長州征討〜さよなら久坂〜
「…やはり長州は戻ってきたか。山南さん、皆に戦の準備をするように伝えて下さい。」
「承知いたしました。」
これから戦が始まる。会津や薩摩は既に御所の警備についている。なつの話を聞いている間に、新選組も出陣せよとの命も下った。
「近藤先生…私も連れて行っては貰えないでしょうか…?」
「なつ…お前を連れて行く訳にはいかん…」
遊びに行く訳じゃないのは分かっている。しかし、いつも屯所でただ待つだけというのも嫌なのだ。
「お願いですっ!私も皆と一緒に戦いたい。」
「お前、何故戦に行きたがる?女があんな戦地に行く必要はない。」
それまで黙って聞いていた土方が口を挟んだ。
「護りたいんです。新選組を、皆を。久坂は必ず新選組を襲います。私が久坂を殺る…」
「連れて行ってあげましょうよ。なつは私が必ず護ります。それになつを屯所に置いて行って、屯所が襲撃されないとは言えないでしょ?陣に連れて行って、負傷者の手当てとかやってもらえるじゃないですか。」
襖の陰から聞いていた総司が言った。
「…近藤さん……連れて行こう。俺が責任を持つ。」
なつの思いの外強い意志と、総司の決意に土方も納得した。近藤は目をつぶり、しばらく考え、ようやく静かに頷いた。
新選組が陣を張った場所は九条河原。会津藩兵とともに竹田街道の警備を行った。長州軍は京都市街へ進軍していた。御所には会津藩と薩摩藩の軍が集まっており、長州軍は猛攻激にあい、兵を引かざるを得ない状況になっていた。長州は御所に向けて発砲してしまったのである。この事に、帝の大変な怒りを買い、長州は朝敵となってしまった。
またこの戦は御所だけの損傷に留まらず、京の町にも火が移ったため、炎に包まれる事になった。
新選組は陣の近くにいたが、銃声と火の手を見て、御所近辺まで移動してきていた。大方決着は着いているだろうと思い、なつを伴って…。
久坂はその頃、最後の望みを賭け、鷹司卿の邸宅に来ていた。長州贔屓の鷹司卿なら、嘆願書を渡して貰えるに違いない。そう考えたのだが…朝敵となった今、手を差し延べてくれる者はいない。
「我等は間違っていたのか…?松蔭先生、国を変えるためにここまでやって来た。何故お上は分かろうとしない?」
「久坂さん…あなたのやり方は間違っている…」
「?!誰だっ!」
久坂が声のする方を振り向くと、ひとりの女が立っていた。その腰には刀が差してあり、肩には白地に赤く誠と染められた腕章をつけている。
「…………牡丹……」
化粧をせず、きらびやかな着物を着なくても、そこにいる女が天神牡丹だという事は分かる。
「牡丹…お前は…新選組だったのか……」
久坂は落胆の表情を見せた。
「騙していてごめんなさい。天神牡丹は新選組の密偵でした。」
久坂は今まで、何故こんなにも先手を打たれてきたのか、今、ようやく理解が出来た。惚れた女を通して、敵に情報を与えていたのだ。池田屋の事もおそらくこの女が…。
「俺も馬鹿な男だな…敵に情報を与えていたとは…」
久坂は微笑みながらなつを見て話した。
「私には貴方達のやっている事が理解出来ない。朝廷に兵を進め、発砲した。その飛び火で京の町は炎に包まれている。どれだけの人を不幸のどん底に陥れたら気がすむの?」
なつの声には怒りが満ちている。
「帝を長州へお連れする?自分達が好き勝手できるように帝を利用してるだけじゃない!」
なつの激しい罵倒にも久坂は決して微笑みを絶やさなかった。
「…牡丹…しかしお前達新選組のしている事はどうだ…徳川幕府は近い将来滅びる。その幕府の手となり足となり、働かされてるだけなんだぞ?そして刀の時代は終わる。刀で外国とは渡り合えん。」
「新選組は帝を敬い、幕府に忠誠している。貴方達みたいに、帝を軽んじていない…。吉田松蔭は、こんなことを望んではいなかったんじゃないの…?」
吉田松蔭の名を出した瞬間、久坂の顔が変わった。
「…何が分かる……」
久坂の口調は今までにない程の憂いにも似た怒りの篭ったものだった。
「お前に分かるか?!井伊の奴が勝手に異国と条約を結んだ。それに反論しただけで、暗殺されたのだ。邪魔者は消す。それが今の幕府の腐ったとこだ。お前ら新選組も同じだ!」
なつは何も反論出来なくなってしまった。
「…し…新選組は…そんなんじゃ……」
「何が違う?池田屋の同士は皆、尊皇攘夷の志の熱い者ばかりだった。それをことごとくお前達は切り付けたのだ。邪魔だったから殺したのだろう?吉田も…宮部も…」
……宮…部………
なつの目の前にあの時の宮部が出て来た。獲物を捕えた獣の目。もがき苦しむ様子を楽しんでいる顔。
なつの変わり様に久坂は気付いた。
「牡丹…宮部にやられたか…残念だ…俺もお前を抱きたかったよ……」
久坂の元に微笑みが戻った。
「もう終わりだ、牡丹…。私もすぐに後を追う。」
久坂は刀を抜き、なつに向けた。なつは刀を向けられているにも関わらず、自分の刀を抜こうとしない。いや、抜けなかった。
「あっちでは……もう敵じゃない…」
久坂は優しい顔でなつに刀を振り下ろした―――
痛みが来ない久坂は痛みを感じさせないように殺ってくれたのだろうか…
「何故刀を抜かない!!」
総司の必死な顔がそこにあった。久坂は自分の足元に倒れていた。
「…総…司……」
総司はなつを力いっぱい抱きしめた。
「良かった。」
総司は木の陰からなつと久坂の様子を見ていたのだ。何があってもなつを護れるように。
「…なつ……どうした…?」
「……………………」
「黙ってないでよ…私は何を言われても平気だ…」
総司の声は安心する。何を言っても受け入れてくれる。そんな気がした。
「……宮部…って聞いたら…あの時の………」
なつは言葉が出なくなってしまった。でも総司にはそれが何なのか分かる。
そうだ…なつが最後に抱かれたのは…宮部だ…
穢を落としてあげると言いつつ、私はなつを抱いてない。
なつの中にはまだ宮部が…
なつはどんなに明るく振る舞っても、ふとした時にあの獣のような宮部が出てくるのだ。まるで悪夢でも見ているかのように。自分がやった事は、京の町を護るために必要な事だった。何度言われても、その時はそう思えても、自分が宮部に抱かれたという事は事実。なつの中で癒えない傷になっていた。
なつの心に刻まれた傷を癒せるのは、やはり総司しかいないのだ。