山南の脱走
「おはようございます、山南さん。朝食の準備が出来ました。」
なつが朝食の知らせに行く。しかし中から山南の返事は返ってこなかった。
「…?…山南さん…?入りますよ…?」
襖を開けると、ガランとした部屋。布団は端に畳まれており、いつも片付いていた部屋だがより一層片付いている。
「…山南さん……何処か出掛けるなんて言ってたっけ…?」
「なつ、おはよう。どうした?」
山南の部屋で立ち尽くしているなつに永倉が声をかけた。
「おはようございます。永倉さん、山南さんて何処か出掛けてるんですか?」
「……いや…?そんな話は聞いてないが…」
二人の頭にはあってはならない言葉が浮かんだ。
―――脱走―――
山南が脱走なんて有り得ない。誰しもが思う事であった。しかし、山南の持ち物が全て無くなっている。
「…これは……脱走だな…」
「どうするんですか?」
「決まってるだろ。脱走した者は連れ戻す。」
「連れ戻した後は…?」
――言わないで。聞きたくない事を何故聞いてしまったんだ……
「…………切腹だ…」
その場にいる全ての者がそんな事を望んでなんかいない。それはもちろん、土方だって。
「法度は絶対だ。例外は認めん。」
土方はこの時、後悔したのではないだろうか。法度という物を作ってしまった事を。芹沢一派を壊滅させるために作った法度。
『お前らも気をつけろよ…特に山南さん…』
新見が切腹の前に言った言葉。あの意味が今、理解出来た。新見はこの事を言っていたのだ。
「……総司…追ってくれ…」
「…はい。」
「総司…草津まで行って山南さんに会えなかったら……その時は戻って来い…」
誰しもが思った。山南さん、逃げきってくれ……――
総司は山南を追い掛ける支度をし、その準備をなつが手伝っていた。
「ねぇ…山南さん…本当に追うの…?」
「これも私の仕事だ。…私だって…追いたくない…でも、土方さんや近藤さんが私に頼んだ理由を考えたら分かるだろう?」
近藤と土方の本当の気持ち。
山南を逃がせ
総司だから山南を逃がす事が出来る。なつは総司を見送った。
「今回はやけに素直なんだな…」
もう見えなくなった総司の姿をまだ頭で追っているなつに土方が声をかけた。
「お前の事だから自分が追うとでも言うかと思ってたが。」
「あたしが追うと言った所で、それを許しましたか…?」
「いいや…しかし時間稼ぎぐらいにはなったかもな…」
なつははっとなった。なつの後悔の顔に気付いた土方。
「大丈夫だ…総司に任せておけば。それに山南さんは捕まったりしねぇよ。」
山南さんなら大丈夫。そうは思って見ても、もし見つかって総司が逃がそうとしても山南なら、逃げるだろうか…?
山南さん…逃げきってくれ………
自分の願いとは反対に総司は山南を追っていた。矛盾した行動がおかしくなる。いっそこのままここで時間を潰してしまおうか。そうも考えたが、もう一度山南に会いたい。逃げきって欲しいはずなのに、会いたいなんて自分勝手な考えに総司は苦笑した。
総司の目の前に、会いたかった…でも会いたくなかった人が…現れた―――
「…沖田くん……」
逃げも隠れもしない堂々としたその姿は…まさに『武士』そのものだった。
「…山南さん……なんで……」
ここで自分に見つかればどうなるかは山南も分かっている。
じゃあ何で……
「今日はもう日も暮れる。宿で一泊して、明日帰りましょう。」
山南の表情は晴れやかなものだった。様々な苦しみから、ようやく抜け出せる。もう何も考えなくて良い………。
「…何で逃げなかったんですか……隠れる事ぐらい出来たでしょう…」
山南が自ら総司の前に姿を現した理由がどうしても分からなかった。
「何故かなぁ。私は弱い人間なのかな。逃げきる自信が無かったのかもしれない。」
「…っ…そんなことっ…」
私はこの人を…連れて帰らなければならないのか?その先に待っているのは…
………切腹…
「介錯は沖田くんに頼みたい。」
「!!…嫌ですよっ…」
自分の手で…山南さんの首を落とす……そんな事…出来ない……―――
「…っ…山南さん、私は貴方を連れ戻しに来たのではない。逃げてください…私は見つけられなかった事にします……だからっ―――」
「私は逃げないよ、沖田くん。」
総司の必死の懇願にも、山南は頷こうとしない…
もう…決めているんだ。脱走をする時から、武士らしく切腹するときっとこの人は
切腹する理由が欲しかったんだ……―――




