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82.番外編 カイル王子と魔法の鏡 前編

 今日も今日とて第二王子のカイル殿下は、ひとり涙にくれながら雑巾がけをしていた。顔にうっすら汚れをつけて、一心不乱に床を磨くその姿はただの下男である。もはや王子様とは思えないようなお仕事の真っ最中だ。


 ここは城の資料室と言う名の物置部屋である。はたから見ればがらくた同然のものばかりだが、いろいろと諸事情のあるものらしく、勝手にごみとして捨ててしまうことはできないらしい。ならばきちんと片付ければいいものを適当に放り込むということは、その品物の価値としてはきっとお察しだ。


 ところが噂によれば、宮廷魔導士でさえも持て余してしまうような呪いの品さえも置いてあるのだとか。そんな胡散臭い品物がところ狭しと並べられ、分厚いカーテンのせいで光もささず、もうもうと漂う埃の中を、カイル王子は憂鬱そうな顔でただひとり掃除をしているのだった。


「休みの日くらい、ちょっと羽を伸ばしたっていいじゃないか。なんで花街でのお遊びの内容が下品とかいうわけのわからない理由で、罰を受けなきゃならないんだよ。オレは巨乳が好きなんだよ、悪いかコノヤロウ!」


 好きな相手が豊満な体つきだったせいで巨乳好きになったのか、もともとそういう下地があったのかは不明だが、カイル王子はことの外お胸の豊かな女性が大好きだった。残念ながら元精霊王には、知的な美しさをした胸の魅力など理解できない。小さいより大きい方が良いではないか。


『まったく女性の美しさを、胸の大きさだけしかで語れないとは同じ男として情けないね』


「はあああああ?!」


 一人きりのはずの部屋で入れられた絶妙な合いの手に、カイル王子は思わず絶叫する。今まで散々文句をたれながら掃除をしてきたのだ。陛下に対して「年下男好きの年増」などと言ったことや、元聖女に対して「貧乳合法幼女(ロリ)」などと言っていたことが彼女たちを溺愛する人間の耳に入れば、騎士団での地獄のしごきと新しい氷魔法の実験台は免れないだろう。


 錆びついた人形のように首をぎこちなく動かしたカイル王子は、自分の真後ろの人影に一瞬悲鳴をあげそうになった。よくよく見れば、それは古ぼけた一枚の鏡である。なんだ、鏡か。やはり疲れているに違いない。先ほどの声も幻聴だったのだろう。


 早く掃除を終わらせて部屋に戻りたい。そうしてあたたかい布団の中で、惰眠をむさぼるのだ。カイル王子はため息をつきながら、床を拭いた小汚い雑巾で埃まみれの鏡を強く擦る。黒い水が曇った鏡の上に無駄にのばされた。


『痛い! 痛い! もっと優しく……っていうかその雑巾汚すぎるっての!』


 途端に辺りに情けない悲鳴が響き渡ったが、もちろんこの物置部屋にはカイル王子以外いないはずなのである。今、鏡が喋ったような……。いや喋る相手はいるとすれば、この鏡しかいないのだ。面倒ごとに巻き込まれたくないと思いながらも、やはり好奇心には勝てない第二王子。好奇心は猫をも殺すということわざは、残念ながら北の国にはない。


 精霊王時代の記憶はもはやさして意味を持たず、精神はただの男子高校生レベルである。胡乱な顔をした彼は、今度はほうきの柄で鏡をつついてみた。勢い余ってコツコツどころかガツンと柄が当たったのはわざとなのだろうか。そのまま散々にこづきまわすと、飽きたのか鏡からそっと距離をとる。


「……気のせいか」


『気のせいじゃないよ! というかほうきでつつくのはやめてくれないか?! ボクの美しい肌に一生ものの傷が残ったらどうしてくれるんだ』


 今度こそはっきりと鏡が喋るのを聞き、カイル王子は深々とため息をついた。絶対に厄介ごとだ。こんな出会い方をして、おかしな事態に巻き込まれなかったことなんて一度もない。一旦信用の置ける宮廷魔導士を呼びに行くべきだろうか……。少しばかり思考の海に沈んだカイル王子は、そのせいで侵入者に気がつくのに遅れてしまった。


「わあ このかがみ、ふちどりが ふしぎな かたちを してるよ」


「あら本当。もしかしたらこれって……ほらやっぱり! 鏡文字じゃない」


 合わせ鏡をしながら文字を読み取る美しい子どもたち。そうそれは、なぜか物置部屋に入り込んできた元聖女のメープルと、小さくなった体にすっかり馴染んだジュムラー(小)だ。二人とも鏡の声は聞いていないだろうに、目ざとく鏡に興味を持ってしまっている。これはもはや運命としか言いようのない引きの強さだ。


 ゆっくりとジュムラー(小)が、小さな指で鏡の縁取りをひとつひとつなぞる。紋様を文字として認識しているせいか、はたまたジュムラー(小)の力なのか、うっすらと文様が輝き始めていた。


「馬鹿、やめろ! むやみやたらに魔力を流すんじゃない!」


 どんなものかもわからない代物に、うかつに関わってはならない。当然のことである。さすがに国を滅ぼすようなものがあの鏡に封じられているなどとは思わないが、どう考えてもろくな結果にならないだろう。用心するに越したことはない。


 だがしかし、元精霊王のカイル王子の日頃の行いのせいで、二人ともとりあうことはない。カイル王子はこの機会に、己の胸に手を当てて反省をするべきである。主に下半身での悪行が多いので、手を当てるべきは胸ではないかもしれないが。


「かがみよ かがみ、かがみさん、このよで いちばん うつくしいのは だあれ?」

「鏡よ鏡、鏡さん、この世で一番美しいのはだあれ?」


 ノリノリで鏡の縁に彫られた言葉を読み上げる二人。読み上げるごとに、鏡の縁に彫られた逆さまの文字が反転し、澄んだ青い光を放っていることに気がついているのだろうか。ジュムラー(小)が鏡に注いだ魔力が、明らかに増幅して返ってきている。


 世界の扉が開かれる。元精霊王の記憶を持つカイル王子には、それが肌でわかる。いや、禁じ手の異世界召喚をやったことのあるこの二人が、なぜ気がつかないのかこそが不思議だ。懲りもせずに、しかも悪意なく同じようなことを引き起こしていることに、もはや頭痛が止まらない。


「おいこら、正体のわからないものに問いかけをするな!!!」


 カイル王子の絶叫もむなしく、まじないは完成する。そしてその問いかけに答えたのは、誰であろう鏡の声の主だった。よく響く朗々した声が、鏡の中から返ってくる。それは姿など見えなくても、歓喜に沸き、喜びに打ち震える様が想像できるような、そんな素晴らしい声だった。


『はははっ、よくぞ聞いてくれた! それはフランク騎士随一の財力を持つ美男子イケメンのボク、アストルフォに決まっているだろう!!!』


 だからカイル王子としては、鏡の向こうから驚くような美貌の男が出てきたとしても驚きはしなかったのだ。さすがにハイテンションで芝居がかったポーズを決めた、美貌の裸体の変態が出てくるなんていう結果は予想外だったが。それにしても絶妙なポージングで、際どいところを隠すその妙技には恐れ入る。ゆらぐことなく片足で飛び出し着地した平衡感覚は素直に賞賛したい。


「なんで素っ裸なんだよ、この露出狂が! 初対面だぞ、多少は恥じらいを持て!」


「愚問だな! 『恥ずかしい』というのは己に欠点があると自覚している者が抱く感情! でもボクは美男子イケメンアストルフォ! 我が肉体の美しさに欠点などない! 故に恥ずかしがる必要まったくナシ!」


 臆面もなく言い放ちやはりポージングを崩さない自称、美男子イケメン。その開き直りっぷりには、呆れを通り越して清々しさすら感じさせる。その背中に、最近女子どもに人気の小説の主人公のように、薔薇を背負っているように見えるのは気のせいか? 疲れ果てて幻覚まで見えているのだろうかと、カイル王子はかぶりをふった。


 鏡の向こうから人が出てきたという異常事態なのに、あの辛辣なメープルは顔を赤くしてぼんやりしているし、ジュムラー(小)は瞳をキラキラさせている。まあ美形に見慣れたメープルが見惚れることを鑑みれば、自称美男子イケメンの言葉も一理あるのかもしれない。


 だがしかし、全裸でいても許されるあの男と、花街ではしゃいだだけで変態と蔑まれる自分との境目はどこにあるのだろうか。カイル王子は理解に苦しむ。なおジュムラー(小)は宮廷魔導士の卵として、この原理を解明したいのだろう。矢継ぎ早に質問を繰り返していた。


「どちらから いらっしゃったのですか?」


「それがだな、旅の途中でロジェロ君がはぐれてしまったのだ。まったく我が友は方向音痴で困る。手持ち無沙汰なボクが水浴びをしながら湖に映ったボクの姿に見惚れていると、急に声が聞こえて鏡の中に引き込まれてしまったのだよ」


「なるほど だから はだかなのですね」


「鎧を着ていても、一瞬で脱衣クロスアウト可能だとも!」

 

 まったくもって自慢にならなそうなことを胸を張って答えるアストルフォ。そもそも同行の友とはぐれたのは、ロジェロ君とやらが理由ではなく、この男がわるいのではないのか。相手の方も、今頃は消えたアストルフォを必死で探しているに違いない。それにしてもそんな事態で最初にやることが水浴びだとは、やはりこやつまったく食えない男である。もしかしたら本当に何も考えていないだけだなんて、ジュムラー(小)は思いもしないのだ!


 一方のカイル王子としては、いくら美しかろうが相手が男であるがゆえに面倒くささしか感じていない。これは絶対になかったことにするべき案件だ。あの鏡の縁がぼんやり光っていることから思うに、今のうちにあの男を再度鏡の中に押し込むことが可能なのではないだろうか。そっと目につかぬように、背後からアストルフォに近づく。


 ところがだ、アストルフォは何を思ったか目の前の小さな貴婦人に挨拶をすることにしたらしい。確かに元聖女は見た目が幼いとはいえ、精神年齢は大人の女性である。何か感じ入るものでもあったのだろうか。いや最近は少しずつ成長しているらしいから、アストルフォ的に少女の域に入ったとみなされたのかもしれない。幼女が守備範囲だとすれば、この男は救いようのない変態である。


 背中に背負っていたはずの薔薇を一輪持ち、それをメープルに捧げる。だがしかし、騎士らしく礼を取るということはあの絶妙なポージングを一旦解除するということである。それはつまり黄金の槍もかくやという、アストルフォの聖剣が無防備にさらされることになったのだ。


「いやあああああああああああ」


 狭っ苦しい物置部屋は、意外と初心うぶな元聖女の悲鳴で満たされることになった。そしてそのまま渾身の力で突き飛ばされる鏡の男。さらに勢い余ってカイル王子まで巻き添えをくらい、華麗にもみくちゃになる。


「あろほげごぎゃあッ?!」


 情けない悲鳴を上げアストルフォは宙を舞い、近くの戸棚に頭から突っ込んでピクピクと痙攣していた。そしてその衝撃で壁から落下した鏡は、大きくひびが入ってしまったのである。見事に魔力の気配が吹き飛んでしまった鏡をそっと拾うカイル王子。彼もまた、頭から埃をかぶり、すっかり髪の毛が真っ白になってしまっている。それはまるで、カイル王子の心象風景を表しているかのようであった。


 割れた鏡からは、なんの力も感じられない。もはやこの事態を隠し通すことなど、できそうにもなかった。事実、先ほどのメープルの声を聞きつけた衛兵たちが、この部屋に向かってくる足音が聞こえてくる。カイル王子は掃除が台無しになった物置部屋の後片付けと己の今後を想像するだけで、胃がキリキリと痛むのだった。

ご高覧いただき、ありがとうございます。

番外編「カイル王子と魔法の鏡」に登場する騎士アストルフォは、LED様の『つっこめ! ルネサンス』(http://ncode.syosetu.com/n4522ds/)よりお借りしております。よろしければこちらもぜひ!

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