3.香山譲
夜行バスの到着アナウンスで目が覚めた。夜中一度も目を覚ますことなく到着できたようだ。
バスが到着したのは地方都市のターミナル駅。僕たちの事務所がある都心から新幹線で日帰りできる距離でここからほどなく自然が多い場所が多数あるので撮影場所として業界でよく利用されている。
僕たちも何回か来た事あるけれど、普段は駅から移動車が手配されているので自力で移動手段を探すのは初めてだ。駅なので待ちタクシーが沢山あってよかった。
タクシーに乗り込み、「A高校に行ってください。」と口から行き先が自分の意志と関係なく出てきた。昨日から本当に不思議なことだけど疑問とか不信感とか悪い感情が自分の中で湧かないんだよね。
運転手は了解を示してすぐ車を発進させた。しばらくして思い出したようにスマホを見ると、メンバー社長マネージャー仲のいいスタッフさんから沢山の着信が届いていた。
皆僕の結婚発言を真に受けるわけでなく社長が昨日の会議で「次のプロモーションビデオは薬物依存への警鐘だ!まず譲は薬を買うために男との売春設定な!!」という発言に対して僕が切れて家出したものだと認識しているようだ。
マネ社長は謝罪の言葉が並んでいるが、メンバーは皆面白がっている。ピッピのみ「生放送の歌番組にはお願いだから来てください」とまじめな仕事の心配だった。彼は僕より芸歴が上なのに年齢だけ見て僕をリーダーに推薦した誠実な人間だ。
皆に「心配しないで必ず戻ります」と送信したところで運転手が到着したことを知らせた。駅からそこまで遠くなかったようだ。料金を払いタクシーから降りようとしたところでふと思いついた話を運転手にして了承を得る。
校門付近は今がちょうど登校ピークのようで沢山の制服の学生の中を校舎にむかって歩く。目ざとい女子生徒が気づき始めるが立ち止まれない。スリッパはないしすぐ帰るので靴だけ脱いでそのまま階段を登る。
行くべき教室ははっきりと頭に浮かび案内図を見なくても引き寄せられるように足が向かった。
その教室の前で僕は何のためらいもなくドアを開く。驚く生徒を無視してたった一つの席に向かう。
席には二人の少女がいて、一人は僕に驚き言葉を失っているがもう一人は気づかず絡まった髪をほどくために悪戦苦闘している。
「光桜子さんだね。」
僕が彼女の名前を発すると顔を上げ、僕の顔を見て驚いたように固まる。
「迎えにきたよ。僕と結婚しよう。」
僕はそう言って、彼女の髪を解いて手を取り教室から出た。
そのまま学校を出てタクシーにまた乗り込むまで彼女の顔を見なかったから僕はずっと気が付かなかったんだ。
彼女が、なぜかすべてを知っていたように落ち着いていたことも、そしてそれなのに喜びより悲しみの強い目の色をしていたことを。
僕はずっと後まで気が付くことができなかった。