山南の足跡
山南の死後、隊士達は何かを振り払うかのように、仕事、稽古に打ち込んだ。皆、それぞれ、最後に山南と交わした会話が力になっているのだろう。力のある者であれば、身分関係なく採用する新選組。しかし処分も、幹部であろうが平隊士であろうが分け隔てなく行う。それは大きな結束となり、大きな力になる。山南はそれを残してくれたのだ。
毎日が淡々と過ぎて行く中に、一つ大きな事があった。八木邸、前川邸と借りていた屯所だが、隊士の増加により、屯所を移転する事が決まった。移転場所は、山南が反対していた西本願寺。西本願寺は敷地も広大で、宿泊場所も十分にある。まだまだ隊士を増やす予定の新選組にはもってこいなのだ。
最近は仕事、稽古に加えて引越準備が加わった。皆がとてもバタバタとしている。なつもまた、バタバタしているうちの一人だった。
「なつさん!縄が欲しいんですけど…」
「縄なら倉の中にあるんじゃない?」
「なつさん!押し車、一台しかないんですか?」
「前川さんとこにもう一台あるはずだけど…」
「なつさん!掃除できました!」
「なつさん!これはどこに運んだら?」
「なつさん!沖田さんと別れる予定は?」
全て聞いていたらなつ自身の仕事がはかどらない。そう思ったなつは必要なこと以外は答えないようにしていた。
「まったく、あたしは聖徳太子じゃないっつうの!!」
そんな独り言を言いながらバタバタと働くなつをほほえましく見ている男が一人。井上源三郎だった。彼もまた幼い頃から共に暮らした仲間。兄…ではない…父…でもない、それとは別の何かだけれど大切な人だ。
「なつ、少しは休憩したらどうだ?」
お茶と菓子を持って来てくれた。
「源さん、ありがとうございます。」
二人は、隣に座りながら休憩する事にした。
「なつ、無理してないか?山南さんが死んでから人が変わったようだ…」
山南が死んだ次の日から、なつは今まで以上に隊士達に明るく振る舞うようにしていた。
それは山南のためでもあり、いつまでも暗く引きずっていられないという思いがあったから。
「あたしが皆を元気付けなきゃ。それが山南さんへの恩返しだと思っているから。」
源三郎は思った。いつまでも子供だと思っていたが、もう一人前の大人の女性になっている。でもだからこそ、自分の気持ちを押し殺しているのではないかと。
「何、二人で抜け駆けしてるんですか?私も混ぜて下さいよ。」
甘い物の匂いを嗅ぎつけ、総司が二人の間に入ってきた。
「総司、お前もう片付けは終わったのか?」
「私は今日は見廻りでしたからこれからします。……………なつが…」
「「…は?!」」
人任せな総司の発言になつと源三郎は聞き返す。
「…だって私には稽古とかありますから…ゴホッゴホッ…ほら、風邪もひいてますし。」
源三郎は思った。なつは総司の母親の役目もはたしているのだと。二人が恋仲なのは分かっているが、何とも不思議な感覚になる源三郎なのであった。
総司に頼まれると断れないのがなつの性格。よっぽど総司に惚れているんだなと、自分で納得してしまう。
総司の部屋は、汚くはないが片付いてもいない。細々としたものが散らばっている。纏めて入れるために箱を探す事から開始した。
ほとんどの隊士は既に引越準備のために、荷物を纏めている。箱を探すのはなかなか困難であった。しかし全く手のつけてない部屋がひとつある事に気が付いた。
山南の部屋
そこは山南が脱走した時のまま、何も手を付けられていない。そこへ行くと山南の生きていた空間があり、とても辛くなる。幹部でさえ近寄ろうとしなかった。しかし、ここを片付けない訳にもいかず、箱を探しがてら入ってみることにした。
きちんと畳まれ、端に寄せられた布団。文机の上には何も乗っておらず、がらりとした部屋だった。しかし、紛れも無くここには山南が生きていた。あの優しい笑顔も、たまに見せる鋭い目線も、人を和ませてくれるあの声も、もう見たり聞いたりする事は出来ない。
山南の死から明るく振る舞っていた自分は偽りの自分で、今、こうしてただ山南の生きた証を探している自分が本物なんだとなつは感じた。
山南さんの死を受け入れたつもりで受け入れてなかったのは…あたしだったんだ。