He loves human beings.
「人族はどうして魔族に負けたのだろう。」
シューは静まり返ったホテルの一室で誰に問いかけるわけでもなく、一人で呟いた。ダンタリオンの情報によれば、海の向こう側、魔族領は貧しい国だ。食料を狙って戦いを挑むのは、生物の本性だとしても、アルビオンを初めとするオルレアンはは豊かな農業と工業に支えられた強国だ。国力を基準に考えれば、防衛戦ぐらいなら魔族側に負けるはずがない。過去では確かにヒロインたちは、魔王に負けたが、元々少数精鋭で向かっていたためその全員が死亡したとしても10数人。
「…僕が負けて牢獄に居られる直前まで、戦線は向こう側だった。」
シューの記憶も頼りにならない。シューの記憶にあるのは、カイムやガイルが王都に仕掛ける時の話で、こちらの大陸にいる魔族は大した力がないし、そもそも彼らは人族側の動きを見る程度が仕事が殆どであり、シューがけしかけなければ彼らが直接攻撃行動にはでない。
「ダンを引き込めれば監視はしやすいのでしょうね。」
とは言ってもダンタリオンは絶対にどちらにも与しない。金さえあればどんなことだって話す。シューを殺すと言いながらもダンタリオンは情報を流している。
「ダンの情報は信じてもいいけど、ダンを信じてはいけない。ダンから情報を買う奴の常識。」
ダンタリオンは本当に悪魔らしい悪魔だろう。情報屋なんて続けているのも、悪魔としていい餌が欲しいだけで、後は人族だろうが、魔族だろうが彼にとってはどうでもいいのだ。
「魔族が勝てる算段があるのならば、既に人族領を攻め込んでいるはずだ。それが無いということは、現状勝てる見込みがないのだろう。私もそう思っていたしな。」
「それが2年後、僕が投獄された後オルレアン王都が魔族軍によって破壊される。それだけは確かなはずだ。」
この記憶はゲームではなく、シュー自身の記憶だった。そして、その場所でシューは誰かと話をした。
「世界はお前の思い通りになったぞ。」
どっしりとしているのに、どこか若々しく綺麗な声だった。あれは一体誰だったのか。暫く唸るが、心を読むフアナやフィリップだって答えられなかった。
「考えても仕方ないな。真理亜にもはなそう。」
美代子も知らない、シューも知らないとなれば、このゲームを知り尽くした真理亜に話すのが一番いいだろうと一人で結論づける。
「…トーレンにはいいのです?」
一応トーレンもまた記憶を持つ人間で、自称シューの同胞らしいが、いかんせんシューは彼を信じるには値しない。どちらにせよ、過去を覚えておきながら、呪いだかなんだかで話せないと言っているのだから話したところで何の意味も持たない。
夢を見れば彼のことを思い出すかもしれないと目を閉じたが、出てくるのは嗄れた汚い中級悪魔の声の『ハートのクイーン』の歌だった。
「おっはよう、気張っていこうねぇ。」
と、グイードは目の下にクマを作りながら無理に気合を入れてシューの部屋に侵入してきた。
「はぁ?」
対するシューも睡眠時間が短かったせいで、このかわいそうな侵入者を睨みつけるだけだった。
「リトル・プリンス、朝食の時間だよ。これを逃すと次の食事は粗末なものだからね。」
「…ガスペニ卿、後は私共で支度をするので先に食堂の方へ行かれて下さい。」
カーティスが頭を下げると、グイードは落胆するように肩をすくめた。
「昨日の夜も一緒に食べられなかったのに。」
「シューも朝食を食べに行きますから。」
「この人数じゃテーブル分かれちゃうじゃないか。」
「是非王女殿下をお誘いに。」
「はは、僕はまだシャルルに殺されたくないからね。」
グイードが明らかにマリアンヌのことも目で追っていながら、シューに対してするようなしつこさが無かったのは、オルレアン王国の王太子殿が恐ろしかっただけらしい。
「…カート、準備。」
いつもなら同情する程優しくないが、流石に昨日クリストファーに連れられて夜を押して行動していた彼がかわいそうに思えてきたのだ。
「昨日は上手く話が進んだの?」
いつもカーティスに着替えさせて貰っているシューは今更グイードを追い出すことはしなかった。シューの代わりにフアナも側近の2人も警戒しているようだし、グイードに気を遣うというのも煩わしかった。
「え、まあ、そりゃあいい夜だったよ。」
「マルガリオから何か言われたのかと思ったけど。」
このホテルはアキテーヌを実質支配しているマルガリオ一家が経営しているところだ。子供の知らないところで、ギーの海賊船が沈んだことに何かしら請求されたのかと思ったわけだ。
「シュー・アルバート卿、アキテーヌはオルレアン王国の領地ですからお気になさらず。我々の問題ですし、宰相殿にはご報告致しますから、貴方は貴方のすべき事をして下さい。」
シューの質問に対してグイードは丁寧に頭を下げるのみだった。慇懃無礼で、彼の意図はそうでないとしても、まるでアルビオンの人間はオルレアンに関わるなと言うようにもシューには聴こえて、黒い感情が心を廻るのだ。
「グイードの愛なんてそんなものか。」
彼が好きなのはシューの容姿と、シューが向けたグイードの絵への賞賛のみなのだ、所詮は。吐き捨てるように言うと、彼はしゅんと眉を下げた。
「シューちゃんに好きな人が出来たら教えてあげるから赦して。」
「論点をずらしたな。」
「特別な人には特別な自分でいたいでしょ?」
「意味がわからない。僕、外国人と話してたっけ。」
“Le chiedo perdono(許してください).”
とにかくグイードがこの件に関して口を割らないのは理解できた。
シューの心情はさておき、本当にシューに何かあるようであればフアナがこっそり教えてくれるのだろうから、グイードから直接尋ねるのはやめた。
シューがグイードと一緒に部屋を出ると、グイードは明らかに嬉しそうだった。面倒な男ではあるが、そう言う面では単純な男で安心する。
マルガリオのホテルで豪華な朝食を食べると、早々にホテルをチェックアウトした。それとなくクリストファーにも昨日の夜の話を聞いたのだが、グイードよりもするすると話を回避されてしまい、分からずじまいだ。
「これから漸くヒロインと会えるのですね。」
「アンヌ、あんまりはしゃがない方がいいよ。それに今から行く村は困窮している可能性がある。」
「心得てますわ。骸が道中投げ捨てられているところだってもう平気です。」
王女殿下の側仕えや護衛も含めるとそれなりの人数がいるとは言っても、大々的な訪問ではないため、公式的な訪問のように丁寧に退かされることなく、道中打ち捨てられた者たちをよく見たものだ。
「慣れるのもいいものではないと思うけど、衛生的な意味で。」
「…供養してということではないのですね。」
「知らない人間を供養するほど慈悲深い人間ではないよ。アンデッドになる可能性もあるし、ならなかったとしても、生存している人間に悪影響を及ぼすのには変わりない。死を美化する人もいるけど、生きていることの方がよっぽど大変で貴いものだと僕は、美代子の時からそう思ってるから、遺骸には冷たい言い方しかできない。」
美代子の記憶がなかったシューの時も途切れることなくそう思っていた。マリアンヌは統治者の娘として真剣に頷いた。
「たしかに。信仰や供養という考え方がなくても、例え悪人であるとしても、遺骸の、言葉は悪く感じるかもしれませんが、処分については考慮しなければなりませんね。」
2人の話に口を挟むことなかったウィリアムが難しそうに顔をしかめて聞きていた。騎士として残虐な光景になれてしまったウィリアムには2人と同じでは無かったからだ。それでも、2人には慣れては欲しくないと願うのだ。
マリアンの村までの移動手段は基本的に徒歩だが、マリアンヌもシューも体力はある方ではない。そこで一足先にホテルを出ていたクリストファーがどこから調達したのかわからない使い古されてボロボロな荷馬車を引いてきた。
「乗り心地最悪だとは思うけど、良い馬車を使っていたら、山賊の的だからね。ビルくんの守護結界がただの喧嘩屋に遅れをとるとは思わないけど、用心に越したことはないよ。マルガリオからクッションを借りてきたから、我慢してね。」
騎士団の馬車や自分の家の馬車ですら、身体が痛くて堪らないのに、ただの荷馬車に気が重くなる。ただ思うだけで口にはしない。そもそもがこの旅のお荷物である2人が言い出しっぺなのだから。
「気を遣わせてしまいましたね。」
マリアンヌの恰好は乗馬服でとても動きやすそうであったが、丁寧にクリストファーに感謝をした。シューもマリアンヌに合わせて礼を言った。
マリアンヌの側仕えとフィリップ、それからトーレンが荷馬車に乗り込み、他の人はクリストファーとウィリアムは馬に乗り、グイードが御者をし、マリアンヌの護衛とカーティスは周囲を歩くことにした。貧相な村に行く行商人にしては人数が多いが仕方ない。
「マリアンヌ様は昨日はよく眠れましたか。」
「ええ、トーレン。ぐっすり眠れましたわ。貴方は如何?」
トーレンと並びたく無いシューは隣をマリアンヌに譲り、彼の前はフィリップに譲った。
「私も久し振りによく寝ました。人間の身体は寝床に左右されるものだとよく分かりました。」
「あら、そんなに違うものですか?」
庶民である真理亜の記憶もあるから、物語のマリアンヌほどは世間知らずでは無いが、現代日本の庶民よりもよっぽど酷い寝床を知らない。布団が無い家もあるくらいだ…とはいっても徒弟であるトーレンは中流階級の下辺りの生活をしているから布団が無いということにはないだろう。
「ええ、体が痛くなくて朝が快適です。」
身体が痛くないと喜んでいるのだが、この荷馬車では身体中痛くなること必至だ。普段の生活する馬車でさえ、街中であっても身体が痛くなるのだから、舗装されていない道、オンボロ荷馬車だとどれほど痛くなるか不安だ。
「シューは元気ないですね。」
トーレンから気にかけられ、シューは消えない疑念と、ほんの少しの同情をした。
「あんまり話すと舌噛むよ。」
と、同時に何かの溝にはまったのかガゴンと大きく縦に揺れた。口を開きかけていたトーレンが軽く舌を噛んだらしく、シューの言っていたことが分かったらしい。その悔しさの混ざった顔が愉快でシューは小さく声に出して笑った。それを見たトーレンは目を見開いた。
「何?」
「いえ。」
トーレンが嬉しそうに微笑むものだから、シューはムッと顔をしかめた。こういう時はきっと過去のシューと比べているに違いないのだ。
4時間程、荷馬車に揺られ、荷台の4人はうんざりとした顔を隠せなくなった頃である。馬車が止まり、御者台からグイードがひょっこりと顔を出した。
「お疲れ様です。休憩にしましょうって。」
たかが4時間だったか、久しく土を踏んでいなかったような気がしてしまう。馬車から降りて、周りを確認しても草木や虫ばかりで、馬車が通っていた道も人々が踏みしめただけの小さな道で、よく通ってきたなと感じてしまうのだ。
「何度も木の根に突っかかってごめんなさい。」
「いいえ、寧ろこんな道なき道を、馬車を横転させず凄いですわ。」
マリアンヌやトーレンが素直にお礼をいう。確かにシューやマリアンヌが歩いていたらもっと時間がかかりそうだった。
「グイードは馬車を操るのも得意なのですね。凄いです。なかなかいらっしゃらないですよ。」
「勿体無きお言葉です。変わり者だとよく言われるのですよ。」
カーティスに注いでもらった水をチビチビと飲んでいたシューがマリアンヌの褒め言葉にとても嬉しそうな顔をしているのが気になった。
「それって画材や彫刻を運ぶため?」
「…さすがシュー。僕のことをよく分かってるね。」
マリアンヌに褒められた時とは違う、下心があるような笑顔だ。しかし、馬術を学ぶのは普通の貴族なら当たり前だが、馬車を操るのはそうではない。下位貴族ならまだしも、ガスペニ伯爵家の家格から言えば普通は侍従に任せるところだ。
「美しいものは傍に置いておきたいけど、そうじゃないものはあまり傍に置いておきたくないから。」
「見た目。」
「見た目でものを判断するなとよく言われてしまうけどね。美しさを保つというのはなかなか難しいことだよ。それだけで十分な長所だろう。」
シューが未だ魔族側なら痛い目を見ただろうに、とちょっと残念に思った。
グイードが下らない持論を展開しているところで、シューの側で待機していたニーナが剣を握りしめ、クリストファーも腰に差してある剣を握って辺りを警戒する。
「獣か?」
「いや、微かだけど人の足音のような二足歩行の音がした。」
ウィリアムはマリアンヌの傍に寄り添い、結界魔法を小さめに発動させる。
グイードははぁと肩を竦めた。
「流石騎士団、動きが早い。」
寝不足気味かつずっと御者をしていたグイードは全然分からないと嘆くので、シューは彼に回復魔法をかける。
共に警戒をしていたフィリップが、ボソリと言う。
「敵の数は5人。恐らく金品狙いの山賊だ。」
「どうしてそれがわかる?」
クリストファーがシューには向けない厳しい目でフィリップを見た。それが恐ろしくてフィリップの服の裾を掴んだ。
「詳しく説明することは私にも難しい、ですが、心を読む力が私にはある。」
「心を、読む?」
聞いたことのない能力に更にクリストファーの眉間のシワが深くなる。
「クリストファー・オールセン卿、フィリップは真実を話しています。彼のことは僕が、私が保証致します。それすらも偽証だと思うのなら私ごと首をはねてください。」
シューの発言にその場にいる全員がギョッとした。クリストファーも聞いたことない能力に些か頼っていいものなのか、発言しているフィリップのことも不透明であるし、判断ができかねただけで、シュー本人が命をかけると言うほどのものとまで考えてなかったのである。当の本人のフィリップもシューがそこまで言うものかと思ってもみなかった。
「…シュー・アルバート卿、私にそこまで仰る必要は全くございません。サー・アヴァロン、どうぞ続きを。」
「中途半端な力で申し訳ありませんが、どういった能力がある、とまでは分からないのです。」
「いや、十分だよ。山賊程度の5人ならニーナちゃんだけでも倒せるくらいだね。」
「ああ、任せてくれ。」
フィリップも引き続き、周囲の人間以外の思考を読むように気を張り、マリアンヌの護衛たちも含めて全員でマリアンヌとシューを囲うように立つ。
ざりざりと近く音が、シューでも聞こえる程度になる。脇の草むらから破れ煤けた服を着た男が木の棒に刃物をすぐにでも切れそうな紐で取り付けただけのなんとも心許ない武器で襲いかかってきた。目は窪み、頬はこけ、手首も骨のように細く、まるで骸骨に皮膚をつけただけのような男で、ニーナが素手で男の持っていた簡素な武器を掴み、強く押しただけであっさりとよろけて転倒した。他の4人も同じくらいに大したことがなかった。シューは大人たちの囲いから外れ、よろけて転倒したまま唸るだけの男に駆け寄った。
「…栄養失調だけど、熱病にもかかってるね。こんな状態で人を襲えるはずがない。いや、幻覚でも見えているのかも。」
「シュー、汚れますよ。」
心配性の側仕えは不安そうにシューを見たが、シューの目は目の前の罹患した人間の方しか捉えていない。
「もってあと3日。今僕が魔法で助けるとしても、5人は助からない。最悪な状態。できる限り助けても2人だけだ。」
シューが他の4人も確認したが、殆ど状態は同じ。
「…この状態の人間があの村に何人いるのか。」
ここにいる人間たちも浅ましい、いや、とても合理的な人間たちばかりだった。2人は助けられると言っても、誰も助けた方がいいとは言わなかった。悪路ばかりで休息もしっかりと取れるわけではなく、魔力の回復が緩やかな状況下で、シューは今この見知らぬ5人のうち2人を助けて、この先で仲間内が大怪我を負ってシューが助けられないという状況に陥ることが嫌だった。
「完全に回復とまでは行かなくても、症状緩和して自力で帰れるようにすることはできませんか?」
マリアンヌが王女として、人の上に立つ女性として倒れ伏している彼らのためにシューにお願いをした。けれども、シューは頷けなかった。
「それでも結局かなりの量の魔力を使うよ。」
問診もできそうにない状態だ。それをしっかりと立って、彼らの拠点に帰れるくらいの認識能力の回復はとても魔力が必要だ。捨て置くことができないからと中途半端に最低限症状を緩和しても、彼らに責任を押し付けて放置するだけとになる。シューにはそれの方が何倍もひどいことに思えた。
「王女殿下、苦しみから解き放つのなら、もっと楽な方法がございます。」
シューは彼女の賢臣のように頭を下げた。
「彼らを殺すだけです。」
医療従事者だった美代子からすれば禁忌ではあるが、この世界で捨て置くというよりも今安楽死させてあげた方が、エゴだとしてもシューには優しく見えた。
「…眠るように命を奪う魔法を、僕は知ってる。これくらい衰弱した人にしか意味ないけど。」
完全に闇魔法ではあるから大々的に使えない代物だ。
ただマリアンヌは既に虫の息とはいえ人を殺す、ということに抵抗があっ た。
「その方々は生きたいのでは?」
「ああ、元気にね。」
捨て置くのが嫌なのはこちら側だけだ。いや、寧ろここにいる口を挟まない人たちは襲ってきた山賊をどう追い払うかとしか考えてなかったはずだ。その山賊が死にかけだろうが、若々しく元気であろうがどうでもよかった。どちらかといえば剣を握る必要もないくらいの山賊で楽でよかったくらいしか思わなかったはずだ。
「シューの魔法を使わなくても殺すだけなら私が一瞬で首をはねてしまうか? 一番苦しみが少ないと言われているから。」
後世にはギロチンは残虐な処刑方法であると言われているが、その時代においては最も苦しみのない処刑方法として考案されたものだ。だから、ニーナがそう提案した。
「ううん、僕がやるよ。皆は休憩してて良いよ。」
「だが。」
マリアンヌやクリストファーもそうだが、側近達もシューが直接手を下すのはという微妙な表情だ。
「僕なら医療事故で誤魔化せるし。」
「…殺人罪の規定の話じゃあないよ。公爵家と一庶民の裁判なんてあってないようなものだから、誰もそこは気にしていない。」
苦しそうに呻く彼らは最後の望みをかけてシュー達に襲いかかったのだろう。それとも、熱に浮かされ、シュー達がゾンビや食人鬼に見えたのかもしれない。死にたいとは彼らも思っていないだろうが、整備はされていないとはいえ人の道に死体は放置されて欲しくない。
「絶対に皆動かないでね。変に魔法がぶれて違う人間にかかるのは困る。」
「有無を言わせる気は無いね。」
「この中の誰よりも一番病人を見てきたつもりだよ。僕より年長の光の神殿の人が言うならまだ考えるけど、それ以外の人たちに意見されても僕の考えは変わらない。」
マリアンヌがまだ生きている人を殺すことに抵抗があるのも、シューが助かる見込みがなく苦しんで放置されるのが嫌と言う理由で彼らを殺すことに、側仕えや周囲の大人が否定的なのも分かる。全員の見解を纏めて、答えを出すのなら「彼らはここで放置」というのが正しいのだろう。
「僕はここに彼らをおいておきたく無い。連れて行くにも彼らから僕たちが感染する可能性があるから長時間いっしょにいるのは危険性が高い。助かる見込みもない。ここで楽に殺してあげるのが僕らの安全と彼らの安寧となると思っている。それとまた感染症の話になるけど他人の血液に触れると病気に感染する可能性があるから、ニーナ姉様や他の方が手を出すのも僕らの安全を害するから嫌。」
カンセンシャウとはなんぞやとクリストファーたちは思いながらも誰も口を挟めなくなった。森の虫や鳥の声たちが鮮明に聞こえてくるくらいに、静まり返った所でシューは病人たちに手を向け、祝詞のように優しく静かな声で唱え始めるり
「…地に帰れよ。愛も苦しみも悲しみもここに消え、彼らの思考は本日により滅び去る。」
ここにいる人間の前でハデスの名を借り、精霊魔法は使わない。そして、何故かは分からないが、光の神殿の石碑にも書かれたこの魔法の呪文は闇魔法だとは悟られにくい為、信用の高い人間たちの前でなら使える。
シューが呪文を唱える間、周囲の人間は息を忘れた。シューの魔法が手元を狂ったわけではない。聖書を読んでいる神父のような優しさと落ち着きで言葉が心にストンと静かに落ちてくるようだった。
病に苦しんでいたまるで生きたミイラのような人間たちはうめき声が徐々に消え、最後には寝息のような息をしてからゆっくりと眠って行くように息を引き取っていった。
魔法は完璧だった。あそこまで啖呵切っておきながらもシューにとっては初めて効果まで確認した魔法だったが、一切の驕りや感傷もなく魔導書通りだった。
グイードやクリストファーが遺体となった彼らを手で運び、彼らに土をかけた。墓地ではないが、森によって森の一部に還元されるのなら、生きている者としていい最期に思える。
「私は正しいとは絶対に言えません。」
「言わなくていいよ。正しいことをしたとは思ってない。僕は僕の助けたい人たちを優先しただけだから。」
100人いたら100人を助けるのがヒーローなら、やはりシューはヒーローにはなれないのだろう。
確実に60人助けるために40人を見捨てる、大切な10人を助けるために90人を捨てる、そういうことしかできないのだ。
「王女殿下、これから行先に彼らのような者が溢れかえっているかもしれません。今ならウィリアムとお付きの方々で来た道を戻ってアキテーヌの街で待機することもできますが…。」
クリストファーの申し出にマリアンヌはそれには大きく横に首を振った。シューよりもマリアンのことを重く受け止めているのだ。
「私には光の子である少女に、王都に来るよう説得する責務があります。」
マリアンヌに会ってすぐ、シューは10代の若い子に聖女だから訓練しなさいと命令したところで、反発しかしないだろうと言った。彼女はそのことについてよく考えていた。
「絶対にここで帰りません。帰るくらいなら王城から出てきてません。だから、連れて行って下さい。」
マリアンヌの決意が無くなることはない。
「クリスさん、私からもお願いします。私もこれでも元水の精霊です。光属性の者には負けますがある程度治癒の魔法は使えます。」
「いえ、私は王女殿下をお止めしたいわけではないんです。これから先も似たようなことがあるかもしれないので、お辛いかと思ったんです。」
クリストファーもマリアンヌを今止めるくらいなら、王城で止めていただろう。
マリアンヌとクリストファの行き違いも終わり、再び揺れる馬車へと戻った。少しのタイムロスはあるが、それも計算込みであるクリストファーの旅計画から外れたほとではない。
荷馬車内は再び沈黙して、ガタンガタンと揺れる馬車の音を聞いていた。話すのも舌を噛むから仕方ないし、本も読めないからただぼーっとするしかない。時折外がうるさい気がするが馬車が止まることはないので馬車の中にいるシューたちが確認することはできない。
【貴方が気にすることはないわ。】
心を読むフアナがシューに告げる。隠されたことによるシューの不満はフアナにも伝わっている筈だが、それにフアナがリアクションを取ることはなかった。
「ねぇ、シューちゃん。」
舌を噛まないようにマリアンヌがゆっくりと尋ねてくる。
「あたしたちの知っている世界よりももっと状況が悪くないかな?」
「プロローグの背景はあまり分からなかった。比較のしようがないよ。」
どんな状況だったかシューには分からない。過去のシューの記憶があるとはいってもほとんど朧げだ。
「…所詮はゲームだもんね。」
マリアンヌはシューが誤魔化す魔法を使うと考えている為隠さず話しているので近くにいるトーレンにも筒抜けだった。
「私も前の人間たちの暮らしぶりを知るわけではありませんが、こんなものではありませんか?」
水の精霊シトリだった男はうんざりだと顔を顰めた。
「『助けて』『助けて』『助けて』と他者に必死に懇願して。自身は何もできないと嘆いて。いつの時代も、前も今も。」
ああ、シューは知っていた。纏の神であるシトリは、元々衣服を作ったり、物を作ることの方が得意で、そこまで治癒魔法が得意ではなかった。助けてあげたいけれども、助けられない、その葛藤をシューは見たことがある。
「だから、不安になる必要はありませんよ。」
人が好きだった。シューとは違ってシトリは人間を愛していた。
それがシューには眩しくて、目を逸らした。
「どうされました?」
「何も。」
丁度会話を区切るように、馬車が木の根に突っかかったのか大きく縦に揺れ、そこから話すことをやめた。