あ、はい。
ニーナ・ネーサン (20) シューを庇って大怪我した女騎士。
カーティス(14) シューの側仕え。色々シューの事情を知っているようで知らない。
フィリップ 元魔族の人族。シュー以外の前では現在兎。
アンドリュー・ホワイト ヒロインの兄
久しぶりに湯に浸かる。元々水の多い国ではないオルレアンでは毎日の入浴の習慣はない。代わりに香水文化がこの国では伝統的に盛んだった。しかし、シューは湯船に浸かる気持ち良さを知っている。折角貴族であるし、お金など父親に気を使うような健気で可愛げのある子供ではなかった。とは言っても、蛇口を捻ればすぐにお湯や水が出てくるような優れた機能も無く、二階にある部屋まで毎回使用人たちに任せるのも申し訳がなかった。そこでジャスミンが水属性で水であれば浴槽を満たすことができると言ったのを聞いてシューは水で満たして貰った。
「…シュー、眩しすぎません?」
「仕方ないでしょ。薪を燃やす機能がこの浴槽にはないんだから。」
昔ながらの日本にある薪で温める浴槽なら良かったのだが、この部屋にあるのはお湯を持って来なければならないただの桶だ。眩しいというのは、シューの光魔法の光エネルギーが発生するときに同時に出る熱エネルギーによって湯を沸かしている為、今お風呂の中は光輝いている。その弊害として、悪魔であるルルや、闇属性のフアナとフィリップは中に入れていない。光属性のシューには大して苦でもないが、風属性のカーティスは眩しくて仕方ないようだった。貴族とは言っても、シューは美代子の記憶があるから一人でも入れるのだが、カーティスの矜持が許さない。
「なんだか、浮かない顔ですね。」
カーティスに髪を洗われながら、シューはため息ついた。
「今回の討伐がイレギュラーが多かったっていう話は聞いたでしょ?」
「だから、シューが大怪我したんですよね。」
シャルルとアポロンのお陰で元の綺麗な肌を取り戻したが、それだけではない。
「食人鬼に食われた騎士が…。」
弟さん弟さんとシューにいつも気さくに話しかけていた騎士だった。地べたに座る貴族はいないと、彼は喜んで語らった。しかし、その時には既に敵によって本人は死んでいた。それが何より気持ち悪くて悔しい。カーティスしか居ないのでシューの素直な気持ちを呟いた。
「…シューの話を聞く限り、今回フィリップは敵だったんですよね?」
「敵だったのはガイルだけど、言いたいことは分かるよ。その騎士を殺した敵を何で赦したのか?」
「そうですよ。親しくしていた人を殺した者の仲間じゃあないですか。」
「一般的にそれは恨むよね。僕はどこか狂っているのかもしれない。」
正確に言うと、シューはガイルを赦した訳でも、赦すわけにもいかなかった。罪は罪だ。ただ彼を恨んでいるかと言われれば、そのような苛烈な感情は無かった。
「僕は僕のことが一番大切で、大事なんだ。僕は僕さえ生きていればそれでいい。最低な人間だとは理解しているよ。」
それでも、隣に座って大笑いした人間が居なかったことが悲しかった。
「それは幸福な人間です。でも、私にはシューがそうであるように見えません。寧ろ…。」
カーティスには、シューがそれほど自分のことを愛しているようには見えなかった。自己評価は変に高い癖に、自分の事をどうでもよいと軽んじている。でも、弁の立つシューに対して結局言い含められるのが、見えているから彼は口に出せなかった。カーティスが一人で悶々としているようなのを見て、シューは話を戻した。
「先遣隊は僕が預かり知らぬところだったから、僕に責任は無いし、どちらかっていうとその皮を剥いだ事によって皆に褒められたよ。」
「ええ、そうですね。」
「それでも、やっぱり悲しいね。」
「そうですね。」
カーティスには彼を励ます手段が無かった。シューがどうにかできたことではないというのも違うし、彼のことを忘れろというのも違う。暫く側を離れないと一人で決意することくらいしかできなかった。
シューは鏡の前でくるりと回った。
「うん、可愛い。」
それが少女への言葉なら良かったのだが、送った相手は鏡に映る自分である。
お茶会が明後日になり、頼んでいた茶会用の服が届き、その試着をしていたのだ。カーティスが頑張って選んだのは、シューの瞳と同じ色をした碧い色の記事に、薄く薔薇の模様が入ったチュニックだった。美代子の世界では女性っぽく見えるのだが、この世界で今男性に流行っている形らしい。袖口や襟元にはゴテゴテにならない程度にレースがあしらわれ、パンツは喧嘩にならないようにシンプルな真っ白のデザインだった。髪留めにチュニックと同じ生地のリボンが更に可愛く、シューというよりは美代子の乙女心に響いた。
「気に入って良かったです。」
カーティスはホッと胸を撫で下ろしたようだ。そして、その後ろでユーリがシューの自己愛発言に苦笑いしていた。
「おぼっちゃま、よく似合っておりますよ。」
「うん、ありがとう。」
大して服装に興味はないが、新しい服に袖を通すと踊り出して外に出て行きたくなる。本番ではないのでサイズの確認ができれば脱ぐのだが、少し残念だ。
「そんなに新しい召物が嬉しいのでしたら、幾つかご用意しますか?」
「要らないですよ。こういうのは機会が少ないから楽しいんです。」
もう一度鏡の前でくるっと回ってみせる。こんなことが頻繁にあっては絶対につまらなくなる。採寸も毎回やるのは嫌だ。
「ですが、幾つか布地が寂しいものがありますし。」
「そういうのは使用人達に任せていますから。」
そう言えば、ユーリを始め、使用人達が張り切りだす。特に女性使用人達は楽しそうだ。予想外にシューが服を喜んでいるのを見たせいかもしれない。シューが子供らしい姿を見せると使用人達は嬉しそうなのだ。
家庭教師ヴィクターの授業の合間に、屋敷の中庭で休憩していた。中庭はあまり大きいものではないが、大輪の薔薇が色とりどり咲いていて、中庭の中央には白い柱と青い屋根の東屋ある。いくら中庭とはいえ、東屋は日差しに弱いシューには有難い。
「ぎゃあ、虫!」
足についた虫を取ってほしいとシューはカーティスに逃げると、カーティスは丁寧に追い払った。
「これくらい植物が咲いていたら仕方ないですよ。」
「知ってる?どんな獣や魔族よりも虫が一番人を殺しているんだよ。どんな人間よりも危険なの!」
「はぁ。」
ウイルスの概念が余りにも薄い世界でシューの発言は全く信じられていないようだった。あの小さな生物より悪辣な貴族の方が怖いのは当たり前だけれど。
「カート、虫の中でも蚊は絶対に許しちゃあいけない。あれはバイオテロ犯なんだ。」
「痒くなりますし、私も好きではありませんけれど。」
なら何故東屋に来たのかと言うと、ジャスミンが部屋を掃除している最中だったのだ。それから、シューの愉快な動物たちはメイド達によって洗われている。中でも人族のフィリップは女性に洗われるのは照れてカートゥーンのような攻防の末、最終的にお縄になった。その争いから逃げるようにカーティスに連れられて中庭に至るということだ。
「御茶会の練習はいかがですか。」
「つまらない。綺麗な服と衛生的なごはんの代わりの義務だとしても、1つ1つのマナーに合理的な理由がない。そもそもマナーって貴族と平民を分けるものなんだよ。だから、上流平民の間でマナー本が飛ぶように売れるんだ。」
「つまり、かなり苦手なんですね。」
大人しくするだとか、料理を綺麗に食べるなどなら、それくらいならシューも得意だ。ただ王女殿下に挨拶する言葉だとか、どのレディに挨拶する、しない、だとか、とにかく面倒くさい。正餐会ではなくたかだか家庭招待会なのに面倒くさい。
「僕から声かけなきゃいけないのも面倒だなぁ。」
「シューに声をかけられるのは、王族のみですからね。しかし、とにかく人脈を作るのだと息巻いていたのですから、頑張りましょう。反対にシューが声をかけていけない人は王族のみなんです。好きにお話できますよ。」
大体の招待客は把握している。そもそもお茶会は女性と子供の集まりだ。男性は女性ばかりの場所にあまり来たがらないし、男には男の集まりのクラブがある。正餐会以外の社交はそちらで十分ということだ。そして、シューが会いたい人物達はこのお茶会に集まらない。
「シャルルさんはアンヌの希望で出席するから、さらに女性の集まりは良いんだけどね。」
「でしたら、好きな女性でも見つけてくればいいのでは?」
「はあ、クラリスと似たようなことを言わないで。女性は好きだよ、男と違って可愛いし優しいし、下品じゃない。でも、ひどく面倒だ。」
美代子の時もそうだった。女友達と話している方が楽しいし、不快ではない。でも、男と話す時の方が何も気を遣わなくて楽なのだ。男だったら、多少雑に扱ってもあまり文句を言われない。
「シューはまだ幼いですもんね。」
「む、2つしか違わないのに。」
まさかカーティスに馬鹿にされるとは思わなくて、口を尖らせた。
「でも、今はとにかく締め切りのカーテンを大きく開けて、舞踏会にチョコレートプディングを手作りしたい気分。」
「それは何の話ですか?」
「さあ、何の話だろう。」
美代子の世界で有名なカートゥーンの会社が作った話なんてこの世界の人間は知らないようだ。チョコレートがまだない国で、チョコレートのデザートなんてお伽話でも出てくるはずがない。
「そういえば、前にもチョコレートとか言ってましたよね?」
「美代子が好きなお菓子だよ。」
「それはあると嬉しいですね。」
「いいよ、どうせこの国にあっても砂糖とミルクが多く入ったものだ。」
もうそろそろで休憩が終わるかという時、メイドが一人走ってきた。
「おぼっちゃまに面会を求めている方がおります。ユーリ様とヴィクター様には許可を得ておりますがいかが致しますか?」
ユーリと家庭教師ヴィクターが良いと言っているのなら、シューが断る理由は殆どなかった。
「相手が誰かわかる?」
「リサ・ネーサンナイト夫人のご息女でいらっしゃいます。」
ナイトはこの国の一世代限りの爵位の名だ。ネーサン家の知り合いの女性は一人しかいない。
「サルーンが落ち着いていればそちらにお通しして。」
「畏まりました。」
たかが数日ぶりではあるが、最後に会った時は青白い顔で意識がなかったので、凄くシューも会いたかったのだ。その気持ちを使用人たちが汲んでくれたようでとても嬉しかった。
大きな窓から沢山光が入り、サルーンはキラキラと明るくて、日が入らないところは濃い影が映る絵画的な情景だった。部屋に入れば、彼女は座っていた椅子から立ち上がり頭を下げた。
「ごきげんよう、ニーナ姉様。」
「ああ、こんにちは、シュー。」
数日ぶりのニーナは、血色も良くもう全く健康のようだった。
「元気そうで良かったです。最後に交わした言葉が今生の別れのようでしたから、不安でした。」
「実際私も死んだと思ったから。」
ニーナはあの夜のことを思い出して、心臓のあたりに手を置いた。
「ありがとう、シュー。私を助けてくれて。」
「僕だけでしたら、助けられませんでした。ニーナ姉様が精霊に好かれていたから、ニーナ姉様を助けることが出来たんです。それに、あの怪我は僕のせいでしたから。」
図に乗って、エリオットJr.に無理を言って参加した討伐隊だった。そして、世話係として側に居たニーナが体を張ってシューを助けることになった。結果としてシューが命を救ったが、元を辿ればシュー自身が蒔いた種だったから、ニーナの礼を素直に受け取れない。
「シューは気にしているのかもしれないが、あの夜シューが付いて来なければ、被害はあの程度では無かった。私は前線で死んでいた可能性も高い。」
あの日の殉職者は12名、内6名が食人鬼に食われた先遣隊だった。そして、それ以外の殉職者はその食人鬼に不意打ちを食らった者ばかりだった。比較的早くシューが食人鬼の皮を剥いだ為、被害は少なく済んだのだ。だから、騎士団はシューに感謝しており、ジョーンズ騎士弾長から直々に礼を言われ、一番位の低い勲章も授与されたが、シューはそれをあまり嬉しく思ってなかった。勲章も部屋のどこかに投げ捨てた。恐らくジャスミンかカーティスがどこかにしまっただろう。
「私は本当にシューに感謝しているのだ。原因がなんであれ、私は死にかけシューが精霊に頼み生き返った。それだけの話さ。そして、これ以上感謝することなどないくらいだ。」
シューの頭にふたたび、弟さんと呼ぶあの男の声が聞こえた気がした。ハデスがいるのなら、もっとちゃんと冥府の管理をしてほしい。実際のところ、ただの幻聴だろう。
ニーナはシューの手を固く握った。
「だから、私は本気でシューの願いを叶えたい。アルバート隊長殿に嘆願した。」
「え?」
ニーナの勢いに押され、シューは少し仰け反る。
「シューの護衛として名乗り上げたいところだが、光の神殿は男しかいないからな。アンドリュー・ホワイトを探してくるぞ。」
ニーナが言っていることについていけなくて聞き返すが、どう聞いてもアンドリューを探すと言っている。
「でも、騎士の仕事は?」
「辞めてきた。」
最早シューが止めることもできない。
「僕、責任取れな…。」
「気にするな、アルビオン軍に口を利いてもらう約束だ。」
「は、はい?」
「アルバート隊長殿にも心配されてな。私はアルビオン語も達者だし、実力も問題ないと言われた。それに、アルビオン公爵夫人に女性護衛が欲しいらしく、女であることも問題ない。」
ニーナは頭は悪くないと思うが、どうやら猪突猛進らしく、その勢いが良すぎて何も言えなかった。ちゃんと外堀を埋めてきたところは彼女の優秀なところなのかもしれないけれど。
問題は、本当にシューが会いたいのはアンドリューではなくて、その妹だということ。アンドリューに再会して、挨拶したらそれで終わりなんて絶対にダメだ。
「住んでいる場所が分かればいいんだ。」
「そうか、分かった。」
今のシューには人柱が必要だ。
1代限りの爵位は、騎士爵と訳されることも多いようですが、参考文献がナイトになっていたのでそのままです。
「サー」の訳語が分からなくて困ってます。
「ロード」を全て卿にしてるんですが、サーが卿なのでしょうか…。