重要人物
なつが冨音屋に戻ってから、何処から聞き付けたのか、以前の馴染みの客が続々と天神牡丹に会いに来ていた。以前の馴染みなので、あの時の事件には関わってない者ばかり。どこかの浪人や、京の町人、様々ではあるが、早く任務を終わらせたいなつにはこの時間が無駄であるようにしか思えなかった。
「牡丹、次は古高はんや。覚えてるやろ?前もあんたを贔屓してくれたはった…」
「覚えてます。確か近江の浪人さんやったなぁ…?」
「そうや。あの人、金払い良いから頼むえ。」
菊は手を合わせて足早に今、来た客の元に急いだ。
「古高さんか…」
なつはまだ知らない。この男がこれから起こそうとしている事件の重要人物になるとは……―――
「大変お待たせしました。天神牡丹どす…」
深々と下げた頭を上げると、髪をひとつに束ね、ニヤリといやらしく笑いなつを眺める古高の姿があった。
「久しぶりだなぁ牡丹。お前どこに行ってたんだ?」
「お久しぶりでございます。うちはここの天神やけど、別のとこの天神でもあるんや…せやから勘忍え…?」
滑らかな京言葉を巧みに扱う。普段、使っていなくても、島原へ来ると自然と出るようになっている。
「それより古高はん…?今、何してはるんどす…?」
一応、近況を聞き、怪しい動きがないか確かめる。
「俺か?俺は今、四条小橋でちょっとした道具屋をやってるんだ。その時の名は桝屋喜右衛門っていうんだよ。」
なつの第六感が、危険を感じた。何故道具屋をするのに偽名を使う必要があるのだろう?名を変える事はあっても偽名を使うのはどう考えてもおかしい。
「古高はん?何で名前を変えはるんどすか?古高俊太郎ってえぇ名前やと思いますえ?」
怪しいと思う人にはとことん惚れさせるように持っていく。自分の事を好きなんじゃないかと思わせるぐらいする。そして、ここぞという時に何を考えているのか聞き出すのだ。
「…まだ話せねぇなぁ。牡丹が俺を求めて来たら話してやるよ。」
「古高はん…天神は惚れた男はんやないと身体は渡しまへんえ…?」
「それなら大丈夫だ。お前は俺に惚れる。」
この男はどうしてこんな事が言えるのだろう。よっぽど自信があるのだろうか。
古高俊太郎
苦労しそうだ…――
なつは毎日、休む暇もなく座敷へ出ていた。古高以来、怪しい人物には遭遇していなかったが、なつでも知っている、長州の重要人物が今、なつの目の前に座っている。
桂小五郎
新選組の中でも最重要人物として、日々居場所を探っていたが、中々姿を現さない奴だった。
「桂はん…お久しぶりどすなぁ…」
「あぁ…本当だねぇ牡丹。久坂はまだ長州だ。もうちょっと待ってやってくれ。」
桂は久坂から何と聞いているのだろうか?桂の言い方からすると、なつが久坂を待ち焦がれているといった所だろうか。勘違いにも程がある。おもわず吹き出しそうになりながら必死で笑いを飲み込んだ。
「紹介しておこう。こいつが高杉晋作、でこっちが吉田稔磨。この二人は吉田松蔭の門下生だ。流石のお前さんでも名前聞いた事ぐらいあるだろう。」
吉田松蔭の話は同門の久坂から聞いていた。日本を愛するからこそ、日本の行く末を危惧し、思想を称えていたが、安政の大獄で処刑されてしまった人だ。
「へぇ〜この人が久坂の惚れた女…。久坂、なかなかやるねぇ。」
高杉はなつをじっくり眺め、そう呟いた。
「うん。なかなかの美人だね。久坂いないし俺達でもらっちゃう?」
間髪入れず口を挟んできたのは吉田稔磨。この二人、目付きがいやらしい。
「よさんか。牡丹も久坂に惚れておる。邪魔をするな。」
やっぱり惚れてると思ってるんだ。
ここには勘違い野郎ばっかりだな…
心の中で溜め息をつくなつなのであった。
「それとだな、こいつが「肥後脱藩宮部鼎三」
桂がもうひとりの男を紹介しようとするのを遮り、男はそう呟いた。低く地を這うような声で言った男。高杉や吉田の軽い雰囲気とは違い、重く、重圧のかかる雰囲気を醸し出している。
「こいつは無愛想な男でな、だが尊皇攘夷の志しは非常に強い男だ。もしかすると私以上にな。」
高笑いする桂の声はなつの耳には入ってこなかった。この重苦しい雰囲気の男、何故か惹きつけられた。ここなら与えられた任務を突破できるかもしれない。そう思い、宮部を見つめていた。
「牡丹ちゃんどうしたのー?宮部を見つめちゃって。もしかして一目惚れ?」
笑いながら言う吉田。こんな男に一目惚れする奴の顔が見てみたいと思いながらも、自分の密偵という立場上、肯定することにした。
「そやなぁ。うち、宮部はんみたいなお人、好きかもしれん。」
愛しい人を見るような目で、甘く囁くように言った。
「…んなっ…////そんなことっ…客取るために誰にでも言ってるんだろ!////」
「おいおい、宮部、照れんじゃねぇよ。久坂には黙っといてやるからさぁ、物にしちゃえよ。」
ニヤニヤと高杉は笑みを浮かべる。
「そうだよ!もったいないよ、こんなかわいい娘。お前がいらないんなら俺が貰っちゃうよ?」
同じく吉田もいやらしい笑みを浮かべる。
「お前らいい加減にしろ。すまないね、牡丹。こいつらもそういう年頃なんだ。」
「そうだよー。大きな仕事をするためには良い女を抱かないと。」
吉田の一言をなつは聞き逃さなかった。
大きな仕事……やっぱりこいつら…何か企んでる。
この中で、吉田と二人になると、すぐに襲われそうだった。なんとなく土方と同じ匂いがするのだ。高杉は女の扱いに慣れてそうだ。遊女にとてそんな重要機密を喋るとは思えない。そうなると、残されているのは宮部。ただしこの重苦しい雰囲気を突破するにはかなりの時間を要するのでは。長期戦になりそうだとなつは感じていた。