I’m pleased that you gonna get your world back.
シュー・アルバート(13) 西田美代子として日本で生きていた記憶を持つ主人公
マティルド 闇属性の少女、シューよりも何倍も強い闇の力を持ち、イザナミの加護を持っている。
イフリート 火の最高精霊 シューの母親であるエリザベス・ノーランドと父のエリオット・アルバートを非常に気に入っており、シューのことは本来つける予定だったセオドアという名前からとって「テディ」と呼び、息子扱いをしている。
シューは大丈夫と言ったが、世界が嘲笑うかのように天気が突然荒れた。風が大きく荒れ狂うせいで、波が非常に高くなる。シューは片手を慌てて蛸の触腕のように変化させてしがみついた。
「な、んなんだ、突然。マティ、エラ呼吸できる生物にはなれる?」
「お、お魚さんね。」
無理やりシューも擬似的にエラ呼吸できる器官を作る。雨も滝のように降り始め鳥のような飛ぶどころではないから、鳥ではなくカエルのような顔にした。具体的な何かではないから、見た目は複数の生物を混合した怪物に変わってしまった。だけれども、生きられるならこれくらい安い。
高い波と強い雨で視界がぼやけながら、それを見た。
ーーー恐らく精霊同士の戦い。
片方はシューも見たことがあるネプチューンだろう。よく見えないがあの有名な鉾が見えた。
片方は見たことがないがどことなく懐かしさも感じるような面差しで、それをよく見ようと目を凝らしているうちに、水に呑まれた。
蛸の触腕でマティルドから離れるようなことはなかったが、それでも道筋は失った事に変わりはない。
「くそ、なんなんだ。なんで精霊同士で争ってるんだよ。神話時代か。」
だいぶ流されたあたりで海面に浮上したが、もはやここがどこだか分からない。すっかり日が沈んでいて真っ暗だ。
「海の精霊同士で争うならまだしも片方は風属性だった。」
「ミョコどうする?」
「流されたおかげで時化からは脱出したけど…、どこだろうね。ここ。」
「…うーん。」
シューは大きな瞳を持つ鳥に近い魔族に変化して、空へと上がった。夜行性の魔族で昼だと太陽の光で見えないので、夜にしか効果はない。
「あっちの方に大きな島…大陸だと思う。行ってみよう。」
疲れ果てたマティルドを咥えて、夜の海の上を飛ぶ。シューもほとんど体力なんて尽きているので気力だけで、なんの土地かも分からない大地を目指した。
身体を投げ捨てたいくらいに疲れていたシューは、その海岸に着くと倒れるように砂浜に寝そべった。
「マティは平気?」
「ん、シューが運んでくれたし、魔法をかけてくれたから。何か食べられそうなもの探してくる。」
「助かるよ。あと少ししたら焚き火をしよう。」
マティルドが帰ってくる前に濡れて冷えた身体を癒せる焚き火を用意しようと重い身体を上げた。こういう時死に物狂いで火魔法を憶えてよかったと心底思う。例え豆ほど小さい炎だったとしても、あるのとないのでは雲泥の差だ。
浜辺の流木たちを集めて火をつけると、それは大きく燃え上がった。
「……テディ!漸く繋がった!」
「イフリート。」
「んな、ボロボロになっちまって大丈夫か。飯は?」
「マティが何か探してくれてるよ。」
「俺は今非常に心が痛い。俺はとんでもないことをしちまったんじゃないかって。リズの子を殺しかけたのかって。」
シューは人の形をしたその手を握ろうとしたが、イフリートは慌てて手を引いた。
「止めろ、これは俺の体ではないから燃えちまう。」
「……ん、そうか。」
「ちょっと待て、何とかお前たちのいる場所にいけないか試みる。だから。」
「行かないで。…話をしていよう。」
「分かった、このまま話すが、俺も移動してテディに近づく。」
酷く疲れていたから、シューは頷いてそのまま焚き火の近くでうずくまった。
「ミョコ、蟹と魚獲った。」
「さすが、…マティ。」
「あ、俺が焼いてやるから近くに寄ってくれ。」
「ありがとう。」
蟹は、浜辺によくいる小さなイソガニで、魚も見たことはないが小さい魚だ。イフリートはマティルドから受け取ると慎重に焼いた。体を動かすのも億劫だったが、マティルドがシューの口元まで運んでくれるから咀嚼して飲み込んだ。
「おいしい。」
「ん。」
「疲れたねぇ、マティ。」
マティルドもその魚と蟹を口にして、うんと頷きあった。イフリートが見張だけならしてくれると言うので、2人とも目を閉じて体を休ませた。
「おやおや、懐かしい気配がすると思ってみたら…、知らない子供ですねぇ。」
「…お前は。」
休んでいる2人に近づいてくる影にイフリートが警戒をすると、その人間の男の姿をした精霊がやってきたのだ。
「そこにいるのはイフリートですか、お久しぶりですね。」
「ゲブか。セトがさっき喧嘩をしていたようだが。」
「外敵と戦うことこそが彼の生きる術でございますからね。まあ、私の父に似たのでしょう。」
人のような精霊は踵を返してその場を去ろうとするのを、イフリートが呼び止めた。
「シューはオシリスに会いたがっている。」
「人間とはそういうものですよ。」
にべもなく拒否されたが、イフリートは頼むと頭を下げた。精霊は基本的に首を垂れない。だから、ゲブはイフリートのその行動に衝撃を受け、眉をあげた。
「なぜ。」
「ゲブは何故ここにきた。」
「……それは。」
「懐かしいものを感じたからだろう。その意味、オシリスならきっとわかる。」
ーーーーー
シューは水のチャプチャプという音を聞いて目を覚ました。ただ眠った時に感じていた砂の温もりがなくなっていることで、飛び起きた。
「マティ!」
恐れるように周りを見るとすぐそばに彼女は蹲るように寝ていた。彼女がいることに安堵して、落ち着いて周囲を見回す。昼か夜かも分からない真っ暗な空間で、何故か人と物体だけがよく見える。床は暗い闇になっているが、壁面には大量の古代文字と平面的な神聖な精霊の絵が描かれていた。
「ここは。」
「おや、目が覚めたようだね。」
目の前に玉座があってそこに彼はいた。艶やかな黒髪を翻し、シューに笑いかけた。そして、ハデスと仲が良いシューはここが冥界の一部であることが分かった。
「僕らは命を落とした…?」
「ええ、生きているよ。でも、流石ハデスやイザナミの加護を持っているものたちだね。ここがすぐにどこだか分かるとは。」
「……ならば、貴方はやはり冥界の最高精霊の1柱であるオシリス。」
オシリスはその黒い瞳に何も写さない。吸い込まれたら最後永遠に囚われてしまいそうな黒い瞳は嘲笑していた。己の怯えて震えそうな可愛そうな足を叩き叱咤する。
「そうだね。我が名はオシリス、蘇りの力を持つ者。私に会うために、無茶をしたとイフリートが申していたよ。そんなことをしなくても、死者になれば会えるというのに。」
「僕の住んでいる地域の冥府はハデスの管理下です。」
「住んでいる地域?そんなもの冥界にはない。キミの魂は私の庇護下にある…が、ああ、いや片方だけだけどね。」
イザナミから言われていた二つの魂が存在していて片方は死んでいると。そして、その片方の魂と体を結ぶように、美代子がいるのだと。だから、シューはシューとしてこの世界に存在するために美代子が死んだのだと考えていた。無理やり連れてこられただろう美代子の魂はこの世界では行き場がないのだろうか。
「とは言ってもキミの言うとおり、ほとんどの場合が近い者の管理下となるだろう。」
「でも、僕の場合はシューの核を使われたから、あなたの管理下ということでしょうか。」
「ん?」
オシリスは不味いものでも飲み込んだように、目を丸くして驚いていた。
「何やらよく分からんが、ここにあるのだよ、『日下出現の書』がな。いやキミたちの方ではこう呼んだか、『死者の書』が。」
オシリスの手元にパピルスでできた閉じ本が舞うように現れて、彼はペラペラとめくる。
「死者の書……?」
「様々な魔法…いや、呪術と死者の世界のことを描いたものだ。そして、これには復活の呪の記載がある、ニシダ・ミヨコ、キミの名だ。」
「は、はあ、え、何故私の名を。」
この世界では親しい一部の人間にしか知られていない名前。何故シューではなく美代子の名前がそこに記載されているのだ。この世界に美代子が来ることは必然だったということで、誰がその名を刻んだのか。
「……ふむ、なるほど、ここには見たことがない呪が描かれている。日下出現の書というのはほとんどが人の手で作られている意味があまりない書なのだが、これにはかなりの魔力が宿っている。」
「貴方がその書を手にしたのはいつからなのですか。」
「さあな、分からん。悠久の時の中で、いつ何があったかなど気にしたこともない。」
「……その呪を唱えたら僕はどうなるんですか。」
「知らん。ここには蘇りという記載があるが、どういう意味かは分からん。」
「……蘇り?そこの名前が書いてあるのは私の方の名前ということは蘇るのは私?」
「試してみるかい?」
「私がこの身体から消えたら、僕はどうなるんですか。」
シューと美代子は地続きの人生だと思っていたし、記憶も体も一緒のはずだ。今生きているのは美代子であり、シューだ。でも、生まれた時に死んでいたという男児の魂のみになった身体は?
「……そうだな。だが、この娘のように仮に生かすことは可能だ。」
「……けど、成長も何もしない。」
魂がくっついているというのが理解できない。それは、そう見える精霊たちも信じ難い現象だ。
「どうしてこんな事に。」
「そんなことをしたのは、恐らくこれを書いた張本人。どういう結果を招くかは私も分からんが、私はこれを使うのが私の役目だと思う。ニシダ・ミヨコに会ったその時にな。」
「けど、僕は。」
「くどい。人の子よ、私は人の都合など聞かん。私の思った通りにするだけだ。」
オシリスは押し問答に飽きて、美代子のことが書かれているというパピルスの書を掲げて何かの呪文を唱え始めた。シューはとにかく何かメッセージを残せるようにと近くのマティルドの腕を掴んで必死に彼女の名前を呼んだ。
「ミョコ?」
朧げな目で彼女はシューを見た
「もし僕に何かあったら伝えて。僕はもう何も恨んでない。家族を愛せるようになったって。」
この世界で同じ境遇にいた真理亜や、シューの責任であるマリアンを置いていく可能性に怯えた。
「マティ、ごめんね、ありがとう。」
「みょこ、どうしたの。」
不安そうにマティルドの白い手がシューの手を握る。呪文は続いているが、シューに痛みなどはない。だが、何故だが少しずつ視界が白くなっていって、マティルドの輪郭がぼやけていく。
「ミョコ。」
悲鳴にも似た彼女のつぶやきをシューはどうしてやることもできずに目を閉じた。