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不本意の切腹

 この日、近藤は伊東を引き連れて広島へと向かった。長州の本意を探り、できることなら戦を避けようという意図であった。

 一方、京では最近、情勢の不安定さからか特に不逞浪士が多い。見回りに出れば必ず切り合いになっていた。総司は隊士も増えた事から、隊士達について教える時間が長くなっていた。体を休める暇も無くなるほど、毎日忙しくしていたのだ。

 総司が抱える病『労咳』とは、安静にしててこそ病気の進行を止める事が出来るのであって、体に負担をかけるとなると、あっという間に進行してしまう。寝る暇もない程の総司が病気の進行を止める、そんなことを出来るはずがなかった。ジワリジワリと病という悪魔は、総司の体を蝕んでいく。悪魔が正体を現した時、総司の口から溢れるのだった。

 その日、総司は一番隊を率いて見回りに出ていた。案の定、浪士達と切り合いになる。逃げた一人の浪士を総司が追った。浪士の腕はたいしたことはない。総司にかかれば一瞬で形がつく。浪士を切った直後、総司は違和感に襲われた。胸が焼けるように熱い。あの時の池田屋事件の時の感覚と同じ。その熱さはジワジワと上に上がってきた。

 恐れていた事がついに起きてしまった。押さえた口元から離した手には、真っ赤な悪魔が総司に笑いかけていた。


   私には……時間が…ない…。


 総司は血を吐いたその日から、ゆっくり静養するどころかますます稽古に性を出すようになった。夜遅くまで一人、稽古をしている。

 そんな総司を見ているのはなつと土方。総司の病の正体を知っている二人。

「お前、良いのか?総司、あんな生活してたら直ぐに身体悪くしちまうぞ?」

「良いんです。総司が選んだ道ですから。寿命を縮めても強くなりたいんだと思うから。あたしに出来るのは、総司を支える事だけです。」

 土方は思った。いつの間にこんな強い女になったんだろう。好きな男が不治の病に冒されているのに男のやりたい事をさせる。どんなに止めさせたい事だろう。

 誰だって好きな人にはいつまでも一緒にいて欲しいに違いない。でもなつは総司の想いを一番に考えていた。剣士らしく生きたいという想いを。


 事件は、何気ない土方の一言から始まった。

「河合、今、隊にいくらの金がある?」

 特にこれといって意味は無かった。ただいくらぐらいの蓄えがあるのか知りたかっただけであった。河合は新選組の勘定方。家が裕福な米問屋を営んでいるため、そろばんに長けていた。最初の隊士募集の時に入隊した者で、剣の腕はいまいちだが、当時、数字に強い者がいなかったので採用された。

 河合は帳面と全ての蓄えを土方に見せた。

「おい、五十両足りねぇぞ?」

「え?!そんなはずは…」

 帳面を見ながら金を数えていく。その顔は冷や汗が流れ、切羽詰まった状態だった。数え終わった河合。その顔は青白く、今にも倒れてしまいそうだった。

「五十両は…?」

「…分かりません。おそらく…紛失したと…」

「勘定方が金の管理もできないようじゃ隊士失格だなぁ。」

 その時、河合の頭に浮かんだのは『切腹』の二文字…。

「申し訳ございません!金は急ぎ親元へ頼み、送ってもらいます!ですから今回の事はお許しいただけませんか?!」

 河合は必死だった。土方も優秀な勘定方を失うのは惜しい。その言葉を飲んだ。

「十日以内に届かなかった場合、切腹だ。良いな?」

「はい。十日もあれば必ず届きます。本当に申し訳ございません!」

 それが悲劇の始まりだった。

 河合は信じていた。普通に考えると五日程で必ず金は届く。十日なんて十分過ぎるくらいだった。土方も金は届くと信じ、他言はしていない。金が届けば水に流すつもりでいた。

 河合が焦り出したのは五日を過ぎた辺りから。本来なら届いても良い頃なのに一向に飛脚は来ない。同じ頃、土方にも焦りが出てきた。何気ない自分の一言から始まったこの事件。このままでは河合を切腹させなくてはならなくなる。

 そして今、頼るべき近藤は広島へ行っている。鬼の副長でいる以上、隊の規律を護るため多少の情けも不必要。今は飛脚が来るのを待つだけだった。

「おい、河合が金を紛失して切腹になるかもしれねぇって話だぞ?!」

 いったい何処から話は漏れてしまったのか。隊内にはあっという間に広まってしまった。こうなった以上、金が届かなければ河合は切腹を免れない。しかし納得しない者もいた。なつだ。

「土方さん!何も切腹までしなくて良いでしょ?!謹慎ぐらいで十分じゃない!」

 なつは土方に食ってかかっていた。しかし土方は冷たく言い放つ。

「規律は規律だ。山南の死を無駄には出来ない。」

 なつは納得せざるを得なかった。ここで河合を救えば、山南が切腹した意味が無くなる。規律によって固く結ばれた隊が、ひとつの緩みで一気に解かれてしまうのだから。


 期限は残り一日となっていた。幹部達の間では誰が介錯をするのかという話にまで進んでいた。その役を率先して引き受けたのは谷三十郎。槍を専門にしており、左之助の師匠だという。そしてこの谷、近藤家と繋がりがあった。谷の末の弟が近藤家の養子に入っているのだ。そのためか、隊の中では威張り、平隊士からは嫌われていた。このような男は、土方も苦手としていたが…。

 自分からかって出た以上、それを止める事はない。威張り散らしていてても、谷は七番組長だ。それなりの腕はある。

「谷さんに任せて大丈夫なんですか?」

 総司は先程の会議には出席していなかったのだが誰かから聞き付けて土方の部屋にやって来ていた。

「あいつがやるって言ってんだから止める事もねぇだろ。」

「谷さんは槍が専門でしょ?もし刀でしくじったりしたら…」

「あいつも七番組長だ。そんな心配はいらねぇだろ。」

 土方は特に疑問は持たなかった。谷を信用している訳ではないが介錯ぐらい出来て当然と思っていたのだ。

「それより総司、お前痩せたんじゃねぇか?稽古も良いが少しは休めよ。」

 土方の言葉には返答せずに部屋を出ていく。

「まったく…心配ばかりかけさせんなよ…。」

 土方の呟きに答える者はいなかった。


「河合さん…」

 なつは河合の部屋へ食事を持って来た。それは期限とされた当日の朝だった。

「なつさん…飛脚はまだ…来ませんか…?」

 なつは首を横に振った。

「なんで…?五日もあれば届くんじゃないんですか…?」

「…はい。本来なら。何かの手違いで文が届いていないのかもしれません。」

 河合はもう諦めたかのように言った。その表情には既に死を覚悟した憤りが感じられた。

「まだ分からないじゃないですか!まだ時間はあります!もう少し、信じましょう?」

 なつは精一杯の励ましを送るが、河合にそれは通じなかった。

「ありがとうございます。私の好きな物ばかり揃えてくださって…」

 河合は運ばれて来た料理に箸をつけはじめた。ひとつひとつをじっくり味わうように。

「私、これが一番好きなんですよ。なつさんの浅漬け。」

 そう言うのとびきりの笑顔で美味しそうに浅漬けを食べていた。その表情はこれから切腹しようとしている人とは思えないくらい、穏やかだった。

「…あたし…他の隊士の方の食事の準備に戻りますね!」

 死を覚悟するとこんなにも穏やかな表情が出来るのだろうか。山南もそうだった。

 なつはいたたまれない気持ちになり、河合の部屋を飛び出した。一人残された河合。その目からは止まる事の知らない涙が溢れていた。


「時間だ。」

 土方はそう言うと、島田を河合の迎えに行かせた。河合は既に覚悟を決めていた。その表情は清々しかった。

「河合、何か言い残す事はないか?」

「…父に…父に伝えて下さい。私は新選組に入って後悔はないと。」

 源三郎は深く頷いた。

「それと…谷さん…出来るだけ早くしてください。私、痛いの苦手なんで。」

 河合は笑っていた。何故死ぬのに笑える?その場にいた者全ての心だった。

「皆さん、ありがとうございました。」

 そう言うと勢いよく腹に刀を突き刺した。それと同時に谷が刀を振り落とす。

「ギャァーーーー!!!!!」

 響いたのは河合の断末魔。谷は首を落とせず、肩に刀を食い込ませてしまった。あの清々しい表情は地獄を見ている。早く痛みを取り去らねば…誰よりも早く総司が動いた。心臓を一突きにし、河合は永遠の眠りへとついた。

 介錯をしくじってしまった谷。ただ茫然と立ち尽くしていた。


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