日曜日の過ごし方
私の名前は姫山 桃香、小学五年生だ。
日曜日というのは一週間で一番大切な日である。この日を幸せに過ごせるかどうかで、明日から始まる学業のやる気に大きく関わってくるからだ。
その大切な日曜日のランチにお勧めのお店があると外食に誘われ、オシャレをして、意気揚々とついて行った私に待っていたものは、期待を悪い方に大きく裏切る物であった。
ぷんぷんと漂う豚骨の臭い、油でぬるりとする不衛生な机、目の前に置かれた、脂の塊がぷかぷかと浮かぶ不健康そうな食べ物を見て私の食欲はナイアガラの滝の様に直滑降で減衰した。
「どうして、年頃の女の子を連れてラーメン屋に来るのかしら……」
「女の子がパスタを食いたいように、男ってのはラーメンが食いたいもんなんだ。それはどんな男だろうとそうだ」
叔父さんは豪快にズルズルとラーメンを啜りながら言った。
「それでも、子供の意見を少しくらい聞くのが大人ってもんじゃないのかしら……」
私は諦めて、割りばしをパキッと二つに割り、どんぶりから救い上げた縮れ麺をレンゲの上に載せる。
どんぶりという世界は私には大きすぎる。レンゲくらいの大きさが丁度良いのだ。メンマやネギを追加し、レンゲの上にミニチュアラーメンを作る。
「おいおい、そんなにちまちま食ってると伸びちまうぞ?」
「叔父さんと違って、啜るという行為が出来ないの。それがわからないのだから、いい歳をして独り身なのよ」
私は悪態をつきながら、レンゲを口に運んだ。うん、中々美味しい。そこまでギトギトとしていない豚骨スープはのど越しが良く、アクセントの焦がしニンニクがあっさりスープにパンチを効かせている。叔父さんがどうしても連れて来たがった理由が分かる気がする。それでも、女性を連れて来る場所ではないと思うけれど。
私の両親は不定期に休日でも仕事がある。そういう日は両親の代わりに叔父さんが面倒を見てくれる事になっている。
今日もパパとママが仕事なので、叔父さんとお昼ご飯を食べに出たのだ。
私はパスタを食べたいと言ったのに、どうしてもこのお店に連れて行きたいと言われ渋々ラーメンを食しているわけだ。
叔父さんはママのお兄さんらしいけれど、あまり似ていない。ママはすらっとしてオシャレなのに、叔父さんはいつも、ジーパンに黒っぽいシャツで身だしなみには感心がないようだった。
「ありがとうございやしたー!」
愚痴をこぼしながらも、お腹を満たした私達は、店員さんの掛け声に見送られ、ラーメン屋を後にした。
「美味しくなかったか?」
叔父さんが不安げな顔をして私の顔を覗き込む。
「美味しくないこともなかったけれど、女性と行く場所ではないと思うわ」
「女性といっても小学生だろ」
「小学生でも女性は女性なの! それだから、叔父さんはモテないのよ!」
叔父さんは頭をぽりぽりと掻きながら項垂れる。
「モテないのは事実だけれど、桃香に言われると落ち込む。俺ってそんなに魅力ないのかなぁ」
叔父さんに無いのは魅力より、デリカシーだと思うが、教えてはあげない。
「それより、この後はどうするの? 私ならもう結構よ。子供じゃないのだから、一人で留守番出来るわ」
「それは俺が君のパパとママに怒られるよ。今日は夜まで面倒を見るって約束しているから。川でザリガニ釣りでもする?」
「一人で釣ってろ、ばーーーか!」
どうして、女の子を遊びに誘うのにザリガニ釣りなのだ、そりゃあ、低学年の頃はザリガニ釣りに連れて行って貰ったとも、でも、もう高学年なのだ。この人の頭の中の私は成長していないのだろうか?
今日だって、お気に入りのシュシュと水色のワンピースを着て来たっていうのに。
踵を返し、早足で歩く私を叔父さんは謝りながら追いかけて来る。
「悪かった。桃香、遊園地ならどうかな? 財布的には辛いけれど機嫌が直るならなら致し方ない出費だ」
どうして一言余計な言葉がつくのだろうか。だが、遊園地なら妥協ラインだ。私は仕方なく首を縦に振る。
叔父さんの車に揺られ、目的地に向かった。日本で一番有名な遊園地、誰もが憧れる夢の国。私は空想でしか行った事の無い場所に行けるのが嬉しくて心を躍らせた。
遊園地の入場口を潜ると、ヨーロッパをデフォルメしたような街並みの商店街に続いていた。建物は非日常的なデザインなのに、売っている商品はクッキーや、ぬいぐるみなど、日常でも手に入る物が並んでいる。
私は夢と現実の境界線が曖昧になるのを感じた。
商店街を抜けると、大きな広場に出た。可愛いお花畑が広がっており、その奥には大きな西洋風のお城が見えた。ガラスの靴のお話に登場する有名なお城だ。お話に登場するお城が現実にあるのが嬉しくて、思わず、わあっと声を上げた。
「どう? 少しは機嫌直った?」
「ふん。この程度では直らないわよ」
嬉しそうに話しかける叔父さんを喜ばせるのが癪で、わざとふくれっ面を作る。
話題を逸らす為、入場口で貰った、リーフレットを乱暴に広げ、どのアトラクションから回るか考える事にした。
絶叫マシンで叔父さんに叫ばせるのもいいし、水しぶきで濡れるアトラクションで叔父さんをびしょ濡れにさせるのも楽しそうだ。
悪企みを想像しながら眺めていると、メリーゴーランドが目に留まった。
「叔父さん、メリーゴーランドに乗って来なさい。私が写真を撮ってあげるから」
「えっ、いやどう考えても役割逆じゃない? 俺が乗る方なの?」
「合っているわ。叔父さんが乗る方よ。私は乗るより眺める方が好きなの。ちゃんと決めポーズ考えておいてね?」
「念のために聞くけれど、拒否権はあるかい?」
「勿論無いわ」
叔父さんは肩を落としながら、メリーゴーランドの列に並ぶ。周りはカップルや家族だらけなのに、一人ぼっちだ。叔父さんはとても恥ずかしそうにきょろきょろ周りを見ている。その光景が既に楽しい。私は口角をにっこりと上げる。
列が徐々に進み、叔父さんがメリーゴーランドに乗る番がやってきた。
叔父さんは白馬に跨ると、中腰になりながら、馬のお尻を叩くジェスチャーをしている。
「あれは一体何なのかしら、もう少し王子様っぽい動作は思いつかないの……」
私は呆れながらも叔父さんの写真を何枚も撮った。
他のお客さんは優雅に楽しんでいるのに、一人だけ別世界の住人の叔父さんは妙に浮いていた。私は恥ずかしくなり、生暖かい目で楽しそうな叔父さんを見守った。
メリーゴーランドが回転を止めると、叔父さんは降りて、私の所へ戻って来た。
私は早速、奇妙な動きについて問い詰めた。
「叔父さん、あれはどういう事よ。白馬の王子様にはとても見えなかったのだけれど」
「白馬と言えば、オグリキャップ。ジョッキーをやるのに他にどんな表現の仕方があるんだい?」
「叔父さん、夢の国で何をやっているの……」
「競馬こそ、夢とロマンの塊じゃないか。お馬さん達は僕らの夢を乗せて走っているんだよ。大抵の場合、夢は破れ現実の厳しさを味わう事になるけれどね」
「叔父さんに言った私が馬鹿だったわ……」
私は呆れながら、次のプランを考える。
夢の国にギャンブルを持ち込むような人は行水で煩悩を洗い流すしかない。
「次はあの滝から落下する丸太型ボートに乗って来なさい。私は下から撮影して待っているので」
「念のために聞くのだけれど、今回も拒否権は無いのかい? 折角の機会だし、一緒に乗りたいんだけど……」
「勿論無いわ」
先ほど、同じ様に一人でとぼとぼと列に並ぶ。御一人様用の専用レーンがあるらしく、ファミリーやカップル達とは別のぼっち用レーンにぽつりと立っていた。叔父さんは恥ずかしそうに俯いたまま、重い足取りで前に進む。
叔父さんが建物内に入り見えなくなったことを確認すると、私は丸太型ボートが出てくる滝の頂上をぼーっと眺めた。
洞窟の奥から、丸太型ボートが姿を見せると、滝を一気に駆け落ちる。
皆、楽しそうに大きく手を広げて、屈託の無い笑顔で滝壺に落ちていく。
そのまま、派手に水しぶきをあげながら、着水していく丸太型ボート。
楽しそうな人達の顔を見ると、胸の奥にわだかまりを感じる。私はこれでいいのだろうか?
楽しそうに万歳をしながら、滝を落下する人々、私もあちら側で楽しまないと勿体ないのではないだろうか?
何組かが滝壺に落下した後、叔父さんの乗る丸太型ボートが見えた。
落ちる瞬間、叔父さんと目が合った気がした。その表情は楽しいとも、怖いとも違う、何か達観した雰囲気を纏っていた。
暫くすると、ずぶ濡れになった叔父さんが戻って来た。
「次のアトラクションは一緒に乗ろう。桃香も楽しまないと駄目だ。見ているだけじゃダメなんだ」
「私には私の楽しみ方があるの。夢の国だもの。散策するだけでも十分楽しいわ」
「そうだな。俺もそう思う。街並みを眺めているだけでも楽しい。まるで異世界に迷い込んだみたいな気分だ」
叔父さんは頭を掻きながら辺りを見渡した。
「でも、思い出ってのは一人で作るもんじゃない。二人で作るもんだろう? 散策が良いなら、一緒に歩こう。何か見たいものはあるか?」
「……お城の中に行ってみたいわ」
「奇遇だな、俺も城に行きたかったところだ」
叔父さんはかったるそうに頭をぼりぼりと掻くと、私の手を握った。
「ちょっと、何するのよ!」
「はぐれると困るだろ? それとも、迷子の案内で場内に名を響かせたいのかい?」
「はぐれないわよ。子供じゃないんだから!」
「はいはい、桃香さんは大人ですよ。大人だったら、手を繋いだくらいで騒がないの」
叔父さんは相変わらずデリカシーという言葉を知らない。手を繋ぐのならもっとロマンチックが良いと思うのは私のわがままなのだろうか? 右手から伝わってくる温もりが、私の心を複雑にかき混ぜる。
城内は想像以上に素敵だった。本物のお城の様な作りの内装に、お話の名場面を切り抜いた絵画にドレスや馬車などが飾ってある。
「素敵ね。お城の中を歩いていると本物のお姫様になったみたい」
「桃香は俺のお姫様だよ」
お姫様と呼ばれたことに一瞬どきりとした。
「あら? じゃあ叔父さんが王子様なの? 随分と御歳を召した王子様なのね」
「いや、俺は従者だよ。桃香の王子様は未来の彼氏に譲らないとな」
寂しそうに嘯く叔父さんに腹が立ち、繋いでいた手の指を絡ませる。
叔父さんは少し驚いた顔をしたが、直ぐにいつもの穏やかな表情に戻った。
「おっ、桃香。ガラスの靴があるぞ」
ガラスの靴は魔法を象徴するかのようにそこに佇んでいた。
大人の女性のサイズのその靴は私がお姫様であることを否定するように冷たく輝いていた。
私は作り笑顔でガラスの靴と記念撮影をした。それは、魔法とのお別れと、現実との再会を果たしたようだった。
「私はお姫様にはなれないのだわ」
城外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。
「もう帰る時間ね」
私は時計に目をやる。時刻は十九時を回っていた。
子供の私にはもう魔法が解ける時間だ。
「ああ、これを見たらな。パパとママには遅くなるって連絡しておいたから大丈夫だぞ」
「これって?」
疑問に答えるかのように、暗闇が驚くような光の洪水が音楽と共にやってきた。
最初に姿を見せたのはお姫様であった。夢と言う羽を広げ、夜空を優雅に飛んで行く。
それは美しい以外の言葉で言い表せない光景だった。
その後は、汽車に乗った人気のマスコットキャラクター達がやって来た。
光と夢の競演が次々と通り過ぎていく。これは人工的な魔法だ。人を笑顔にする魔法なのだ。
私達はパレードに魅入られていた。最後尾の後姿が見えなくなり、静寂が訪れた後も、呆然とそこに立ち尽くしていた。
「叔父さん、今日は連れて来てくれてありがとう」
素直なお礼の言葉が口からこぼれる。どうやら、私も魔法に掛かっているようだ。
叔父さんは驚いた顔をした後、私の頭をポンポンと叩き、照れくさそうに手を差し出した。
「どういたしまして、お姫様」
私は無言で叔父さんの手を握り返した。
夢の国には数回行ったことがあるのですが、
最後のパレードの時間が一番印象に残ってます。
キラキラと輝くキャラクター達が本当に笑顔の魔法を掛けてくれるんですよね。
また、行きたいなぁ。夢の国。