浅葱色
なつは島原へと急いでいた。明里に早く渡さなくてはいけない。きっと明里は知らない。山南がこれから何をしようとしているのか。もし、何も知らずに山南の死だけを聞いたら…絶対納得なんて出来ない。最期に一目だけでも会って欲しい…――
「女将さん!!」
なつは冨音屋に着くと慌てて女将の菊を呼んだ。
「牡丹!どないしたん?そんなに慌てて…」
なつの慌てようにびっくりした菊。しかしただ事ではないという事をすぐに理解してくれたようだ。
「女将さん…明ちゃんを貸してくれまへんか?代わりはうちがやるさかい…」
「新選組でなんかあったんやな?明里という事は山南はんの事やな。詳しい話は後で聞くさかい…明里〜!」
物分かりの良い女将で良かった。
「へぇ〜い…何どすか…?…牡丹?どないしたん……」
「これ…山南さんからの預かりもんや…表に籠を用意してあるさかい、はよ屯所に行って!」
明里は山南からの文を読み、血相を変えた。身づくろいなんてしていられない。明里は慌てて店を出て行った。
文に何が書いてあったのかは分からない。しかし山南の事だ。単刀直入には書いてないはず。でも、明里にはしっかり伝わっているんだろう。
お願い………間に合って……―――
明里は籠の中で思った。
…っ…何でうちに相談してくれんかったん?!うちの存在はあんたにとってなんやったんや…
迎えに来てくれるって…言うたやないの……
「牡丹…あんたは良かったんか…?あんたにとっても大切な人なんやろ?」
なつは菊の質問に穏やかな笑顔で答えた。
「うちはえぇんや…笑顔でお別れして来たし。あの人の中で最後のうちは笑顔やねん。今、戻ったら…泣き顔に変わってしまうわ……」
菊は今にも崩れ落ちそうななつをしっかりと抱きしめた。
明里は籠を降り、屯所の前に佇んでいた。
ここに来てしまったら別れを言わなければならない。
あの人を困らせずに喋る事が出来るだろうか――
「…もしかして……明里さん…?」
「……はい…そうどす…」
永倉が屯所の前に佇む明里気づいた。山南と明里の話はなつから聞いていた。本当に幸せそうな二人だと…――永倉にも、明里がここへ来た理由は分かっている。きっと止める事はしない。別れを言いに来たんだと…
しかし、中では着々と山南切腹の準備が進められている。これを彼女に見せる訳にはいかない。永倉は、山南のいる部屋の格子戸へ案内した。
「ここが山南さんのいらっしゃる部屋です…」
「おおきに…」
永倉にお礼を言うと、フゥーと溜息をついた。
うちは泣かへん…泣いたらあの人を困らせるだけや…
意を決し、格子戸を叩いた。
「山南はん…?」
スッと開かれた格子戸の窓の奥には、今まで見た事のない、不安そうな山南の顔があった。
「明里…」
「そんなしけた顔せんといて…牡丹……なつさんが届けてくれたんや…これ…おおきに…」
明里は、大事に握られていた朱い簪を見せた。それを見て、山南はいつもの優しい表情に戻った。
「うち、お別れに来たんちゃうねん!お礼を言いに来たんや…」
山南の武士としての最期に躊躇いがあってはいけない。明里が出した答えは、これだった。
「…おおきに……」
笑顔を見せた明里に、山南は小さく頷いた。山南には安堵が零れていた。
格子戸が閉まった瞬間、明里の目から涙が溢れた。山南に泣き声が届かないように、少し離れた所で泣き崩れた。止まらない涙。もう山南に触れる事も、傍にいる事も出来ない。ただ中から溢れる涙を流し続ける事しか出来ない。笑顔の別れ、それが山南への最後の贈り物だった。
山南の切腹の時は刻々と迫って来ていた。総司は自室に篭ったっきり、出て来ない。総司の心に迷いがあった。
山南は武士としての立派な最期を望んでいる。それにはしっかりと答えてあげたい。しかし長年共に暮らし、戦って来た仲間を戸惑いなく介錯出来るだろうか。こういう迷いがある時、必ず来てくれる人がいた。
「…土方さん…か…」
「悪かったな、俺で。なつは島原に行ってる。山南さんの女の代わりだ。」
土方は嫌味っぽく言った。
「山南さんはお前の介錯を望んだんだろう。何の迷いがある…」
総司は俯いたままだった。
「光栄な事じゃねぇか。昔からの仲間が武士として死ぬんだ。その介錯を出来るなんて。」
「土方さん、山南さんへの仲間意識あったんだ。」
総司は笑みを見せた。土方もまぁな、と言い笑った。
武士として死ぬ山南を自分の手で介錯する。そしてそれを山南も望んでいる。総司に出来る事はただひとつ。山南を武士らしく送る事。それが総司に与えられた使命。ようやく総司の胸に決心が沸き起こった。
前川邸のとある一室に山南と新選組幹部全員が集まっていた。切腹の際には幹部全員が集まる事になっている。幹部は全員、浅葱色の羽織りを着ており、そして山南は、白装束に浅葱色の裃姿。武士として生き、武士として死んでいく者の最期がそこにはあった。
「最後に言い残したいことはあるか?」
土方の顔に、もう後悔は見当たらない。武士らしく死ねる。そんな山南が誇らしくもあった。
「では、最後に二つだけ、お許し下さい。一つ目は沖田くん…私が声をかけるまで待っていてください。」
総司はしっかりと頷いた。
「二つ目は…なっちゃんにありがとうと…そう伝えて下さい。」
「…心得た……」
土方の言葉を聞くと山南は、いつも見ていた穏やかな表情になった。
山南の切腹は武士に相応しく、横一文字に大きく切られていた。そして総司の介錯も何の迷いもなく、潔かった。
近藤は言った。
『大石内蔵助ですらこんな素晴らしい切腹はしていない。山南さんは武士の中の武士だ。』
屯所へ帰って来たなつ。そこは皆、山南の死を悼んでいた。どの隊士にも覇気は無く、山南が皆にどれだけ愛されていたかが分かる。
なつの帰りを待っていたように、土方が声をかけてきた。
「…お帰り……。」
「ただいま戻りました…。」
「山南さんからの伝言だ。『ありがとう』」
「…え……?」
「最後に言い残したい事を聞いた時に頼まれた。」
思いがけない事だった。お礼を言わなければならないのは自分の方。お礼を言われる事なんて何もしてないと思ってた。
「…あたし…『ありがとう』なんて言われる事…何も…」
なつに戸惑いの表情が浮かんだ。
「自覚がなさすぎなんだよ。新選組がどんなにお前に感謝してるか……もちろん…俺も…」
だんだん語尾が小さくなる土方。
「…え?!最後が聞き取れなかったんですけど?!」
土方が珍しく素直になったものだから、面白くなって聞き返した。
「…おまっ…聞こえてたろ!」
土方との何気ないこの会話が、悲しみを忘れさせてくれるようだった。きっと山南は暗く沈んだ新選組を望んではいない。
なつは心に固く決意した。
あたしが皆を盛り立てる。だから山南さん、見守ってて下さい。
これからどんな事が待ち受けていようとも、貴方が作ってくれた新選組をあたしは必ず護ります。
晴れ渡った二月二十三日の夜の空に、流れ星がスーっと流れた。