それぞれの思い
屯所では、皆、眠れぬ夜を過ごしていた。布団の上で眠ろうと頑張るも、目が開いてしまう者。何かを振り払うかのように稽古をする者。気紛らわそうと本を読む者。仏壇の前で瞑想する者。それぞれが時間を忘れようとしていた。
なつもまた眠れなかった。山南なら大丈夫。でももし帰って来てしまったら?幼い頃から共に生活をし、剣術や学問を教わる師であった。本当の家族に捨てられた自分にとって、試衛館の皆が家族だった。山南は大好きな兄の一人。
あたしは、何も力になることも出来なかった…――
「…なつ……」
縁側で浮かない顔のなつに土方は声をかけた。なつは土方の顔を確認すると何を喋るでもなく、また俯いた。
「…………俺は間違ってたのか……?」
土方がボソリと呟いた。
「…俺は新選組を大きくするためには多少の犠牲は仕方ない。そう思ってた。」
土方の声は、後悔に満ちている。
「それがきっと…山南さんを追い詰めちまったんだな…昔から一緒にいるのに…何も分かってやれなかった…」
その時、鬼の目から、涙が落ちた―――
鬼の涙に気付いたなつ。土方を抱きしめた。まるで小さな子をあやすかのように。そうしないと、この鬼ですら消えてしまいそうな気がした。
もう…家族を失いたくない……―――
「土方さん…貴方が悔やんだら、皆が困りますよ…皆、貴方のやり方についてきたんだから。近藤さんも、総司も、あたしも…………山南さんも…」
翌日、総司は山南を連れて、屯所に戻って来た。
何故…
皆、落胆の表情を浮かべた。ただ一人、山南は清々しい表情をしていた。
山南の切腹は本日五ツ時と決まった。山南は、なにもかも吹っ切れたような表情をしていた。山南の部屋へは隊士達が次々に出入りしている。恐らく、皆が何らかの説得をしているのだろう。それを山南はことごとく否定しているに違いない。やり切れない表情の者達が山南の部屋から出てくる。どの隊士も山南の脱走を、咎める事はしない。何とかして生き延びて欲しい。その思いだけなのだ。
なつは近藤の部屋にいた。
「近藤さん…もうどうにもならないのですか…?」
なつは分かりきった事を近藤に聞いた。
「なつ…分かっているだろう?山南さんはもう覚悟を決めておられる。我々が出来るのは武士らしい最期を用意することだけだ…」
近藤の答えは分かっていた。それに山南はこのまま『生きる』という事を選択はしない。
その時、土方に呼ばれた。
「なつ…山南さんが呼んでる。」
なつは重い足どりで、山南の部屋へ来た。正直言うと、今、山南に会いたくない。現実を受け入れたくないなつは、山南に別れを言われるのが一番辛い。
しかし意を決し、襖を叩く。
「…なつです。失礼します…」
「忙しい時間に来て貰ってすまないね。なっちゃんにお願いがあるんだ。」
山南はいつもと変わらぬ優しい顔で、いつもと変わらぬ優しい口調だった。
「…これを…明里に渡して欲しい…」
なつが手渡されたものは、朱い簪と一通の文だった。
「…これはっ…山南さんが渡して下さいっ…いくら山南さんの頼みでもこれはできません。」
困った表情を浮かべる山南。
「…なっちゃんにしか頼めない事なんだよ…」
山南はなつの手を握った。
「私は本当になっちゃんに感謝しているんだ…ずっと…私達を支えてくれた事を…」
「…私は…何も山南さんに恩返ししてないです。小さい頃から剣術も学問も教えて貰ってたのに…」
「じゃあ…最後に恩返しをしてくれ…それを明里に…」
なつははっとして顔を上げた。そこには悪戯っ子のような表情の山南がいた。
「…困ったなぁ……山南さんには勝てないや…分かりました。明ちゃんに必ず渡します。」
なつは笑顔を見せた。それを確認し、山南も笑った。なつが見た、最後の山南の姿だった。