お母さんがわたしを殺したの。
物騒なタイトルですが、そんな話ではありません。無駄話ってなんでこんなに楽しいんでしょうか。
エリオットJr.(18) アルバート公爵家 長男 超完璧主義の合理主義者 つまり、凄く面倒な人
ヴィクター(31) シューの新しい家庭教師 優しげに見えて厳しい。つまり、怖い人。
ルル 中級悪魔ティキ・シルヴィアが化けた猫。人の失敗や困っている姿を見るのが好き。つまり、ウザい。
フアナ 人の心を覗くことができる闇の精霊。人の揺れ動く心が好き。つまり、情緒不安定な人が大好き。
追記 貴族長男の敬称を誤解していたので直しました(2019.1.2)
シューが目を覚ましたとき、ベッドの上だった。厚手のカーテンが日を遮っており、時間は分からなかった。
「お目覚めですか、坊っちゃま。」
聞きなれない大人の男の声で飛び起きた。カーティスの代わりのフットマンだ。
「あ、おはようございます。」
「…もうじき夕ご飯のお時間です。」
その言葉を聞いてシューははっきりと思い出した。家庭教師ヴィクターに叱責されながら、授業を受けていたのに寝てしまったのだ。
「坊っちゃま、夜更かしでもしていたのですか?ヴィクターが眠いまま学んでも効率が悪いと帰ってしまいました。」
「すみませんでした。」
ただ神殿生活の習慣のせいだったが、言い訳したところで、授業で寝てしまったシューが悪いのには変わりない。ちゃんと反省していたのだが、フットマンの男にくどくどと説教され始めた。自律精神の強い子供にこの手の説教が反対の効果をもたらす事は反抗期の子供を持つ親なら分かるはずだ。
「分かったってばうるさいな!」
シューは枕をフットマンの男に投げつけると、捕まえようとするフットマンの男の腕をすり抜けて、自分の書斎に駆け込んだ。バタンと大きな音を立てて扉を閉める。鍵を魔法で動かないように固定した。マスターキーを持ってこられても絶対に開かない。
「餓鬼かよ。」
そのような行動をするシューを嘲笑うのは、黒い猫の姿をした悪魔だった。
「餓鬼だよ。」
「そーでした。」
「ああ、もう!」
シューはどさりと自分の体を椅子の上に投げ捨てる。
「でも、お前が言い出したんだろう?直ぐにマナーくらい覚えるってな。」
「今日、魔道書を漁ってた時はそんな予定なかったもん。」
その魔道書を目にしても苛立つ。
「あーあ、前半はすっごい楽しい一日だったのに!」
エディと会って魔法の話をしたり、イールゥイと会って言葉を教えあったりしていてとても充実した1日だった。むしゃくしゃするシューは自分の膝を抱える。オズワルドは今日帰宅日ではなく、恐らくエリオットJr.と2人きりだ。こんな情けない姿をあの完璧主義者の男になんて言われるか分からない。
「ここで寝過ごしてしまおうか。」
「その方が子供っぽいわよ。」
いつのまにかフアナもこの部屋にいてーー元々いたのかもしれないがーー、子供なシューを諌める。
「自分が悪いって気づいているんだから。」
「気づいてるし、謝ったけどそのあとぐちぐち言われちゃ堪んないよ。無理。」
自分が拗ねていることも、下らないことに腹を立てているのも分かるが、分かったところで感情が湧き立つのは抑えられないものだ。シューは椅子から降りると、魔道書でもなく、可愛らしい絵柄のついた絵本の棚へ行く。
「あら、シューもそんな本を読むのね。」
心底不思議だとフアナは真面目な顔で言う。
「そりゃあ読むでしょ。僕も一応貴族の子供だし、ナニーにずっと読んでもらってた。」
絵本を読んでいたナニーは嫌いではない。だが、流行病で亡くなってしまった。美代子の世界ではなく、この世界では普通のことだ。でも、そのナニーが死んで、最後の何かが消えてシューは普通の子供ではなくなったのだ。
「へえ、昔の貴方でも大切な人が居たのね。」
「子供なんだから刷り込みくらいある。後から知ったけど、ナニーは僕を殺そうとしたことがあったらしいよ。」
「裏切られていたのね。」
「でも、ナニーは僕のことを愛していたんだ。不思議だよね。」
「ふふ、愛憎模様…ね。」
「んで、いじけたシューは絵本を手にとってどうするだ?」
シューは絵本を開くと表紙裏に書かれた落書きをルルに見せる。稚拙な線は何を書いているのか分かり辛いが、文字のようだ。
「これ、エリオット兄様が小さい頃に書いちゃったやつ。」
「へえ、こんな落書きがなんだって?」
「落書きに意味があるわけじゃないけど、これを見ると兄様も人間なんだって思えるから。」
シューが落ち込むと何故かこの文字を見たくなる。そして、安心するのだ。あの完璧主義のエリオットJr.だって子供の頃はお行儀の悪いとされることをしたことがあるのだと。
「下らない正当化だって自分でも思うけど。」
「まあ、大事なんじゃねえの。心を守る手段つーのは。なあ、心の精霊さん。」
「正当化なんてつまらないじゃない。」
「はいクズー。まじクズー。俺様よりもクーズー。」
「何がしたいのさ、ルルは。」
歌うようにフアナを罵倒する。ルルの方がシューを庇ってくれているのには分かるが、そのようにフアナを挑発するのは不思議だ。
「喧嘩なの。」
「さあな。昔から精霊なんて好きじゃねえ。」
「あら、奇遇ね。私も悪魔は好きじゃないわ。」
「ずっとこの家にいるから苛々するんじゃない?散歩でもしてくれば。」
神殿の頃から言っている気がするが、2人の気まぐれにはシューもついていけない。
「ほら、行ってこいよ。」
「あら、貴方が行って来なさいよ。」
はぁとため息をついたところだった。
どんどんどん、ガチャガチャガチャ。
扉を叩く激しい音に、解錠される音。それに、シューを心配する二つの声がする。
「おぼっちゃま!開けてください!」
「申し訳ありません、言い過ぎました。」
ユーリとフットマンの男の声だった。フットマンの男は申し訳なさそうな声だ。
シューは扉による。けれど、開ける気は無かった。そもそも鍵は開いていて、魔法さえ解けば彼らは中に入ってくるのだ。でも、魔法を解くのは嫌だった。シューは手に持っていた絵本を握りしめる。
「なんの騒ぎだ。」
シューは扉越しに聞こえる声にどきりと驚いた。
「は、中で?おい、何しているんだ。」
エリオットJr.の怒気を孕んだ声によって絵本をにぎる手に力が入る。
パリン、何かが割れる音がする。それは遠くではなくすぐ近くでした。魔法で閉じ込めていた扉が勢いよく開き、エリオットJr.によって首根っこを掴まれ子猫のように廊下へと連れ出された。
「おい、使用人に無駄な手を煩わせるな。」
「ごめんなさい。」
絵本を落とすまいと抱え込んだまま、へたりと床に自身が落ちた。ちらりとエリオットJr.の顔色を伺うが恐ろしくてすぐ目を瞑った。
「夕飯だ。」
それだけ告げると、兄は何事もなかったように去っていった。
「あんまり怒ってないのかな。」
ユーリに問うと、ユーリはシューの背を押した。
「大丈夫ですよ。坊っちゃまが朝早かったのは私もエリオットJr.様も知っておりますから。」
「え…、そうなの?」
シューが苛立ったのはフットマンがシューが反省していることにもぐちぐち文句を言って来たのが始まりであったが、何よりエリオットJr.に怒られるのが嫌で逃げていたのだ。全く昨日の今日で馬鹿な子供だと思う。
「坊っちゃま、絵本を持ってどうしたのですか?」
12歳の子供が大事そうに幼い子供向けの絵本を抱いているのはなかなか変だ。特に年齢よりも精神的に大人なシューは更にだ。
「これはお守りです。」
「旦那様がエリオットJr.様に買い与えた、勇者の物語ですね。」
絵本やおもちゃは、末っ子の元に集まる。美代子の世界とそれは大差無いようで、シューの元に2つの兄から流れて来たものがそれなりにある。
「この話嫌いです。」
「そうなんですか。」
弱いものを助けて、魔王に勝つ話。誰もが幼い時に憧れるヒーロー。
「だって、みんなに愛されて当然って顔してるもの。」
すると、ユーリはかがんでシューに目を合わせる。
「坊っちゃまは坊っちゃまが思っている以上に愛されておりますよ。」
愛されている、というよりは「嫌われていない」という方が正しい気がする。もし本当に愛されていたのなら、今までのシューが滑稽で哀れな木偶でしかない。
ユーリが言ったようにあまりエリオットJr.は怒ってないようだ。2人だけの夕食も穏やかに過ごした。元々多くを話す人では無いので、ほとんど何も話さなかったけれど、夕食が終わり部屋へ戻ろうとすると兄は言った。
「明日は昼寝の時間は無い。決められた時間に起きろ。」
いつものような冷たい声色だったが、いつものように怖さは感じなかった。
「はい、兄様。」
数刻前までいじけたとは思えない微笑みでシューは返事をして食堂を出る。
シューは静かなフットマンをちらりと横目で見る。
「どうかしましたか?」
「なんでもありません。」
「ユーリ様はともかく、私に敬語を使う必要なんてありませんよ。気楽にお話しなさってください。」
「そのうちに。」
名前も知らないフットマンの男にそう言われても戸惑う。
それからも2人の間に会話は無く、予定通りのベッドタイムにシューは布団を潜る。彼が側にいるのはたかが三日だ。それくらい我慢できるはずだ。
「俺様が『ハンプティ・ダンプティ』歌ってやろうか?」
「なんでそれ。僕は塀に卵を置いてない。」
「じゃあ分かった。『お母さんがわたしを殺したの』にしてやるぜ。」
「最悪な曲選だね。」
「今のお前にピッタリなマザーグースじゃねえか。」
「兄様たちは僕を食べる気にならない。」
「そうだといいな。」
枕元でルルが騒ぐ。なんで今日はこんなにも騒いでいるのだろう。最近はカーティスと話しているうちに寝ているのだ。話さないフットマンの代わりにルルが話しているのだろうか。
「『3匹の子猫』にしてやろう。」
「手袋を無くしてないからルルがパイを作ってくれるのかな?」
「切望と絶望が混ざったパイを日曜日に作っておくぜ。」
「ハートのジャックが盗んでいってしまうじゃない。」
「そんな奴は首をはねてしまえばいい。」
「3匹の子猫」を歌うと言っていたのに、ルルは「ハートのクイーン」を歌い始めた。きっと誰の首をはねることもないのだろうなと思いながら、いつのまにか眠っていた。
翌日エリオットJr.に連れられて騎士団へと向かう。王都の騎士団は王宮の中にあるので、中心街の広場を抜けて国一番の城へ入る。城の前の警備はエリオットJr.のお陰で顔パスで簡単に入れた。
王宮には議場も兼ねているとはいっても、とんでもなく大きい。真昼間にここまで近くで王宮に入ったことがないので、その荘厳なつくりに子供らしくワクワクした。
小さなシューには難しいので、兄の手を借りて馬車から降りる。流石は完璧な紳士だ。降りやすくて、なんだか悔しい。
「おはようございます。アルビオン伯爵様。」
「毎朝、堅苦しい挨拶だ。」
馬車から降りて直ぐに爽やかで穏やかな声をかけてきた男性がいた。エリオットJr.も気心が知れているようだ。
「ごめんねぇ。朝だけはしっかりしようと思ってね。こちらが昨日言っていた弟さんか?」
「シュー、コイツはオールセン伯爵の長男、クリストファーだ。クリス、弟のシューだ。」
シューは紹介されて会釈するが、それどころではなかった。オールセン伯爵という単語は聞き捨てならない。
「エルと全然似てないね。可愛い。俺も弟がいるけど、全然可愛くないから羨ましいな。」
そう、弟だ。彼の弟こそ攻略対象の1人、ニクラス・オールセンだ。彼が最初にパーティメンバーになるキャラクターだから、美代子も思い入れのあるキャラクターで忘れることはない。
「コイツも全然可愛くない。」
「…可愛くない自信はあるけど、抗議します。」
「いやぁ、可愛いよ。俺の弟は図体ばかりでかいからな。何歳?」
「見た目だけだぞ。12歳になったところだ。」
「12歳?もっと幼く見えるよ。」
「チビだからな。」
「怒っていいですか。」
兄の友人は穏やかで優しげな人だった。厳格なエリオットとはバランスが取れているのだろう。シューが年齢の平均身長より低いことは自覚しているが、チビだと言われるのは嬉しくない。
「無駄話をしている暇はない。さっさと、行くぞ。」
「エル、無駄というのは人生において必要なことなんだよ。」
「お前の人生にはな。俺には必要ない。」
「そんなんだから兄様、マドレーヌ伯爵のお嬢様に『つまらない』って言われるんですよ。」
「何故お前が知っている。」
「僕は優秀な魔術師ですから。」
マドレーヌ伯爵のお嬢様がエリオットJr.の婚約者だ。攻略対象の婚約者だから、ライバルや悪役だと普通は思うだろうけれど、この婚約はお互いの打算でしかなく、相手の婚約者の方はエリオットJr.が好きではない。ヒロインが彼のルートに入ると婚約者は色々エリオットJr.の弱点などをアドバイスしてお手伝いをしてくれるのだ。
「あはは。誰もが羨むエルの婚約者なのに、一番エルのこと好きじゃないよねぇ。マドレーヌ伯爵のお嬢様は。」
皆遠回しに相手の婚約者の名前を言わないのはオルレアンやアルビオンの慣習だ。未婚の女性は名乗ってはいけないし、呼ばれてもいけない。(名乗る場合は母親の名前を名乗る。)だから、本来シューがアンヌと王女殿下のことを呼ぶのはいけないことで、人がいるところでは王女殿下としか呼べない。
「でも、まあさっさといかないとジョーンズ騎士団長が怒るかな。」
下らない会話に眉を顰めていた男は何も言わずさっさと歩き始めた。
「待ってください、兄様。」
全く違う大きな足幅を追いかける。背後で2人を見ていた青年は嬉しそうに笑った。
無駄話、二連続目!
色々おとぎ話やらマザーグースやらが出てきますが詳しくありません。
小学生の時にマザーグースの詩集を読んで第2巻か第3巻で「お母さんがわたしを殺したの」が出てきて読むのをやめてしまった思い出。