坂本龍馬
土佐の坂本龍馬。彼はなつが島原へ来て二日後に姿を現した。思ってた以上に早く姿を現したので、なつは幾分安心していた。総司の態度が気になっていたのだ。しかし早く何かしらの情報を聞き出さなくては帰れない。
早く総司に…会いたい…
「ようこそ…天神牡丹でございます…」
顔を上げるとそこには、決して小綺麗とは言えぬ形をした男がいた。お世辞にもこの男が重要な鍵を握っているようには見えない。今まではそれなりに危険も感じ、気合いも入れて座敷に出ていたが、坂本の場合は危険とは程遠い雰囲気だ。
「おまん…」
「…な…なんどす…?」
鼻がぶつかりそうな距離で坂本に覗き込まれた。
「綺麗やにゃ〜!!」
いったい何なんだ?!この男…。やたらとテンションが高く、おさわりも多い。さっきから肩やら背中やらをバシバシと叩かれている。
「…あの…坂本はん…?…ちょっと痛いんどすけど…」
「はっはっはっすまんにゃ〜。これはわしの挨拶じゃき。」
挨拶というには手荒い挨拶だ。
「女将が推しただけある女子やき。これから馴染みにしてもらうぜよ?」
「おおきに。よろしゅう頼んます。」
女将には今回の話が伝わっているようだ。それで天神牡丹を坂本に推したのだろう。
「坂本はん…飲んどおくれやす。うちも坂本はんとしたしゅうなりたいわぁ…」
「飲むぜよ飲むぜよ〜こんな別嬪に会えるんはなかなかないき。」
坂本は大いに飲み、騒ぎ帰って行った。
坂本龍馬
『脳ある鷹は爪隠す』とはこの男のためにある言葉かもしれない。
「………ハァーーー…」
土方の部屋で溜め息をつく男が一人。
「……なんだよ…総司…」
土方の布団を勝手に出し、勝手に寝転がり、いかにも聞こえるように溜め息をついた。
「……私…なつが戻って来たら、もう終わりにします…」
「はぁ?!」
突然の爆弾発言にびっくりした土方。まぁ誰でもびっくりする内容なのだが。
「……って思ってたんです。私にはなつを愛する資格は無いと思ってたんですけど…」
総司が真面目に話していると気付くと、土方も向き合って聞く事にした。
「なつの事を考えれば考える程、私がなつを手放したくないって思うんです…。我が儘だなぁ、私は。」
うなだれるように言う。
「お前の我が儘は今に始まった事じゃないってなつも知ってるだろ…。一応、これだけは言っておく。平凡な生活だけが幸せじゃない。以上。」
それ以上、土方は口を開こうとしなかった。土方には総司の考えが分かっていた。労咳という病を持ち、いつまで生きられるか分からない。残されたなつを悲しませたくない。それならば別々の人生を歩んだ方が良い。そう言っているのだろう。
総司も土方の言っている事は理解出来ていた。
でも…なつを残して死ぬのは…一番悲しむ事だけはしたくない。
この体はいったいいつまでもってくれるのか……―――
なつが島原へ来て一週間ほどが経った。坂本はちょくちょく来てくれる。あの豪快さと手荒い挨拶は相変わらずだ。今日の坂本の座敷は何やら雰囲気が違った。いつも一人で来る坂本だが、今日はもう一人いる。
「牡丹、こいつはわしの友人の中岡慎太郎やき。仲良うしたってくれや。」
「中岡慎太郎やき。坂本〜おまんの言うてた通りぜよ。ほんに別嬪やのぉ。」
坂本との初対面の時と同じように顔を近付ける中岡。類は友を呼ぶのだろうか。
「中岡はん…これからも天神牡丹をご贔屓に…」
「おぉ〜しちゃるしちゃる!ところでおまん、国はどこや?」
中岡はなつに聞いてきた。ただの興味か、はたまた何か感じ取られたか…。
「うちの生まれは大坂の堺どす。何でそんなん聞かはるんどすか…?」
「ただの興味やき。深い意味はないぜよ?」
そう言った中岡は坂本と飲み始めた。本当に深い意味はなかったようだ。内心、ホッとしたなつであった。
「せや!牡丹、おまん嫌いな奴はおるかえ?」
坂本、突然すぎる。意味不明なこの質問は何なんだ?!
「せやなぁ…ここだけの話、苦手なお馴染みさんはいますえ…?いったい何でですのん…?」
「おまん、その馴染みに身請けされる言われたらどうする?」
「それはお断りしますえ…?」
坂本の意図が全く掴めない。いったいこの男、何者なんだ?疑問しか浮かばなかった。
「ほうか〜何とか身請けされる方法はないんかのう?」
「せやなぁ…あ、着物。うち、天神やさかいそないにぎょうさんの着物は持ってまへんのや。毎日違う着物が着れたら幸せやなぁ。」
「それは新しい着物いうことかえ?」
「へぇ。そないなこと聞くなんて坂本はんが買うてくれはるんどすか?」
坂本は固まったまま動かない。目の前で手を振ってみるがいっこうに動く気配がなかった。
「坂本はん?」
「それじゃっ!!!!!!」
坂本が突然立ち上がった。
なつは呆気に取られる。何が何だかさっぱり分からない。
「牡丹、おまんはえぇ女子やの〜。」
なつのの肩をグラグラと揺らした。
「…さ…坂本…はん…?気持…ち悪なる……」
「おぉ〜すまんすまん。やるぜよ〜牡丹、日本が変わるきね〜〜。」
なつの目付きが変わった。坂本はやはり何かやろうとしている。これを逃す手はない…
「日本が変わるってどういう意味なん?」
「南蛮でいうとこのビジネスをするがぜよ。」
「…びじ…ね…?」
「そやにゃあ〜取引じゃき。お互い嫌い合ってるもん同志が手を結ぶ方法ぜよ?」
嫌い合ってる者…今の時代でいうなら、長州と会津?それか長州と薩摩?さまざまなことがなつの脳内を駆け巡った。
「中岡、わしは早速行動するぜよ。善は急げじゃき。わしは桂さんとこ行くき、おまんは先に吉之助どんとこに行っといてくれ。」
吉之助?誰?こういう時、山南さんがいればすぐに解決してくれるのに…
坂本と中岡はまた来るき、と言って足早に去って行った。早く伝えなくては…完璧な情報ではない。でももう既に坂本は動き出した。
まさか己の言葉が坂本にヒントを与えてしまったとは…はっきりした意図が掴めないけど、新選組にとって良くない方向に進んでいる気がする。なつは不安な気持ちを隠せず走り出した。