Never
シュー・アルバート(12) 主人公、西田美代子の記憶を持つ少年
マリアンヌ・レーヌ・ド・オルレアン(14) 真理亜の記憶を持つオルレアン王國の王女、王位継承権第3位。
クリストファー・オールセン(20) シューの兄エリオットJr.の親友殿。あと1ヶ月ほどで騎士団を退団する。
ニーナ・ネーサン(20) 元騎士団所属の女騎士。シューに命を救われた。
ウィリアム・ジョーンズ(16) 騎士団長の息子で、シューの兄オズワルドの親友さん。
グイード・デ・ガスペニ(16) 芸術家の変態。
オルレアン王都より南西にあり、貿易の要でもあるラロシェという港町は、貴族ばかりの王都とはまた違い、民衆たちの活気で溢れていた。ラロシェの街は一年のうち7割ほどが晴れか曇りというくらいで、この日も天気は良好だったが、かなり風が強い。顎の下でリボンで結んでいてもマリアンヌは帽子を押さえるのに苦労をしている。最初に風が強いとの話を聞いていたので、シューは事前にバッグに突っ込んでいたが、正解だった。
「シュー、人が多いから私の手にでも掴まるか?」
ニーナがシューに手を伸ばし、シューは喜んでその手を取った。元々マリアンを探し出してくれたのは彼女であったし、シューとも面識が深いから今回の護衛に選ばれていた。
「遠出だから大人数になってしまいましたわね。」
元々マリアンが主人公であるというのも絶対では無かったし、シューとマリアンヌはなるべく内密に極少数しか連れてきたくはなかったが、中世の治安の悪さでは幼いシューとマリアンヌと護衛数人では王都をでることすら叶わなかった。シューの後ろにはカーティスとフィリップが並んで歩き、シューの肩にはフアナも載っていた。
「何があっても美しい2人は守るから安心してくださいね、マリアンヌ様とシュー。」
「グイード、あまり2人に近づくな。別の意味で危険に思える。」
来たいと志願した言っていたグイードと、シューやマリアンヌの要望ならと素直に応じてくれたウィリアムが先陣を切って歩く。
「弟くんに、マリアンヌ様、なんか欲しいものある?あったら、エルのポケットマネーから資金出てるから買ってこよう。」
それから船を動かすならと、もう騎士団の任期が少ないにもかかわらずエリオットJr.の親友クリストファーが付いてきてくれたのだ。この時代船といえば帆船で、動力は風の力を利用したものだから、安全に航海したいのならば風属性の人間が必要だ。カーティスも一応は風属性だが、魔法があまり得意ではない為、クリストファーの存在は有り難い。オズワルドやシャルルも実は来たがっていたのだが、オズワルドは生徒会で入学試験の準備と、シャルルも入学試験間近であるから来られなかった。
「あ、皆に新鮮なフルーツや野菜を。航海に出る上で怖いのは壊血病だから。数ヶ月の航海ではないからと慢心するのは良くない。」
特に向こうは不作で食料はあまり買い込めないから、貿易でにぎあうラロシェの街で買ったほうがいい。
「かいけつびょう?」
「さぁ、買い物に行こう。」
シューはニーナとクリストファーの腕を引いた。
「シュー、僕らを置いていこうとしないでね。この街人攫いが多いからさ。」
シューが手を掴まなかったグイードが不満そうに口を尖らせた。どうしても栄養が行き渡っていないから庶民の肌は荒れているのが普通で、どんなに服装を誤魔化しても肌を見れば貴族の子供であることは簡単に見抜けるから、連れ去られる可能性は高い。
「アンヌさえ捕まらなければどうということもないよ。」
「まあ、シューちゃんは人を見る目がないから、貴方の方が不安ですわ。」
それでもこの中で1番非力であるのはマリアンヌで、誰よりも高貴な人であるから、全員の心配は彼女に向かっている。1番守ることを得意としたウィリアムが彼女のエスコート役であるのもそのためだった。
「僕には転移魔法があるから、1人でも帰ってこれるよ。フィルもいるしね。」
「…フィル?」
フィリップがゲームの元2章のボス、ガイルであることはマリアンヌには告げていなかったのをシューは失念していたから、マリアンヌはフィリップがテレパスの能力を持っていることは知らなかった。でも、他にも多数の人がいる場でそれを告げることは出来ず、笑って誤魔化した。
「あ、レモンが売ってる。」
市場にシューが顔を覗かせると、売り子は嬉しそうな顔をした。年はシューと大して変わらないように思えたが、向こうは完全にシューのことを年下だと判断したらしい。
「あらまあ、きれいなお坊ちゃん。レモンが欲しいの?」
単純にシューの背が低いからなのか、彼女が売り子として働いているせいなのかは分からないが、複雑な気分だったが、愛想よく笑い返した。
「レモン10個、綺麗なものがいいな。」
「任せて。」
横からエリオットJr.から資金を受け取ったクリストファーが支払いを済ませる。
最初こそ大人しくしていたが、市場で商品を見ながら買い物をするのは、美代子以来で妙にワクワクした気持ちが抑えられなくなってきた。
「ニーナ姉様、あちらも見て構いません?」
掴まれたニーナの手をシューは引っ張った。シューは嗅いだことのない潮風の香りも美代子の記憶を刺激した。美代子も海が近い所に住んでいた訳では無いが、小学生の頃父親に連れて行ってもらった楽しい思い出があった。ニーナの手を引っ張るようにあの時の美代子も父の手を引っ張った。
「弟くんがあんなにはしゃいでるのなんて、初めて見たよ。」
「…そうですね、俺もです。」
「シューに気に入られてるウィリーでも?」
「あれは新しい魔法を思いついた時のシューにそっくりですわ。」
男たちとは裏腹に、そう言うマリアンヌも久しぶりの王都以外の街に、何より自分の足で街を歩くなんて早々ないから、嬉しくて仕方ない。
「人攫いには気をつけつつ、楽しんで貰うのはいいんじゃないですか、クリストファー・オールセン卿?」
「弟くんとレディ以外の俺たちは仕事として来ているんだよ、学生諸君。」
「ええ、もちろんですとも。クリストファー・オールセン卿。」
「グイード、何故君は不満げなんだ。」
「ビルくんは気にしなくていいよ。」
今回のチームでのトップは1番身分の高いマリアンヌではあるが、彼女はまだ14歳の少女であるから、代わりに指揮するのはクリストファーだった。確固とした理屈はないが、グイードはなんだかそれが苛立つだけだ。
【心から楽しそうね。】
大人数がいる中でフアナがシューに語りかけることは珍しく、顔に出さないようにはしたが驚いた。
【うん、楽しい。でも、これは僕じゃないんだろうね。】
【そうかしら、どちらも貴方でしょう。そうじゃ無かったらずっとそばにいるほど私は貴方に興味は湧かなかったわ。】
美代子のことなんてシューは嫌いだったが、この世界で美代子の存在を認めてくれるとそれは嬉しいのだ。それがこの世界の覇者である精霊という種族に言われれば尚更そう思う。
「シュー、もっと海岸の方へ行くか。」
船が出る時間までまだ少し時間がある為、ニーナの提案に素直に頷いた。
いくつもの帆船が行き交う海岸は、男たちの熱気であふれていて、また街の中とは違う雰囲気だった。
「風は強いが、船が出ない程ではないな。」
「雲も無いし、航海する1日くらいは天気が持ちそうだ。」
「追風だから、オールセン副隊長殿、ああいや、オールセン卿も苦労が少ないだろう。」
「ニーナちゃん、この航海の間くらいクリスでいいよ。もう上司でも無いからね。」
ニーナとクリストファーがシューの頭上で話しているところで、シューは一切2人の話を聞いてなかった。澄み渡る空の先まで大きく広がる海の水平線をこの世界の縁であるかのようにひたすら眺めていた。シューの様子が気になったニーナが名前を呼ぶ。
「シュー?」
ーーー美代ちゃん、気をつけて。
海の向こうから美代子の父の声が聞こえた気がした。この街に来る前に似たようなことを父エリオットから聞いたはずだが、全く違うことのように聞こえる。
『もう帰りたいよ。』
美代子のように日本語でそう言った。
ーーーもう少し頑張ってみようよ、美代ちゃん。
「パパ?」
そこでシューは弾かれたように顔を上げると、ニーナとクリストファーがシューの顔を覗き込んでいた。
「さっきなんて言ったの?」
クリストファーは「もう帰りたい」と言った美代子の日本語が聞き取れなかったのだ。それは恐らくニーナも同じだったが、彼女は気にしていなかったようだった。
“I wanna go back to her world.”(彼女の世界に帰りたいの。)
気恥ずかしくて、クリストファーが話せないアルビオンの言葉で返した。しかし、クリストファーもエリオットJr.の親友だったため、何となくではあるが、分かってしまったようだ。
“Does Elle know who she is?” (エルも知っている人?)
アルビオン語が話せるニーナに言われるならまだしも、分からないだろうと思った人に返されるのは恥ずかしくてバツが悪くて、小さく呟く声で返す。
“Never”(絶対知らないよ。)
アルビオン語で聞くのは諦め、エリオットJr.の知らない彼女が気になったクリストファーはオルレアン語で尋ねた。
「それは人間なのかな?」
「さあ、幽霊かも。」
「…アンデッドなら気をつけなきゃ。ハデスの所まで連れていかれちゃうよ。」
闇を忌避する人間が1番恐れるのは闇の最高精霊であるハデスだ。冥府を司る王に恐れを抱くのは生物として普通ではあるが、ハデスを知るシューにはよく分からなかった。
「そうですね、気をつけます。」
雑な相槌だけ打って、海を眺めるのは飽きたとでも言うようにシューは後ろで眺めていたマリアンヌの方へ向かった。
「アンヌ、疲れた?」
「人混みに酔いそうではありましたが、元気ですよ。むしろ、シューちゃんの方が辛そうではありますが。」
「僕は日差しに酔いそうだもの。」
「光の生まれではあるけれど、シューは太陽に弱いようだね。」
グイードはぬっと首をシューの近くまでやって覗いた。
「光の生まれにしては色素が薄いからかな。」
「関係あります?」
シューが見た光の精霊であるアポロンやアルテミスも色素は濃くなかったから、関係ないようだった。
「あれ、俺の生まれた辺りの迷信か。色が濃く生まれたら太陽に愛された子供って言われたんだ。」
美代子たちの世界なら紫外線から肌を守るメラニン色素の話に聞こえるが、精霊や魔法のあるシューの世界には不必要な考えでもあるように思えた。しかも、シューの記憶の中に褐色の肌の精霊が闇属性だった。と、その精霊を思い出そうとしたが、そこで思考が止まった。
それは誰だ。今までの時間の中で彼に会ったのはいつだったか。ハデスに会った時?違う。ガイルと連絡を取っていた時?それも違う。
「シュー、大丈夫?」
【シューの心が読めなくなったが大丈夫か?】
グイードの生の声と後ろに控えているフィリップのテレパスによる声がほぼ同時に伝わった。
「いや、大丈夫。考え事していただけですから。」
「体調が良くなかったら船に乗らないほうがいいから無理はしちゃダメだよ。」
【今までそんなことはなかったのだが。】
「心配かけてごめんなさい。マリアンについて考えていただけだから。」
フィリップはそんな説明で納得するはずもなかったが、深くは追求はしてこなかった。いつもシューの心の声が聞こえている方が異常なくらいなのだから、時々電波障害のようなものが起きても仕方ないがないことだろう。
「ささ、積み込みが始まったみたいだし、船の方へ行こうか。」
遠い遠い昔のことだ。
大海原を前にして1日何して過ごすかを考えあぐねていた時のことだった。
「お前が弟を殺したのか?」
深い海の色をした瞳の男が、三又に分かれた矛を彼につきつけた。
「何の話かな?」
「惚けても無駄だ。姉さんからお前が弟に喧嘩をふっかけていたと聞いているのだからな。」
男の顔を覆うほどの髭と髪が揺れ、青の瞳は怒りで光を失っていた。
「彼に喧嘩をふっかけたのは事実だ。でも、冤罪だ、僕は何も関与していないよ。本当に僕が彼を殺せるとでも思っているのかい。」
「だが、現状。」
「違うな。君が僕のことを評価してくれているのには感謝をするけれど、いくら僕でも彼と喧嘩してこんな無傷なんてあるはず無いでしょう。」
男は彼を舐めるように全身を見た後、納得したのか舌打ちをして彼の場所に戻った。
短くてすみません。