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78.番外編 そして時は巡る

 ここはとある小さな街の小さな学校。

 二人しかいない先生が、全ての子どもたちの面倒を見てくれる。教室までの道すがら、とある少年がぽつりとつぶやいた。


「ヤバイ、算数の宿題忘れてた……」


 うっすらと顔を青ざめさせる少年の名前はカイル。目鼻立ちの整った美少年ではあるものの、なぜか基本的にいじられキャラである。周囲の人間曰く、ついからかいたくなるということなのだが、からかわれる人間としてはありがたくない話である。


「あらあ、またなのねえ。賢臣『カイル』の名が泣いちゃうわあ。もう今日から『トリ頭』に改名したら良いんじゃないのお?」


 嫌味ったらしく語尾を伸ばしながらこちらを見て笑う少女。彼女を見て、少年は忌々しそうに舌打ちをする。黙っていれば人形のような美少女だが、口を開けば相手がぺしゃんこになるような毒を吐き続ける猛獣である。


 とはいえその毒をかけられるのは基本的にカイルただ一人なので、この気持ちを分かち合う友はカイルにはいない。哀れな少年である。


「おまえこそ、そんな口の悪さでよく『メープル』なんて名前でいられるものだな。聖母どころか鬼ババ……」


 そこまで言ったところで少年は後ろにすっ転ぶ。顔から垂れる鼻血と足元に転がっているこぶし大の氷から推測するに、どうやらこれが彼の鼻にクリティカルヒットしたらしい。


「姉さん、大丈夫? またしつけのなっていないバカ犬に絡まれてなかった?」


 心配そうに姉の手を取る少年。こちらも人目をひく美少年である。珍しい青金色の髪がさらさらと風になびく。少年であるにもかかわらず、髪を長く伸ばしているということは、将来は宮廷魔導士にでもなるのかもしれない。魔力の媒介となる髪を長く伸ばすことは、魔導士の証でもあるのだ。


「ありがとう、ジュムラー。大丈夫よ。弱い犬ほどよく吠えるって言うでしょ?」


 美しい姉弟愛を見せつける二人。基本的にカイル以外の人間に対しては、メープルは優しい。猫可愛がりしている弟ならなおさらだ。けれど麗しい姉弟愛も、この二人が実は血が繋がっていないことを知っているカイルにとってはただいちゃいちゃしているようにしか見えない。


「おい、そのシスコン野郎! 殺す気か!」


 思わず吠えるカイルの頭上に、今度は一抱えもありそうな氷が出現する。避ける間も無く脳天を直撃した痛みに、少年は血の涙を流した。毎度ではあるが、人間とは思えない扱いの酷さに彼は歯噛みする。けれどどうしてだか、ついこの姉弟と行動を共にしてしまうのだ。己のあほさ加減が憎い。


 なお毎日がこの調子であるがゆえに、近所の住人も学校の生徒たちもカイルを心配することはない。無駄に丈夫な美少年は、今日もまた元気である。


 生徒数なんてそれこそ数えるほどしかいないと言うのに、この学校はいつでもこうやって賑やかなのだ。それでも授業が始まると、ようやっと教室は静かになる。


「今日は、歴史について学びましょう。せっかくですからこのページはカイルくんが読んでください」


 担任の男性教師は、銀縁の眼鏡をくいっとあげながら、気軽にカイルを指名してくる。くすくすとクラスメイトが笑うのを感じて、少年はふくれっ面をした。自分だって、好きでこの名前ではないのだ。たまたま昔の偉人と同じ名前をつけられたからと言って、どうしてここまで比べられないといけないのか。


 「カイル」も「メープル」も「ジュムラー」も、この国ではありふれた人名だ。数世紀前の偉人で、半ば神格化している彼らの名前は、多くの子どもたちの名前として用いられている。


 「楓の聖母」として名高い、孤児などの弱者の保護に努めたメープル。この国には彼女が作ったとされる学校や病院が数多く残っている。この小さな学校だってその一つだ。


 現代魔術の基礎を作ったとされるジュムラー。彼の綴った書物なくして、魔術は語れない。彼の作った魔法は、理論上は可能だが、今では再現できないものも多い。稀代の魔導士なのだ。


 そして忠臣として名高いカイル。彼はその革新的な行動と政策により、特に人気のある人物だ。名前負けしていると言われても、それはカイル少年のせいではないのではないだろうか。少年は渋々教科書を読み上げる。


「カイル王子は、当時男子にしか認められなかった王位継承権を、女子にも与えるように力を尽くしました。また彼は、本来であれば次の王になることが決まっていたにもかかわらず、それを良しとしませんでした」


 カイルの声は美声だ。くすくすと笑っていたクラスメイトたちも、笑いを止め思わずうっとりと聞き惚れる。


「『良き王のなり手は、血筋や性別が決めるのではない。この国のことを心から思い、必要とあらばその手を汚すことのできる者のみがあの椅子に座らねばならない。彼女は誰よりも強く気高く美しく、この王座にふさわしい』という言葉と、王位継承権を放棄した話は余りにも有名ですが……」


 カイル王子を褒め称える文章を読みながら、カイル少年はうんざりする。なんだこのキザ野郎。こんな奴が本当にいてたまるもんか。譲った相手に強請られたか脅されたかしたんじゃねえの。そんなことを考えながら読んでいると、先生はそれを見透かしたかのようにこんなことを言うのだ。


「この文章は神格化されすぎているせいで、あなたがたにとっては彼らはまるで雲の上のような人物に思えるかもしれませんね」


 そう言って苦笑する先生の銀色の髪が、まるで猫の尻尾のようにゆらりと揺れた気がしてカイルは目をこする。


「けれど数世紀前の時代においては、彼らも私たちと同じ血の通った人間でした。カイル王子も、こんな理路整然とした方ではなく、今のカイルくんのような明るい元気な男の子だったのかもしれません。為したことによって、評価は後からつけられてしまいます。初めから立派な人物などいないのですよ」


 後半はまるでカイル少年に言い聞かせるように、優しい声音で先生は語る。思わずどきりとすれば、先生はこっそり片目をつぶってみせる。この先生もなかなかに綺麗な顔をしているのだけれど、あまりにも奥様LOVEなのをみんなが知っているせいで、誰もきゃあきゃあ騒ぐことはない。


「先生はまるで見てきたように歴史を語るよなあ」


 ぽつりとつぶやくと、珍しく先生は驚いたような顔をする。そんなに変なこと言ったかな? カイル少年の疑問は、はっきりと形を取る前に先生の満面の笑みでかき消されてしまった。


「見てきたように話すのが、教師の仕事ですよ」


 そう言われてしまえば、カイル少年は違和感なんてすぐに忘れてしまうのである。どこか懐かしいものを見るような先生の視線なんて、まったく気づきはしないのだ。


 子どもたちは授業が終われば、一目散に駆けていく。これから家の仕事が待っているのだ。輝く命そのままに、はつらつと駆けていくその姿は見ていてとても微笑ましい。そんな彼らをぼんやりと見ていると、隣の年長組のクラスも授業が終わったらしい。


 きりりとした凛々しい少女と、まるで彼女に付き従う騎士のような赤毛の少年が通り過ぎていく。二人の姿はまるで絵巻物の中から抜け出したかのようでさえある。


「みんな相変わらずよねえ」


 不意にかけられた言葉に、男はにっこりと笑みを浮かべる。隣に立ったのは隣のクラスの担任教師だ。そのままお尻を撫で上げようとして、したたかにつねられる。いたたと言うその顔も、すでに緩みきっている。こんな風に邪険に扱われてもなお、構ってもらえることが嬉しいらしい。


「学校ではみだりに触らないでちょうだい」


「つまり家なら良いんですね!」


 アホの子のような返事をする夫を見ながら、女はため息をついた。


「あなたも彼らも変わらないわね……」


「ふふ、そうですね。転生すれば基本的に記憶は消え、別人格になるというのに彼らはみないつもあの調子。同じ時代の同じ地域に必ず生まれ変わる。縁という言葉で片付けて良いのでしょうか……」


 時折懐かしい気配に惹かれて顔を出して見れば、よくこの五人がつるんでいるのだ。人としての生を全うした彼らは、きっとこれからもこうやって縁を紡いでいくのだろう。


「今回なんて名前も一緒だもんね! もう五人でワンセットになってるんじゃないの。それにしてもこんな小さい街で五人そろうとなると、この街独立しちゃうのかしら? それとも新政府の樹立?」


「まあ北の国も大きくなりすぎましたし、それもまた良いかもしれませんね。彼らがいれば、人死を避けて、うまいことやってくれるのではないでしょうか」


「ところで……」


 男は言葉を区切ると、隣に立つ女性教師の手を握りしめそのまま押し倒した。


「なんでさっきそこらへんの野良猫を抱っこしてたんですか! 私以外を抱っこするなんてそんな……そんな浮気は許しません!」


「学校で盛るな、この万年発情期!」


 そしてこの常にくっついていたい甘えたがりの銀色の猫と、すっかりこの世界に馴染んだ導引の魔女も相変わらずこんな調子で過ごしているのである。世界は今日も平和なのだ。

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