閑話1:テオの日々
テオはあくびをした。
しごくつまらない。張り合う相手もいなければ、ふざけあう相手もいない。別に友達には困らない。今もまわりに人がいる。
「テオ。ヒューリネンとずっといたからさー!」
「そうだぜ。テオ。今日はぱあっとどこか行こうぜ!」
テオは苦笑いして返す。面白くない。誰も彼も。見た目が可愛かろうが、頭が良かろうが、それがたくさんいようが、とにかくテオは面白くないのだ。
「悪い。今日はシャルロ教官から呼び出し」
リクハルドが無断欠席をしてから四日。テオは何に対してもやる気がおきない。
カバンを肩にかけて教室の外に出て教官室に向かう。
武器理論の時間に寝てしまったことがいけなかったらしい。それ以外は普段の優等生で人気者のテオを演じていたつもりだった。
ぼう、と歩いていたらシャルロがテオの目の前にいた。行くよ。とシャルロが言うと、テオは手を引っ張られる。そのまま拒否も何もせず引っ張られるがままに歩いた。
「シャルロ教官?」
「いいから」
しばらくすると人気がなくなった。
平民地区にある小さな十字路。地面がむき出しのでこぼこ道。リーザは周りを見渡すと、テオの手を離す。そして、口を開いた。
「リクハルドがお姉さんの跡を追う為に休学した。親しかったテオぐらいには言っておこうと思ってね」
「それ、何で教官室で言わなかったんですか?」
「本来なら守秘義務違反だから」
「え?」
「あ、あと。ソル・リヴィエ少将によろしく言っといて」
「え、あ、はい」
シャルロがテオに背中を向けて歩きだす。テオはその背中をしばらく呆然と眺めていた。
手には一枚の紙。折られているものを見ると何かが書いてあった。その何かかが読めればいいのだが、テオはなんて書いてあるのかいまいち分からない。
シャルロのソルへよろしくというものは、これか。
テオは見てはいけないものだと自分に言い聞かせ、紙を折り畳むとぎゅっと手を握った。
※
「ただいま」
「お帰りなさいませ。テオ様」
目の前にはテオと同じ金髪に緑色の目を持った中年の男がいる。思わずテオは目を丸くした。
「なんだ、テオ。家にお父さんがいちゃだめか?」
「いや、何でそんな格好なんだ?」
この家の頂点であるソルが使用人の格好をしている。ソルがこうしてふざけることが大好きだとテオはよく分かっている。
驚いた理由はまた別だ。そもそもここにいること。昨日、そろそろ帰ると言っていたからもういないだろうと思ったのだ。
ソルは普段パテカトルにいる。海外とのやりとりがさかんなパテカトルは、同時に大きな軍事拠点の一つである。
ソルはそこで指揮を執っているうちの一人だ。だからノルンの屋敷にいることがほとんどいない。
「似合うだろう?」
「全然」
「ええ。みんな、お似合いですよご主人様あなんて言ってくれたのに」
「何言ってるんだよ。人を使う立場の人間が。あごで使われたい願望? どんな趣味だよ」
「母さん、泣くぞ」
「母さん、鼻で笑うだけだよ」
「へ、へこむなあ」
笑いながら頭をかくソル。テオは今日、何度したか分からない苦笑いをまた浮かべた。
「ちょっとぐらい乗ってくれたていいじゃないか、テオ様」
そう言われてテオは笑うしかなかった。あくまでも目上の男が今、目下の役をしている。変な気分だ。
ふとテオは閃いた。今、この場でシャルロから貰ったものを渡してしまえばいいのではないか。
「ソル。シャルロ教官から答案が返された」
ソルの顔つきが変わる。先ほどまでの柔和な笑顔は突如消え、軍人らしいきりっとした表情だ。
「はい。テオ様」
「制服のジャケットを預ける」
「かしこまりました」
テオは荷物をソルの隣にいた使用人に渡し、ソルには制服のジャケットを渡す。ポケットの中には、暗号化されたシャルロからソルへの手紙が入っている。
「明日も学校でございますか」
「ああ」
「朝、執務室にてお待ちしております」
何だよ。言葉が口から出てきそうだった。
シャルロもソルも何かがおかしい。けれど、何がどうしておかしいのか、全く分からない。
だからといって、二人にテオが何かあったのかと訊くことはできない。はぐらかされるだけだ。
気がついたら部屋の前だった。ドアを開けてすぐにベッドに座る。普段ならすぐに開ける教科書を今日は開けるきにもならなかった。
リクハルドがいない。ソルやシャルロの言動が気になる。
分かっている。分かっているけれど、テオの足は執務室へ向かっていた。
※
「あれ、テオくん!」
ソルは執務室で何やら書いていた。テオはさりげなく中身を覗こうとしたが、ソルは、テオくんはだあめ、と言い引き出しに閉まった。
「なあ、リクって本当に休学?」
「それ、お父さんに訊くことかなあ? そもそもリクが休学したの今知ったよ」
にこにこ笑うソル。いつのまにか着替えたらしい。軍服を着ている。けれど、ソルは父親の顔だ。だからか。テオは違和を感じる。
「本当かよ」
「お父さん、嘘はつけないよ」
「どうだか。なあ。親父」
「なあにい?」
「何、知ってるんだよ」
「何のこと?」
とぼけようと、かわそうとしていたのはテオにもすぐに分かった。訊きたいことは、守秘義務に入るようなことかもしれない。しかし、リクハルドが関係しているかもしれないと思うと、テオはどうしても訊きたかった。
「リクハルドのこと。だってあの勉強馬鹿がラダさん追うために休みってさ。いきなりすぎるし。最後会った日は進学どうしようかなって言ってたのに」
ソルが笑う。しかし、にやにや笑う父親の顔はまた消えていた。軍人の顔だ。口角がただ上がっているだけの愛想笑い。
「世の中はな、知るべきことと知ってはいけないことがある」
「え」
思わずテオは腑抜けた声を出してしまった。それでも、ソルの顔が父親の顔に戻ることはない。冷たく感情を読み取れない眼差しでテオの瞳を捉えている。
「私から命じる。今は勉強に集中しなさい。リクハルド・ヒューリネンの名はこれ以降出さないように」
「は? 何言って!」
「これは、上官である私からの命令だ。いいな。分かったら出ていきなさい。明日も学校だろう?」
ソルは立ち上がると、テオの背中を押して、そのまま執務室から出した。テオは首を捻る。納得などいかなかった。だから、明日、教官に訊こうかと思ったがやめた。父と同じ反応をすることは明白だ。
仕方なく部屋に戻って、テオは勉強道具を広げた。そして、インクをペン先につける。
「何なんだよ」
リクハルドの突然すぎる休学。そしてリクハルドに目をかけていた二人の態度のよそよそしさ。
リクハルドは変に目をつけられていた。
士官学校で平民地区の人間は多い。問題はその恵まれた頭脳の存在だった。
平民の出すぎた杭。しかも、親無しの貧乏人。リクハルドは位の高い貴族たちにとっていい憂さ晴らしの獲物になっていた。だから、彼らを恐れ、同じ身分である平民でさえ、迂闊には近寄れない。
それでも構わず目をかけていた人もいる。そのうちの二人、シャルロとソルが何やら動いている。状況から考えてリクハルドに何かが起きていることは明白だった。
考えるな。行動するな。
ソルはなぜそう言ったのだろう。
「あ」
垂れたインクが机の上に小さな山を作っていた。




