We hate each other .
エリオット・アルバート(40) オルレアン宰相閣下 アルバート家当主 シューの父親 社交界ではオモテになったらしい。
ディアナ公爵夫人(40) エリオットの正妻 社交界では壁の花。 本来ならアルバート公爵夫人なのだが、シューが名前で呼んだいるだけである。
エリオットJr.・アルバート(18) アルバート家長男 社交界では大変人気のある紳士。婚約者がいるので派手なことはしていない。
オズワルド・アルバート(16) アルバート家次男 社交界デビューすると一躍人気者に。女性との噂も絶えない。
カーティスとジャスミンを連れて、食堂に入ると、既にエリオットJr.とオズワルドが座っていた。神殿と同じ石造で派手な装飾は少ないはずなのに、アルバート家の食堂が豪華絢爛で美しく感じるのは大理石の光沢と使用人たちの努力の差なのだろう。
「…遅れました。」
給仕係に椅子を引かれて、シューは用意された端の席に座る。神殿の食事にすっかり慣れたシューはこの厳かな空気に耐えられなくなりそうだ。
「お父様も帰ってくるらしいから、もう少し待て。」
エリオットJr.に告げられた言葉にシューは目を丸くした。
「お父様が?」
もう2月以上会っていない父親が帰ってくると聞いて、シューは思い切り嫌そうに顔を歪める。
「そういう感情は隠すものだと教わっただろう。」
「そうでしたか?」
エリオットJr.に対してこれ以上にない笑顔で返すと彼は眉を顰めた。
「ちょっと、これから食べるご飯が不味くなるんだけど? シュー、いちいちつっかからない。」
シューの隣にいたオズワルドがパンパンと手を叩く。いつもエリオットJr.とシューがこのように言い合いを始めると、オズワルドはエリオットJr.の肩を持ってシューを諌めるのだが、前まではそれが凄く腹が立った。だけど、今日はオズワルドの注意がストンと自分の中に入ってきた。
「すみませんでした、オズ兄様。それから、エリオット兄様も。」
ジャスミンに謝ったように消え入るような声ではなくて、すっと声の通った謝罪に、エリオットJr.とオズワルドは目を丸くした。
「なんでしょうか。」
「ううん、分かってくれて嬉しいよ。」
神殿に行く前だったら、シューはなんと言い返したのだろう。
「シューは謝ったよ、リオ兄様?」
オズワルドの発言に今度はシューが耳を疑った。
「なんだ?」
「シューが悪かったと思うけど、兄様も大人気なくシューを睨んだでしょ。6歳も年下の弟に一々腹を立てないでください。」
エリオットJr.もオズワルドが自分に意見をするなどと初めての事で、驚きを隠せていない。
「そうだな。」
シューは2人の兄から目をそらして、用意された目の前の何も乗っていない皿を見る。
オズワルドは明らかにシューの知る彼から変わっている。彼を変えたのは王女殿下か。彼の変化は確実に未来を変える。それはシューと王女殿下の願いであり、目標だ。でも、不思議なのはそれが怖いとも感じる。既にシューが変わっているにも関わらず。
「オズ兄様、ありがとう。」
シューの小さな感謝の言葉は、開いた扉の音で消える。
「お前たち、待たせたな。」
エリオットJr.をそのまま老けさせたような紳士、かつて社交界では1番女性から人気のあったというシューの父親エリオットが、眉ひとつ動かさず、入ってきた。全てを見透かすような大きな瞳がシューを捉える。
「久しいな、シュー。」
シューは会釈するだけで返事をしなかった。
「神殿では元気に走り回っていると聞いて安心した。」
エリオットの顔を恐る恐る見ると、そこには無慈悲で厳格な鉄仮面の顔ではなくて、ちゃんと父親の顔だった。見たことのないこの男の表情に言葉を詰まらせる。
「…神殿は、とても、勉強になります。」
オズワルドといい、ここはシューの知らない世界なのかもしれないと思ってしまう。紛れもなく現実なのに、自分だけ世界から取り残されたような気分になる。
「そうか、心配していたが大丈夫のようだな。」
父の言葉にただ頷くだけで、何も言わなかった。できなかった。
「カーティスも大変なことに付き合わせてしまって悪いな。」
カーティスは話を振られるとは思ってもなかったが、主人のエリオットに言われて緊張して声がうわずりながら答える。
「いえ!とても貴重な体験をさせていただけています!」
カーティスの返答に安堵したように返すと父親はそのまま2人の兄の方へ話題を変える。
シューは夕食を食べ終わると、足早に自室へ戻った。
【お帰り。】
フアナの挨拶も聞かずに、ベッドに飛び込む。寝ていたルルを踏み潰し、彼は悲鳴をあげた。
「おい、何しやがる!」
ルルの文句にも何も返せなかった。悲しくもないし、嬉しくもないのに、シューの瞳からただ涙が溢れてくるのだ。自分にも分からないその涙を誰にも見られないように枕に吸わせる。
「おい、シュー?」
能天気な悪魔もシューの見たことのない様子に思わず普通に声をかけるが何も彼は言わなかった。
「そんなまずい飯でもでたのかよ、護衛。」
「…旦那様が、いらしゃって、声をかけられて。」
カーティスの言葉では、フアナもルルも分からなかった。
「シューが大っ嫌いな父親に嫌味でも言われたのか?」
「…いえ、いえ…。」
例えば父親に無視されても、きっとシューは涙なんて出てこなかった。それが普通だったからだ。だから、普通にあの親父と文句をつけながら書庫に魔道書でも取りに行ったはずだ。
無性に名前を聞かなかった冒険者の男に会いたくなった。名前を聞かなかったのはこれ以上あのパパのような男を心に残したくなかったからなのに、これでは意味もない。
「シューちゃん、入るよ?」
ノックがする音とオズワルドの声がする。カーティスがどうしますかと尋ねるが何も答えたくなくてカーティスとオズワルドを無視する。カーティスが返事に扉を開けると、オズワルドは
「えー、どうしたの?」
と呑気な声を上げながら入ってきた。カーティスは戸惑いながら慌てるだけでオズワルドを止めない。この侵入者にシューは勢いよく顔上げた。
「泣いてるの…?」
オズワルドは心底驚いたようでシューの顔を掴む。
「なんで?」
「分かんないよ!」
不愉快なその腕を振り払い、涙を吸い込んだまくらを彼に投げつけた。
「僕にだって分からない!」
理不尽に投げられた枕だったが、彼はそれを見事に取った。
「そっか。じゃあ、思いつく限り気に入らないことを言ってみなよ。的外れとか、自己中心で横柄なことでもなんでも。」
激情したシューとは違って、オズワルドの声は今までに聞いたことのないくらい落ち着いていて優しかった。そして、それがさらにシューの心をかき乱した。
「そういうところだよ!なんで?なんで急に変わるの?」
「俺?」
「オズ兄様も、お父様も、急に優しくなって、変だよ!」
理不尽だと思う。自分勝手だってシューだって分かっているのだ。
「あり得ない。今まで、僕のこと心配したことなんて無かったのに。」
「…それで?」
オズワルドはシューの言葉を否定することなく切ることもなく、シューの言葉の続きを待った。
「僕は、僕がいけなかったの?今まで僕が悪いことをするのは、お父様のせいだって、兄様のせいだって思ってた。」
「それが急に、良い人になった?」
責任をただ家族に押し付けて、自分は悪くないと、自分を見てくれなかった家族が悪いとそうしてシューは自分の心を落ち着かせていた。ただエリオットがシューに父親らしく声をかけて、心配だと言ったことや、オズワルドがシューを思ってエリオットJr.を諌めたことで悪いのは全て自分にあるのではと思ってしまった。
美代子でなければ良かった。そんなこと美代子の記憶が無ければ絶対に思いもしなかったはずなのだから。
シューは自分の思っていたことをオズワルドにぶつけて、オズワルドを睨んだ。大体シューが全てを話しただろうとオズワルドが静かに話し始めた。
「お父様は分からないけど、俺のことだったら教えてあげるよ。自分でも変わろうと思ってたから、シューにそう思ってくれたら俺としては成功かな。シューちゃん、神殿に行ったばかりの時、毒で死にかけていたウィリアムを助けたよね。」
シューは無言で頷く。
「そもそもウィリアムが毒蛇に咬まれたのは俺の慢心だった。本当は俺が咬まれる所だったんだけど、ウィリアムが俺を庇ったんだ。恐ろしかった。医務室に行って血清を打ってもらっても、保健医に魔法をかけてもらってもウィリアムの容態は悪化していくだけだったんだ…。」
最初からウィリアムが狙われて咬まれたのなら、まだオズワルドの心はあれほど苦しまなかった。もしあのままウィリアムが毒で死んでいたら、オズワルドはきっと学院を退学して引きこもっていたに違いない。
「神殿から自分の足で帰ってきたウィリアムを見て、心の底から感謝して泣いたよ。それからウィリアムにシューの事を聞いた。シューちゃんは魔法のこと凄く詳しかったけど、まさかシューちゃんが救ってくれるとは思ってもみなかった。それで、急に自分が恥ずかしくなった。今まで自分の心の弱さでシューちゃんを虐めてたのが本当に恥ずかしかった。死にたくなった。でも、ウィリアムが『死なれたらお前を庇った俺も俺を救ったシューも報われない。死ぬくらいなら、もっと弟を大切にしてやれ』って。シューが神殿で変わったのなら、俺ももっと変わろうって思ったんだよ。」
王女殿下、「風吹けば桶屋が儲かる」話は知っている?
英語では「バタフライエフェクト」なんていうんだけど。
小さなことが廻りまわって関係なさそうなところに影響を及ぼすことなんだ。
シューがウィリアムを助けたのは、ハッピーエンドに彼の力が欠けてはならないと思ったからだ。シューの行動が、オズワルドの心を助けていたなんてきづくはずない。
「シュー、俺のことは憎んでいいんだよ。嫌いなままでいい。」
「え?」
「例え俺がこれからシューに優しくしても、俺がやってきた行為は絶対に消えない。だから、許さなくていい。いや、許さないで欲しい。今度は俺が罪悪感で死んでしまうから。」
オズワルドはシューに枕を手渡すのを、両手で受け取った。
「勿論お父様も憎んでいいよ。あの人は滅茶苦茶不器用なんだ。あ、不器用だからって受け入れる必要ないよ。面倒なのには変わりないでしょ。もっと腹立てていいんだよ。今更心配の言葉とか遅いんじゃボケって言えばいいよ。ううん、言ってあげなよ。」
「言ってあげる?」
「うん。言ってあげて。怒ってあげて。誰にもあの人を叱れる人が居ないのもよくないんだよ。お母様も面倒だからって放置するんだもの。」
「…お母様も面倒なことを僕がやるの?」
「お母様は極度の面倒くさがりだから。」
「面倒くさがり?」
シューは殆ど会ったことこない、エリオットの正妻はプライドの高いと噂のディアナ公爵夫人が面倒くさがりだとは思わなかった。
「そうなんだよ。」
「…考えておく。」
そもそも嫌いな男のために、自分が勇気を出すのも嫌だ。勝手に自滅してればいいのだ。
「そうだ、本当は会ってすぐ言おうと思ったことがあった。」
オズワルドはシューの右手を両手で包むようにすると、額をつけた。
「ウィリアムを助けてくれてありがとう。アイツは本当に大切な友人なんだ。」
オズワルドの為に助けたわけでもないし、ウィリアム自身のことを思って助けたわけでもない。第三者に過ぎないオズワルドに感謝されると少しだけ嫉妬の気持ちも出てこないわけでもないのだが、
「今度は兄様が僕を助けてね。」
不思議と落ち着いて入られた。ウィリアムにオズワルドの話をされた時、1人ぼっちだと思った自分から少しは変われたのかもしれない。
「勿論助けるから、今度は溜め込まないで素直に話しなよ。」
「うん。」
でも、それはオズワルドも同じだ。オズワルドも天邪鬼で他人に頼ろうとしない人だから、と言いたいけれど言えなかった。それすらもシューには恥ずかしくて言えなかった。
【それでどうなることやら。】
シューの子供らしさを発揮。
こういう話が好きなのですが、ちょっと早過ぎたかもしれないと思いつつ…。