6話:にやにやのジャットさん
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薄暮に浮かび上がる都市は、ノルンに住むおれでさえ息を呑んだ。決しておれは田舎者ではない。首都の城壁の中に住んでいる都市部の人間だ。それでもフィスの城壁を見ただけで背筋に衝撃が走った。
まさに絢爛と言えばいいだろうか。円形の町を囲う城壁は、なぜかところどころきらきらと瞬いている。れんがの接着部分に金でも混ぜたのだろうか。さらには、検問がある街へ続く門は、なぜか大理石が使われている。この辺りではなかなか取れないはずなのだが。
さすがは経済都市フィスといったところだろうか。政治都市であるノルンとは全く雰囲気が違う。
「うわ」
エリサが口を半開きにしながら辺りを見回している。明らかに自分が田舎者であることをアピールしてしまっている。
「エリサ、きょろきょろしない。はしたないだろう」
「うるっさいなじじい」
「エリーはここに初めて来たの?」
「え? 三回目」
さすがに慣れるだろう。普通は。
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宿にチェックインして食事を取ったら、ベッドに飛び込んでみる。五日ぶりのベッド。安宿のベッドだから別に寝心地がいいとは思えないが、野宿から解放されたことが素直にうれしい。
「リク君。嬉しいのは分かるが、やめなさい」
「……すいません」
「なあ」
「はい」
女性二人は隣の部屋。もう一週間以上ジャレットさんを含む四人と行動しているのに二人ということが新鮮なのか何なのか、少し緊張してしまう。
「エリサは、ずっとあの姿なのか?」
「は?」
驚いた。あの姿ということはほかに姿があるということだろうか。いや、まさかな。いきなり変身とか叫んで違う姿というか格好になるなどありえない。物理的に絶対無理だ。
「……あ、いや、そのお。は、はは。ちょっと驚いてしまって……。その。すいません」
「なるほど。少しの間、目を瞑っていてくれ」
「はい」
目を瞑ってしばらくすると、何か光った気がする。何が起こった。別に危険でもなんでもないのだろうが。
「目を開けてくれ」
「はい」
おそるおそる目を開けてみると、目の前には羊がいた。そして、目を開けてと言ったジャレットさんがいない。周りを見渡してみると、ジャレットさんがさっき着ていた服が、ベッドの上で綺麗に畳まれている。
……ジャレットさん、裸で何をしているのだろう。いや、その前にこの羊はどこから現れたのだ。全くもって意味不明だ。
「リク君」
「え」
今、羊がジャレットさんみたいな声で話しかけてきたが、おれはさらに頭でもおかしくなってしまったのだろうか。いや。まさかな。
「死神はいくつも姿を持っている」
「い、一応聞きますけど、ジャレットさんどこにいるんですか?」
「リク君の目の前の羊が私だ」
まさかと思いたいが割り切れ。この世界におれが考えていた常識というものは通用しないのだ。何度も何度も自分に言い聞かせてきただろうが、おれ。
「エリサに猫耳があることは知っているだろう?」
「はい」
「あれは力の使い方が上手くないから、耳を隠せないということだ。その上、エリサは帽子が本当に嫌いなはずなんだがな」
「でも、耳を隠すために被っていますよね」
「普段はそうはしない。エリサはいつも白猫の姿になって死者にお供する」
まあ、出会って三日ぐらいは人の姿みたいだが。とジャレットさん。エリサが猫の姿に、か。見たことがない。その姿でいてくれた方が、宿代が一人分なくなるから随分節約になるのだが。
「自分の嫌いな帽子を被ってまで人の形を維持する。もしかして、すでにキスするぐらいする仲か?」
「な、ななな。何言ってるんですか! そ、そんな関係なわけないじゃないですか!」
「ほお。なるほど」
「な、なん、ですか?」
「いや、なんでもない。それより、リク君。人の姿に戻りたいから、外に出ていてくれないか? 今、裸なんだ。きみは人間の、しかもじじいの裸を見たいかい?」
「遠慮しておきます」
外へ出る。顔が熱い。心臓がばくばくする。宿の外に出て、頭でも冷やしてこようか。ああ、それなら剣を持ってくれば良かった。昼は剣がなくてもおそらくなんとかなるが、夜は何かと物騒だ。
隣の部屋からエリサの叫び声が聞こえた。カーラさんに何かされたのだろう。旅に疲れて寝ている人もいるのだから静かにしてくれ。
ばたん。大きな音がする。誰だよ。この時間に。と思って周りを見渡すとエリサだった。
「ちょっと! なんであんたがいるのよ!」
「いや、ジャレットさんが着替え中だから」
「エリー! こんなに可愛い服もあるわよー!」
カーラさんの持っている服はフリルのたくさんついた白いワンピース。エリサはフリルのついた白いワンピースを好んで着るはずなのだが、どうやらこれは着たくないらしい。
「なんなのよ! 絶対着ないわよ!」
「ええ。絶対可愛いのに。ねえ、りっくん?」
「あ、はい」
「ほらあ。ね!」
「なんなのよ! ほんとに!」
走ってにげようとしたエリサがすぐに転んだ。何もないところでいきなり転ぶものだから面白い。思わず吹き出す。
「何笑ってるのよ。リク!」
「いや。それより、着てみたら? 似合うだろうし」
きっとエリサが着ないと、収集つかないだろうし。あの目は本気だ。拒んでも実力行使するに違いない。体の使い方が上手い人だから、エリサが抵抗したところでどうにもできないだろう。
「はあ?」
「ほら。りっくんも言ってるんだから、着るわよ」
「分かったわよ! 着ればいいんでしょ?」
やけくそだな。すたすたと部屋の中に入っていくエリサ。にこにこ笑いなが後を追うカーラさん。ぽつりと楽しみにしててね。などとカーラさんは言いながら部屋に入っていく。どうやら見せてくれるらしい。また騒ぎになりそうだ。
おれも部屋の中に入る。ジャレットさんはオーバーオールを着てベッドの上に座っていた。どこから持ち出したのか分からないが、本を持っている。
「ああ、お帰り」
「ただ今戻りました」
「エリサは君の言葉に弱いみたいだね」
「そうですか? いつも怒られてばっかりです」
「随分と心を開いてる証拠だな」
「……で、その、何を読んでいるんですか?」
ちらりと覗きこむ。古文字だ。普段使っている文字と似てはいるが、言葉が今使っているものと結構違うから読むのに頭を使う。
「死神になる条件について……?」
あれ、なんだ。おかしい。ぱっと見た感じ古文字なはずなのだが、どうやら違うらしい。単語は現代語。でも古文字。いや。もはや異国の文字なのだろうか。古文字にしては形が変だ。似ているので読めないことはないのであるが。
「……これを読めるのか」
「あ、え?」
ぱたん。ジャレットさんが本を閉じた。どうやら見てはいけないものだったらしい。
「君は本当に聡いのだね」
「そんなこと」
「これはふつう、死神でなければ読めるものではないからな」
「そうなんですか」
「ちなみにこれは私の手記だ」
「そうなんですね」
見るな。ということだろう。まあ、おれが読んだところで特に何かがどうなるとは思えないが。
「りっくん!」
カーラさんがにこにこしながら部屋に入ってきた。エリサの腕が見える。手をくるくる回しているあたりからして、逃げたいのだろう。まあ、カーラさんにエリサの力でかなうと思わないが。
「ほら!」
「な! ちょっと!」
ぽん、と押し出されたエリサはワンピースを着ていた。それはふつうなのだが、茶色いコルセットをつけているし、スカートの部分は膨らんでいる。さらにはツインテールで青色のリボンをつけている。
まるで人形を見ている様だった。なんて言えばいいのか分からない。
「な、何じっと見てるのよ」
「あ、ご、ごめん」
「本当。よく似合ってる。ね、りっくん」
「はい」
「あ、もう。うるさい。帰る!」
かつかつと足音を立てて帰るエリサ。いつもより目線が上だと思っていたらハイヒールを履いていたらしい。その後を追ってカーラさんも部屋に戻っていった。
「鼻の下、伸びているぞ」
にこにこ。いや、にやにやしているジャレットさん。この人はこの人で随分とこの旅を満喫しているみたいだ。




