久坂玄瑞の野望
天神牡丹はすぐに座敷にでることとなった。まるで運命に引き寄せられるように、牡丹は長州の侍の座敷へ。
「長州のお侍はんは羽振りがえぇんや。頼むえ?」
女将は親指と人差し指でお金を表しながら牡丹の肩を叩いて行った。
「失礼いたします。天神牡丹どす。よろしゅうお頼申します。」
座敷に現した天神牡丹は、整った顔立ちに遊女特有の化粧をし、真紅の着物に包まれていた。
「おぉ!これが天神か?!じゃあ太夫はどんな賜物なんだ。」
牡丹が顔をあげると、そこには男が二人。そして二人とも天神牡丹に釘付けになっていた。
「桂さーん、俺、この女気に入った。別嬪だし、この顔は頭がきれるぞ。知的な女、かっこ良いじゃねぇか。」
一目で気に入られるとはなかなか幸先が良い。そして桂と呼ばれた男は呆れながら言う。
「お前、一目惚れか?久坂。牡丹、この男は良い男だぞ。学もあり、剣の腕も天下一品だ。少し無鉄砲なとこもあるがな。」
「無鉄砲は余計だ。」
桂小五郎と久坂玄瑞。この二人は長州の重要人物であることを、牡丹は野生の勘というのか、逃してはならないという気がしていた。そしてここからが天神牡丹の本領発揮である。
「久坂はん、うちは強うて頭の良いお方が好きなんどす。男はんは強引なとこがあった方が魅力ありますえ?」
褒められて、好かれて嫌な男はいないはず。そして男も好きになる。まんまと天神牡丹に騙された男は、牡丹の誘導で重要機密ですら話してしまう。それには、天神牡丹は知的である必要があった。
久坂は早速、天神牡丹の罠にはまってしまったようである。
金払いの良い長州人。牡丹は次から次に酒を勧め、桂は既に眠ってしまっていた。それも牡丹の罠だとも気付かずに。
「久坂はん、また来てくれはります?今度はお一人で。」
牡丹は久坂にもたれ掛かるように、久坂の膝に手を添えながら上目づかいで言った。久坂は顔を赤らめ、小さく頷いた。
「久坂はん、照れ屋なんどすなぁ。そういうとこ、好きや…。」
重要機密を喋るには、まず邪魔者がいてはいけない。二人きりになって初めて、真意が聞けるというもの。そのために牡丹は久坂ひとりに的を絞ったのだ。そしてそれは正しかったという事が直ぐに証明される。
そう、久坂は本気で天神牡丹に惚れてしまったようであった。あれから毎晩のように牡丹は久坂の座敷へ出ていた。もちろん久坂は一人だ。
話は久坂の生い立ちから、吉田松陰という師の下で松下村塾に通っていたこと、そしてその師が幕府により処刑されたこと、久坂が京にいる訳、桂という人物、松下村塾の他の塾生のこと…。牡丹が聞くこと全てに久坂は答えていった。それにより、久坂玄瑞という男が、長州の過激攘夷派志士だということを牡丹は知った。
「久坂はん、今から何をしようとしてはるの?うち、久坂はんの事は何でも知りたいんや。」
牡丹は久坂に酒を注ぎながら言った。
「牡丹、お前は俺に惚れてるのか?」
「なんえ?いきなり。」
久坂は牡丹の両肩を掴み、顔を覗き込む。動揺する牡丹、久坂の真っ直ぐな視線に固まってしまった。そして久坂は自分の唇を牡丹の唇に押しつけた。強引で、欲望が渦巻くような口付け。牡丹はもがくもなかなか離さない久坂。酸欠で頭が朦朧としてくるほどだった。ようやく離された口から大量の空気が肺に入り、むせ返す牡丹。呼吸を整え、久坂を睨みつけた。
「す…すまない…。」
牡丹に睨まれ我に返る久坂。しかしその口から、牡丹の欲しかった情報が紡がれた。
「牡丹、我らは帝に大和行幸を行っていただく勅許を得たのだ。八月十三日、帝に攘夷の祈願していただくために大和国へ参拝していただく。そして攘夷を始めるのだ。もたもたしている幕府には任せておけんからな。」
そして久坂から真意が語られる。
「帝が直々に攘夷を行ってくだされば、幕府の権威は失墜する。それが狙いだ。」
長州の考えは、帝を利用し、幕府をつぶそうとしている。牡丹にはそう感じられた。新選組である牡丹に長州の真意を話してしまった久坂。しかし、そんなことには全く気付いていなかった。
「我ら長州が新しい世を作る。だから牡丹、それまで待っていてくれ。」
久坂はそう言い残し、店を後にした。