池田屋事件(前編)
近藤隊は池田屋へと急いでいた。
「近藤さん…宮部は…私に殺らしてください…」
近藤の耳打ちした総司。理由は聞かなくても分かっている。近藤は大きく頷いた。
池田屋はいつもの活気は無く、そのかわりにおどろおどろしい嫌な雰囲気が漂っていた。
「…どうやら当たりのようだな……」
近藤がそう呟くと、隊士達に一気に緊張が走る。逃げられないように表と裏口に見張りを置き、近藤、沖田、永倉、藤堂が中へ突入する事となった。一人は土方隊へ走らせた。
「主人はいるか!御用改めである!」
「へぇーい…これはこれは新選組の皆さん…今日は貸し切りとさしてもろてます…」
池田屋主人池田惣兵衛はまるで宿泊客に知らせるかのように声を張った。
「宿泊客を調べさせていただく。」
「お待ちください。勝手されては困ります。」
近藤は主人を押し退け、二階へと続く階段へ向かう。
「なんだ?騒がしいのう。」
階下での騒ぎを聞きつけ、一人がのそのそと階段を降りて来た。目に飛び込んだのは目の敵にしているだんだらを着込んだ男達。
「新選組や!!」
そう叫んだのを最後に無防備だった男を近藤は斬り捨てた。
「総司行くぞ!!」
「はいっ!」
襖を開け、近藤は叫んだ。
「御用改めである!刃向かう者は容赦無く斬り捨てる!各々方覚悟せよ!」
暗闇の中、月明かりに照らされた白刃がキラリと光る。長く厳しい戦いが始まった。
京の夏は蒸し暑く、また重装備をしている新選組にとって、とても過酷であった。池田屋の中にいるのは四人、対する浪士は三十名余り。しかし浪士らは攻め込んで来た敵がまさか四人とは思っていなかった。二階から飛び降り逃げる者、裏階段から脱出しようとする者。しかし一階には永倉と平助が待ち構えていた。
逃げる浪士は外の者に任せ、向かい来る者を斬りつける。狭い室内に刀のぶつかり合う金属音と威嚇し合う声が響いた。
どれほど時間が経ったのだろうか。どれだけの人間を斬ったのだろうか。放出仕切れない汗は体に纏わりつき、疲れた体が重装備を外したがっていた。肩で息をし、辺りを見渡す。虫の音ほどになっている者が転がっている。ようやく終わったか。平助は汗でずれた鉢金を結びなおそうと刀を置いた。
平助の研ぎ澄まされた神経が……途切れた…――
「うわぁぁぁぁーーー!!」
その声に永倉が反応した。茂みに隠れていた浪士が平助に斬りかかったのだ。
「平助ぇぇぇーー!!!」
平助は額から血を流している。あれはまずい。永倉は急いで平助の元へ駆け寄る。
「平助っ!!しっかりしろっ!!」
「す…すみません…」
「死ねぇぇぇぇーー!!!」
不意に斬りかかられた。永倉は反応する。しかし遅れた。遅れた防御は永倉の親指の付け根を掠め、削がれる。
「!!!っつ…うおぉりゃあぁぁ!!」
親指を切られてもなお、立ち向かう永倉。平助を外へ出し、また中へ戻る。二階からはまだ近藤と総司の声がする。
今は大丈夫だ。でもかなり厳しい。土方さん…早く来てくれ…。
永倉は血の流れる親指に手ぬぐいを巻いた。