。
「…それでもやっぱりエル兄様とクリスさんは全然違う人なので、クリスさんに会いにくくなるのは寂しいです。」
「ありがとう。俺も王都にも弟ができたみたいで楽しかったから、会いにくくなるのは寂しいよ。」
クリストファーは上手に馬を操りながらシューの頭を撫でてくれた。スキンシップが激しい方ではないが、こうして触れてくれるのは嬉しい。
来た道を戻るところで違う山賊にもあったが、ウィリアムとニーナによって簡単にのされてしまった。健康とまでは称しないが、アキテーヌの街の人あまり変わりなさそうだと前のようにはシューはしなかった。
一行がアキテーヌの街に着いたのは日の入りの頃だった。
「ふぁあ、さっすがに疲れた。」
荷馬車の御者をしていたグイードが腰を叩いた。荷台にいた彼らも、いくらグイードの運転が上手かったとしても、取り繕うこともできずにうんざりとした表情で降りてきた。
「2日はこの街で休暇を取ろう。」
ここまで強行軍だった。メンバーは大分参っていたから、クリストファーがそういうと皆は手を叩いて喜んだ。
「気を張って護衛も疲れただろうし、半分半分で休んだらどうだろう。僕とアンヌがホテルから動かなければそれでいいよね。」
海賊が経営する高級ホテルも警備は万全だ。マリアンヌは自由に出歩けないのを惜しそうにしていたが下の者たちを気遣ってそれを許した。シューの側仕えであるカーティスやフィリップも交代で休むようにと伝えて、カーティスは心配そうではだったが、旅の疲労もあるため簡単に了承した。
マリアンヌとシューがホテルに戻り、先にしたことはマリアンを風呂に入れることだった。シューは男だから、レストルームの前まで背中を押すだけで、後はアンドリューにも風呂に入るように頼んだ。シューたちもここ2日風呂に入れてなかったが、まともな風呂もない農村部にいた二人はかなりの汚れがたまっていたし、若干ホテルマンたちにこのホテルに入れるなという目を向けられたからだ。
「カート、宜しく!」
「はい、任されました。」
慣れずに困っているアンドリューを、シューの世話で慣れているカーティスにお願いをする。
ボロボロで汚い服はシューが暖炉で燃やした。長年着ていた服だ。どんな雑菌や虫が溜まっているか恐ろしいからだ。代わりにアンドリューは年の割に小さかったし、カーティスもまた年の割に大きいこともあり、カーティスの服を着ることができた。
向こうではマリアンヌと侍女が1時間くらい頑張って野生児マリアンを風呂に入れ、いきなりコルセットが必要な服は無理だろうとマリアンヌは自身の替えの乗馬服を着せた。それから、綺麗になった髪を一生懸命梳いた。それだけでも十分野生児から少女に変わったが、シューは日に焼け皮がむけたり、吹き出物が出来ている肌が気になった。
「これからはレディになるんだ。大変だろうけど頑張ってね。」
貴族の男としてシューは聖女の前に傅くように手を取りキスをする。
「君の未来が幸福であらんことを。」
ただのホテルの一室が、まるで神聖な祭殿に変わったようだった。
「光の最高なる精霊アルテミスよ、例え汝が我を嫌うても声を聞いてくれ。我らの旅路の先に潜む闇を照らす導きの光とならん少女に、力を。」
キラキラと月明かりのような優しい光が辺りを照らし、シューとマリアンの眼前に月桂樹の冠と銀糸の髪を携え、全てを映し出さような銀の瞳をした美女が顕われた。シューが彼女をきちんと目をしたのはこれで2度目だ。
「…綺麗な人だなぁ。」
アルテミスと邂逅したマリアンは、大きな瞳を更に大きく開いて感嘆するように息を吐いた。
「私はアルテミス、光の精霊だ。初めまして、だな。」
シューが呼び出したが、アルテミスは思い切りシューに背を向ける。顕現させているのにシューの魔力も使っているくせにいい態度だ。彼の兄アポロンは拗ねているだけと話していたが、この力じゃなく精神的にくるような嫌がらせは精霊とはいえ女性らしいなと感じてしまう。
精霊を呼び出して、他者に精霊を仲介するというとんでもないことをしているにも関わらず、シューは何もしてないかのように、ホテルのソファに沈み込んだ。
「このただのホテルが物凄い神聖な場所のように感じていたのに、よくそんな顔で座れるね。」
例えアルテミスを見えていなくても、その聖なる光に包まれているのは分かるのだ。クリストファーは呆気にとられながら、シューの隣に座り膝掛けを手渡した。
「そんなんじゃないよ。アルテミスの性格の悪さに辟易してただけ。」
「おい、聞こえているぞ。クソ坊主。」
「お、僕の文句に答えてくれるようになった。」
シューが心底驚いたと反応すると彼女は大きく舌打ちをした。クリストファーに彼女の暴言が聞こえていないのが残念だった。
「覚えとけ、シュー。私はお前に負けたつもりはない。」
「は、勝負なんてしていたっけ?」
「都合よく忘れやがって。あのスピリットにでも聞け!」
そう吐き捨てるとアルテミスは帰ってしまった。精霊が居なくなり、誰も言葉を発しない静かな空間にシューは呟いた。
「…女子って分からない。」
真理亜は大きな声でツッコミを入れたかったが、流石に精霊の声も聞こえていたわけではないし、その空気感でいうこともできなかった。
すっかり綺麗な肌になったマリアンが首を傾げた。
「っていうかあれが『せーれー』?」
「そうだよ。ああ、そうか。マリアンは精霊というのを知らなかったね。」
「あの、キラキラしたのがせーれーだったのか。俺以外誰も見えてねえから、ゆーれーだと思ってた。サラもマルコもフレディも俺のことビビってたな。」
「そういうものなんだ。そして、精霊が見えるっていう人も自分と縁のある精霊しか見えてないよ。因みに今のは顕現させたから姿を見せていたけど、大体は声を届かせるだけだ。」
「声なぁ。死んだ母ちゃんだと思ってた。にいちゃんにそう言っちゃった。」
マリアンは申し訳なさそうにちらりと兄を見る。
「別に嘘をついたつもりなんてないのなら、君のお兄様は怒ることはないでしょ?」
「でも、寂しくさせたかも。」
どうだろうか。シューは側に立つカーティスに尋ねてみる。
「君は僕がルルの声が聞こえるって言ったらどうだろう。」
「…心配しますね。それから、どうにか支えてあげないと、と思います。」
亡くなった人の声が聞こえるといえば、寂しさから幻聴を聞いたと思うのが普通だろう。
「そっかぁ。」
マリアンは更に複雑そうな顔をした。フィリップはフアナを連れて休暇に出しているのをすこし後悔した。でも、兄が少しでも楽になればと結婚も王都行きも決めたくらいだ。兄の負担になることをしたって思っているのかもしれない。
「マリアンはマルコが好きだったの?」
「嫌いじゃねえ。ずっと一緒に育ってたしな。」
マリアンヌはこの世界で恋愛結婚するのは難しいと話していた。結婚相手が嫌いな相手じゃないというだけでも幸せなのかもしれない。マリアンの話を聞いて、シューはカーティスの服に身を包んだアンドリューを見た。眉間にシワはよっているし、手をギュッと固く結んでいる。恐らくもう二度と神殿に行く日にあった優しい彼の顔をシューは見ることができないのだろう。
「…カート、僕は自分の部屋に戻るよ。もう何もしないから好きにしてて。」
「側におりますよ?今はフィリップが休暇中ですから。それにグイード様から戻られたら心配ですし。」
グイードも伯爵の息子だ。彼も頭の良い人で、自分の立場をよく分かっているから、シューに話しかける以外でどうこうするもない。それでも、カーティスは心配のようだ。
「なら、俺が弟くんの面倒みてようか?」
声をかけられるとシューはクリストファーから借りた膝掛けを返す。
「今一番休まなきゃいけない人が何をおっしゃいますか。面倒を見てもらう必要があればカートに頼むので大丈夫です。」
近頃すっかり自分で開けることが無くなった扉を開いて、シューとシューの側仕えのための部屋に戻った。
誰もいない部屋は、美代子を取り戻してから初めてだった。それまでは他者が恐ろしくてなるべく部屋から追い出していたけれども、すっかり変わったものだ。シューは昔のナニーだったエリザベスと猫のルルがシューのために歌ったマザーグースを歌う。
Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses and all the king's men
Couldn't put Humpty together again.
「…卵じゃなくても、治癒魔法が得意な光の魔術師でも、待ち望んだ聖女でも、もう取り戻せないよ。」
寂しくて悔しかった、エリザベスの死に一人でベッドに蹲っていた時ティキは来た。
ーーーお前の青い瞳と俺様の黒い瞳で同じ色に見えているのかも知らねえで。
「君の黒い目はどんな風に僕を映していたんだ。」
悪魔は嗄れた声で歌を歌うものだから、聞き心地のいいものではなかった。でも、愉快そうに歌を歌う姿が、シューは好きだった。
「悪魔は死したらどこへいくんだ。」
暗闇から取り出した魔導書である冥王の書を床に置いて眺める。捲るには自分の力は弱すぎた。
肝心なところでシューの光魔法も闇魔法も届かない。