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9.方向音痴なあたしと物忘れの姫君 前編

 冷たい大理石の上を黙々と進んでいく。

 気が遠くなるほどに長い廊下だ。しかも建物自体がまっすぐではなく、少し緩やかなカーブをつけて設計されているらしく、見通しが聞かない。前を見ても、後ろを見ても、自分の現在位置がつかめない。


 全体的に見れば、弧を描いた優美な建物なんだろう。廊下のあちらこちらの柱にも繊細な模様が施されている。


 シュワイヤーと呼ばれた彼は、あたしの一歩ほど先を歩いている。

 こんな場所を歩いているというのに、不思議なことにあたしたちは何故か誰にも出会わぬまま進んでいた。


ペタペタペタ


 少し歩みを早めたり、逆に歩みを遅くしたり、シュワイヤーの速度にあわせて進む。

 すると絶妙なタイミングで、衛兵とのエンカウントを回避しているようだった。

 さすが猫だけあって、気配で探知できるんだね。


ペタペタペタ


 この空間の中で響くのは、あたしの足音だけ。

 先を行く彼は、音もなく滑るように進んでいる。猫だけに、足に肉球効果が付いているんだろうか?


ペタペタペタ


「どうでもいいですが、いい加減、その緊張感のない足音はやめていただけませんか?」


 シュワイヤーは、うんざりとした表情であたしを振り返る。


「多少なりとも、敵地に潜入しているというくらいの意識はないんですか? 姫君に会う前に、神殿もしくは王宮側の人間に捕まってはマズイことも理解できていないなんて、どこのトリ頭です。いえ、この言い方では鳥に失礼ですね。鳥の方がよっぽど危機管理能力に優れています。鳥以下のミジンコですね」


 あたしの翻訳チートは、よどみなく彼の罵声を日本語に直してくれる。

 この世界にミジンコっているんかいな。


「でもこれ、くれたのおばあちゃんだし」


 あたしは足元を指差す。

 おばあちゃんがあたしに渡してくれたのは、まさかのムートンブーツでした。

 なんでその選択なんだろう。


 あたしたちは今、姫君が住むという離宮に潜入している。

 あれだけの説明で即移動とか、無謀にもほどがあるだろうよ。


 いくらシュワイヤーが案内してくれているとはいえ、あたしは件の姫君に会って、何て言えばいいんだろう?

 あなたの味方です! とかいきなり言っても怪しさ満点じゃない?


 事前にもう少しこの世界のレクチャーもして欲しかったし、正直、あれだけの情報で放り出されたのは心許ない。

 もしかしたらおばあちゃんも、もう少し説明する気はあったのかも。

 シュワイヤーが歩き始めたから大慌てでついて来ちゃって、今更ながらに失敗だったと痛感していた。


 急にシュワイヤーが立ち止まり、すぐそばの柱の影に引き込まれる。

 そのまま勢いよく手を離されて放り投げられたので、あたしは柱と床にご挨拶することになった。い、痛い……。

 シュワイヤーの対応が冷たすぎて辛いです。


 思い出せ、あたし。

 シュワイヤーはにゃんこ、かわいいにゃんこ。お耳に尻尾、銀色にゃんこ。

 必死で変身前の美麗なお姿を思い出す。

 よし、いける! あたしはまだ頑張れる!


「私はお前のような女など認めぬ! 何が予言だ。何が王命だ、誰がお前のような女を妻になど!」


 おっと、いきなりの修羅場シーンですか?! ここ離宮とはいえ、廊下ですよ。そういう話は人払いしたお部屋でやった方がいいんじゃないんですかねー?


 しかも何気に国王や神殿を批判しちゃってるし、それってマズイんじゃないの。

 どうやら本当の予言のことは知らされていないみたいだけど、もともと人の話を聞かない俺様系の人間なんだろうな。


 よくわかんないけど、そもそも王族に婚姻の自由なんてあるんかね?

 婚姻って大事な戦略の一つだし、そんなに好きな女性がいるなら、こっそりでも公認の秘密でもいいから、愛人としてよそで囲えばいい話なんじゃないの?

 それこそ王族なんだから、側室としてならどうぞお好きなようにだろうにね。


「申し訳ありませぬ」


 凛とした涼やかな声が聞こえた。

 こちらは対照的に、落ち着いた様子だ。


「ふん、白々しい! もう良い!」


 残念ながら、火に油を注いでしまったうだけど。

 飄々としているようにも聞こえたから、短気な人は馬鹿にされたと思うかもね。


 柱の影から覗き込めば、亜麻色の髪をしたいかにも王子様な男性がずかずかと歩いてきた。

 白を基調とした服は、金糸で丁寧に刺繍が施されていて、黒革のブーツが全体を引き締めている。

 王子様って、リアルに肩に金色の房飾りつけてんのね。それによくわからないタスキみたいなのも斜めがけしてるし、勲章も何かついてて重そうな服。


 のっけから女性を罵る姿を見てしまったせいか、印象が悪いのは勘弁してほしい。

 こんな状態でなければ、とてもハンサムなんだろう。でも今ははしばみ色の瞳は怒りに燃えているし、グローブをはめた拳はきつく握りしめられている。

 どうせならロイヤルスマイルが見たかったなあ。


 王子の後ろ姿を見送る女性が、例の『物忘れの姫君』なんだろう。

 囚われの姫君と聞いていたから、か弱い女性を想像していたけれど、姫君は先ほどの王子の言葉に泣くわけでもなく、口の端には笑みさえ浮かべていた。


 鴉の濡れ羽色をした艶やかな長い黒髪に、深い菫色の瞳。しっとりと吸い付くような象牙色の肌に、紅く色づいた唇。深紅のドレスの上からでも十分にわかる女性らしい肢体。恋も知らぬ年頃の少女と聞いていたのに、可憐というよりは妖艶な美しさを持つ女性がそこに立っていた。

 失礼だけど、物語の悪役令嬢といった方がしっくりくる風貌だね!


「ところで、そこのお二人はどなたかしら? 覗き見なんて趣味が悪いわ」


 姫君は王子が視界から消えるのを待っていたかのように、にっこりとあたしたちがいる方へ声をかけてきた。

 覗き見してるのバレてた……。ごめんなさい。

 

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