So she loves him.
話は全然進みません。
翌朝、シューはカーティスが起こしてもなかなか起きれなかった。なにしろ睡眠時間は1時間しかなかったからだ。カーティスは無理やり彼から布団をひっぺがし、寝間着を脱がせる。寝間着やシューの着ている服が全て前びらきなのは、おそらく彼が寝汚くて、寝惚けていても着替えさせることができるからだ。殆ど眠っているシューは着替えさせるカーティスにもたれかかっているからなかなか着替えさせることもできない。
「ルルさん、どうにか起こせませんか?」
「眠い時は眠るしか起きる方法なんてねーよ。」
「せめて着替えを…!」
「なんで俺様がそんなめんどくさいことを。」
「化け猫は追い出しますよ!!ただでさえ貴方は怪しまれてるんですから!」
ルルは不細工な瞳でカーティスを睨むが、カーティスはルルの正体なんて知るはずもなく、更に睨み返す。
「貴方昨日クラウス神殿長のところからお酒盗んだでしょ、言いますよ!」
「なんで知ってんだよ!」
「ほらやっぱり!追い出します!」
「くそ、鎌かけられた!」
ルルはぶつくさ文句を言いながら、魔法陣を発動する。
「纏いの精霊、シトリ! 汝、我に力を。」
ルルが唱えるとシューの服装が寝間着からいつもの神殿用の服装に変わる。
「初めて見る魔法です。」
「こんなことに使う魔法じゃねえから!普通は!」
「…2人とも何騒いでるの?」
深く眠っていたシューも2人の応酬に流石に目を覚ました。
「…普通は何に使うんです?」
「シトリの加護が乗った服とか、そういう戦闘とかに役立つ鎧に使うの!」
「シトリってなに?」
「テメーが寝てたからこうなってるんだろうが!」
シューの質問には誰も答えることなかった。ルルもカーティスも呆れたようにシューを見ている。結局、祈りの時間ギリギリで聖堂について、端の方でひっそりと光の精霊に祈りを捧げた。眠気と戦っているせいでふにゃふにゃな言い回しになってしまった。
割り当てられた掃除場所でも、シューはうつらうつら船を漕いでいた。聖堂近くの大きな廊下で、膝をつきながら、雑巾をかけているのだが、何度も額をぶつけそうになっていた。隣でシューと一緒に雑巾をかけているカーティスがハラハラと見守っていた。
「この後スープに顔をつっこませないでくださいね。」
「ふぁい。」
同じ掃除場所を担当するアイザックの目が痛い。なんだかんだでアイザックと同じ組に入るのは誰の指示なんだろうか。彼からのシューのせいで時間内に終わらないだろうと訴えかけているのを無視して手を動かす。
「お前、そんなんじゃ魔法失敗すんじゃねえの?」
「…ダメそうだったら明日にしてもらう。今のところは予定通り。」
ルルがシューの腰でぴょんぴょん飛び跳ねているのを勢いよく床を拭いて振り落とす。フアナは男子たちのアホそうな光景には我関せずで、すまして羽をつくろっていた。
朝食の薄味のスープの具材とはならなかったシューは、漸く目が覚め始めていた。眠くらならないうちにと神殿の廊下を急いで歩いた。
「見つけたぁ!シュー!」
「アレン?」
「これから医院かな?」
「そのつもりでしたけど…。」
「ちょっと予定変更ね!」
アレンに連れられた先は来賓室だった。兄が会いに来たのだろうかと気後れしながら、部屋に入った。
「お久しぶりです。シュー御坊ちゃま。」
予想だにしない人物、それはタウンハウスを取りまとめている執事、簡単に言ってしまえばユーリの直属の上司である、アーサー・アヴァロンだった。少し古いタイプの背広を着ておきながら、それがまたよく似合う整えられた髭のある紳士だ。因みに独身だ。主人に隠れて所帯を持っている執事はいるが、彼は本当に独身だ。これもシューが隠れて尾行したことで確かめている。
「…お久しぶりです。ミスター。」
シューが彼より先に頭を下げる。彼は召使い、表面上だけはやはりシューの方が上であっても、実質的な地位は彼の方が有利だ。
「不躾ではありますが、どうしてこちらにミスターがいらっしゃるのですか?」
「そんなに畏まらなくてよろしいですよ。旦那様から伝言を頼まれたのです。」
「メッセンジャーに態々貴方を寄越すほどのことなんですか?」
性急に話し出そうとするシューを諌めて、来賓室のソファに座るように促す。長くなって眠たくなるのは嫌だが、言われた通りに座った。
「…旦那様はすぐに家に戻って欲しいとは言っておりましたよ。」
アーサーに付いている侍従がお茶を用意したのを見て、カーティスは申し訳なさそうに肩を小さくする。
「その言い方では強制ではないのですか。」
「貴方は誤解していると思いますが、旦那様はシューおぼっちゃまのことを心配しているのですよ。」
心配をしている、あの男が。全く想像できない。エリオットJr.やオズワルドに対してならまだ分かるが、シューに対して一欠片の愛情でも示したことがないのだ。悪夢の中の父親もそれは同じだった。
「あの人は、何を言って貴方を寄越したのですか。」
「様子を見てこいと私は言われましたよ。伝言というのも困り事があればすぐ伝えるようにというものでした。」
「嘘。今までそんなこと一つも言われたことない。ミスターが僕を傷つけないようにそう言ってるだけじゃないの。」
優しいあの男を思い浮かべることができない。ひどく突っぱねられたこともないが、彼はシューに何もしないのだ。
気持ち悪い。
「要件は終わりですか?」
「…神殿の暮らしは如何ですか?」
「とても快適です。煩わしいものが何もなくて。」
礼儀も何も無く、逃げるように来賓室から出ていった。カーティスは上司である彼に頭を下げると慌ててシューの後を追った。
医院までの間にある神殿自慢の渡り廊下に、奉仕作業や農作業で出払った静まり返ったそこで、シューはポツンと立ち尽くしていた。
「シュー。」
貴族の女性が羨む艶やかな金色の髪が寂しそうに風で揺れ、空のような碧眼は涙を溜めていた。
「パパがいないの。」
本当に親と逸れたとても幼い子供のように彼は立ち尽くしていた。
パパ、大好きなパパ。もう彼はいない。ここには大好きなパパもいないし、優しいママもいない。全てを打ち明けることのできる友達だっていない。
突然美代子にそれらの事実が襲ってきた。忘れていなかったのに気づいていなかった事実。美代子にはシューのような美しさも、シューのような頭の良さも、行動力も無いけれども、それでも彼女は幸せだった。看護師として、休みが少ないといつも文句を言っていたし、看護師長は自分の好きなようにシフトを組んで腹が立っていたけれど、確かに彼女は幸せだった。
「どうしたんですか?」
「…食われたかぁ?」
不細工な猫が美代子を見つめて言う。黒い猫の上に乗っている綺麗な小鳥は何か言いたげだったが、何も伝えてこなかった。ただどこか歌い出しそうなくらいに嬉しそうに見えた。
「…ううん。行こう、僕の患者のところに。」
袖で涙を拭うと医院にかけて行った。何も知らないカーティスは首を捻りながらもすぐに後をついていった。
「シュー、元気ないな。」
骨折した冒険者はベッドの隣にある椅子に座るように促し、素直に従った。
「お前の方が病人みたいな顔しているなぁ。」
「…貴方が重傷の割に元気なんですよ。」
「シューの魔法のお陰だな。」
剣を握っている武骨な大きな手が頭を撫でる。
「僕のお陰?」
「めっちゃ痛かったけど、お前が痛みを和らげてくれたし、治してくれるって言っていたからな。焦ってたけど、今はそんなこともないし。」
だから、感謝しているんだよと大きな手で、繊細なガラスのように優しく撫でる。
「うん、いっぱい感謝していいよ。」
「あはは、なんだなんだ?」
すると、彼はもっとベッドに寄るように言った。
「小さい背中で、よう頑張ってるなぁ。」
「なぁに、それ。急におじいちゃんみたい。」
「俺はまだ若いぞ、失礼な。」
冒険者の彼はパパみたいだった。パパはシューの父親のエリオットではなくて美代子の父親だ。彼のベッドの上に乗ると足を子供のようにブラブラと動かした。
「…ねぇ、冒険者さん。足が治ってもまた会いに来てくれる?」
「世界中飛び回っているから、頻繁には難しいけど会いに行けるよ。付いてくるならずっと一緒だけだどなぁ。」
「諦めてなかったの?」
「良いやつは一緒にいて楽しいからな。」
全てを捨てて、冒険者の彼について行く。きっと今より断然大変で汚くて面白そうだ。公爵家に未練だってあるわけもない。
でも、シューには痼りがあった。
「ついていけないよ。」
彼の撫でる手を止めて、ゆっくり下ろした。
「まあ、大貴族様だからそうだろうなぁ。」
「ううん、僕は目的の為に手段を選ぶような人間じゃないし、君には迷惑をかけることしかしない。何より…、まだ戦ってないから。」
「戦ってない?何と?」
ベッドから降りると、にこりと子供のように微笑んだ。
「君の旅路に精霊の加護があらんことを。」
シューの周囲が光で溢れる。金色の髪が更に美しく輝いて、呪文を唱える彼は神々しく、彼は思わず目を細めた。神聖で近寄りがたいその光景に息をのむこむのも一苦労だ。
「…シュー…。」
光が途切れるとシューは男の手を引っ張った。しばらくベッドの上で過ごしていた彼はつんのめりながら、ベッドから降りた。
「ちょっと、シュー?!」
「ほらもう元気!」
「ん、え、あ。」
冒険者の男は、自然と立っている自分に驚いた。
「いってらっしゃい!」
「…本当に凄え…。」
治す時間もさておき、しばらくベッドの上で過ごしていたのに、筋肉は全く衰えている様子がない。それすらも彼は回復させたのだろう。
「天才魔術師、シューだよ。また会えたら旅に誘ってよ。」
「それはまたすぐに会いに来なきゃな。」
そういうと彼は豪快に笑った。
側で見ていたカーティスは、とにかく混乱していたが、シューの子供らしい笑顔に安心していた。ただこれ以上シューに踏み込んだことを聞くのができなかった。
「護衛、気になることがあれば本人に聞きゃあいいじゃねえか。」
「カーティスですよ。…よく分かりません…朝はいつものシューで、ミスターに会ってから変になって、今は今までにないくらい楽しそうで。」
「…子供なんてそんなもんだろ。」
面白くないルルの上で1人フアナは楽しそうに鳴いていて、カーティスはさらに首をかしげる。
「そういう、こと、なんでしょうか?」
「さあな。年の近いお前の方がよく分かるんじゃねえの?」
「12歳の時、私は何を考えていたでしょう…。ただお休みのことばかり考えて仕事してた気がします。」
ルルはふぁああと眠そうに欠伸をして、カーティスの独白には何も答える気は無いという様子だった。
「カート、次行くよ。」
カーティスに声をかけてすたすたとまっすぐ歩いている様子からは先程迷子になっていた人間には思えない。
「あ、シュー!」
アイザックとは別のディーンのそばにいる少年がシューに話しかけて、奉仕作業を手伝って欲しいと頼んでいた。
「ごめんなさい。今日は疲れてて手伝えないんです。」
「えー、ディーンは良くて俺はダメなの?」
「ディーンに頼まれても今日は無理です。自分の担当で精一杯なので。」
「あーあ、そりゃあディーンは有力貴族だけどさ。」
弁明など聞いていないようで、少年はつまらなそうな顔をする。カーティスはこれは良くない雰囲気だと思うと、さっとシューの前に出た。
「あの、ごめんなさい。シューは昨日あまり寝れなかったようで、疲れてるんです。」
「なに?今シューと話してる。」
ここでは少年のうちは貴族だろうとあまり関係ない。護衛がしゃしゃり出てくることも彼にとってみれば気にくわないことだろう。
「分かりました。」
「シュー?!」
「ですが、それが原因で僕が倒れたら明日の僕の担当分は貴方にやってもらいます。それが認められないと僕は無理です。」
美代子だったら苦笑いで引き受けていたかもしれない。ただシューは彼女ではない。彼女のように大切なものは少ない。その取引ともいえる言葉に少年は驚いたようで、ようやくシューの話を理解した。
「分かった。今日は自分でやるよ。」
流石にシューが倒れて、シューの分まで担当するなんて彼には無理だった。もしそうはならなかったとしてもクラウス神殿長や他の大人たちに叱責されるのは少年だからだ。
「話を聞いてくれてありがとうございます。」
シューは頭を下げて、少年と別れた。
「…すっかりいつものシューですね。」
「なにが?」
次の患者を診て少しばかりの休憩をしているとカーティスはそう声をかけた。
「ミスターと会ってからちょっと変でしたから。」
カーティスに指摘されてから、シューはそうだったかなと首を傾げた。シューにとってはどれも「シュー」として素直に生きていただけだった。
「…ああ、でも一瞬彼女になってたかもね。」
「彼女?」
シューは深く頷いた。
「とんでもない、阿呆らしい話と聞いてもらってもいいんだけど、僕は「前世」の記憶があるんだよね。」
「え。前世?」
「気にしなくていいよ。」
前世の記憶があるとだけカーティスに言って、それより深く彼は話さなくて、カーティスは更に困惑するしかなかった。それを見てブヒャヒャと顔と同じように不細工な笑い方をするルルにカーティスは剣の鞘で頭を小突いた。
殆どレントゲンの魔法、の続きでした。分けなくても良かったんじゃないですかね…。
アーサー・アヴァロンさん(42歳)
若いですかね?でも、タウンハウスにいないですけど、マナーハウスにはいらっしゃるんですよね。上司が。




