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76.番外編 小さな魔導士ジュムラー

「そういうわけで、すまん、犠牲になってくれ!」


「何がそういうわけでだ! 死ねと言われて死ぬ馬鹿がいるわけないだろ!」


 城の一角で、騎士団長とカイル王子が馬鹿騒ぎをしている。その隣をまるで何事もなかったように、城の文官や侍女たちが通り過ぎていく。まるで廊下に飾られた絵画や彫刻の一部であるかのような無関心さだ。


 そう、もはや名物となったこの光景に気を止める人間などいない。つまり、カイル王子の味方は皆無である。しかも赤毛の騎士の横には、目にうっすらと涙をためて、上目遣いでこちらを見上げる美幼児の姿があるのだ。ぶが悪すぎる。どちらかと言えば、カイル王子の方が悪者である。


 腐ってもこちとら王子だぞこの野郎と思いながら、カイル王子は廊下の先の階段に駆けよろうとして盛大にすっ転んだ。どうやら辺り一面つるつるのアイスバーン状に凍らされていたらしい。カイル王子は、純粋無垢なはずのジュムラー(小)の用意周到さにこっそりと泣いた。ここ最近、転びすぎて青アザの絶えない己の膝を思う。


 ことの始まりは、昨年に引き続き一大ムーブメントと化したエイプリルフールである。目の前の騎士団長は、昨年国王陛下に騙されて紫色のビキニ一枚という悪趣味な格好で、トレーニングを行っていたはずだ。


 そして自分は元聖女に騙されて着替え中のリーファの部屋に突撃し、変態という称号とともにしたたかに頬を打たれたはず。一方の龍騎士のクソ野郎は、風呂の途中という理由で素っ裸のまま姫君の部屋に駆けつけても、忠臣と言われ姫君のバスローブをもらうという状況だった。対照的な扱いだったことを思い出して、その差に涙が出そうになる。いや、終わった話を蒸し返すのはやめよう。


 今年はそんな馬鹿なことをやらかす奴はいないだろうと思っていたが、当てが外れた。やらかしたのは宮廷の美幼児ことジュムラー(小)である。


 ジュムラー(小)は、またもや勝手に入り込んだ執務室で、得意げに元聖女にこう語ってみせたのだ。


「おねえちゃん、しってる? きょうはね、おはなと いっしょに こおりの けっしょうが ふるんだよ。さんびゃくねんに いちどの、とくべつな ひなんだ!」


 そう言われて、元聖女は何と答えたのだったか。ぱちくりと驚きで目を大きくした後、花がほころぶような笑顔を浮かべたのだ。


「わあ、そうなの。とっても素敵ね。だったら今日はいっしょに、それを見に行きましょうね」


 普段は馬鹿っぽく語尾を伸ばすくせに、ジュムラー(小)相手にはきちんとした言葉遣いで話す元聖女。すっかりジュムラー(小)の話を信じてしまっていると見えて、いそいそと半休を取る準備をしている。


 国王付きの侍女が当日に半休とはどういうことかと思うのだが、国王陛下と元聖女の中ではそれも可能らしい。まったく解せぬ。


 うっすらと顔を青ざめさせるジュムラー(小)を見て、カイル王子は助け舟を出してやることにする。まったく調子にのって、しょうもない嘘なんかついてみるからこんなことになるのだ。


「そんな夢みたいな話があるわけないだろ。今日が何月何日か考えてみなよ。エイプリルフール、いい? わかる? もう一回言うよ、エイプリルフール。君、騙されてるんだよ」


 そう言えば、きいっと冷たく元聖女がカイル王子を睨み付ける。そのまま大切そうに、ジュムラー(小)を腕の中にだき寄せた。


「あなたと違ってえ、ジュムラー(小)はあ、そんな下らない嘘はつかないんですう」


 あからさまにカイル王子を馬鹿にした口調で話をする元聖女。ちらりと横目でジュムラー(小)を見れば、涙目で震えている。そしてうるうるとした眼差しで、叫ばれた。


「そうだよ! ぼく うそつかないもん!」


 コイツ、あっさり裏切りやがった! したたかに元聖女に攻撃されて、庇ったはずの美幼児に背後から撃たれ、瀕死のカイル王子はほうほう退いてトイレ休憩へと脱出をした。その後の経緯は、話すまでもない。


「ぼく、かいるおうじの めのまえなら、すごい こおりまほうも つかえそうなの」


 どうやら先日の、意図せずして元聖女の胸元にダイブした際のことを思い出しているらしい。確かに、元が宮廷魔道士であったとはいえ、幼児がいきなりあれだけの魔法を繰り出すのは前例がない。


「それ全然誉めてないよね? オレのこと嫌いだから、オレを魔法のまとにしたら何でも出来るって申告してるのと同じだよね? それ全然安心出来ないんだけど!」


 そう涙目で逃げ出そうとするカイル王子に、騎士団長が優しげに微笑みかける。力強くその肩を叩いた。


「大丈夫、ちょっと氷漬けになるだけだ」


「いやいや、軽く言うなよ! 普通は氷漬けにされたら死ぬからね?」


「陛下の許可は頂いてある。喜べ、今日の午後は半休だ。」


「あのクソババア!」


「陛下を貶めるのはこの口か?」


「ぐえええええっ、ひはひっ、やめへふれえ」


 かくして約束の時間は来る。


 妙にぐったりとしてみえるカイル王子を胡散臭そうに見つめながら、元聖女と国王陛下は連れ立ってやってきた。ここは城の中庭だ。今はちょうど、小手鞠と木蓮が花盛りである。月明かりに照らされてうっすらと白く浮かび上がる花が美しい。


「おねえちゃん、みててね!」


 今までになく必死な顔になりながら、ジュムラー(小)が両手をかざす。ごうごうと風が集まり、一箇所に収束する。もはやそれだけで、一面花吹雪だ。急速に風がその質量を増したと思うと、一気に弾け飛んだ。まるで鈴のなるような硬質な音が響き渡る。


 上を見上げれば、ゆっくりときらめく雪の結晶が、花吹雪と一緒にひらひらと舞い落ちている。それは月明かりに照らされて、確かに三百年に一度の光景に見えた。ジュムラー(小)が汗びっしょりで、息も絶え絶えに膝をついていることをのぞけば。


 これが予定されていた奇跡の自然現象ではなく、ジュムラー(小)が見せつけた魔法による巧みな技であることは明らかだった。ジュムラー(小)は、うっすらと涙を浮かべて、大好きな人の姿を仰ぎ見る。嘘をついたぼくを、嫌いになってしまうだろうか。ジュムラー(小)が涙目になったその時。


「素敵な魔法をありがとう、小さな魔導士さま」


 にっこりと笑った元聖女の微笑みを見て、パッと鮮やかにジュムラー(小)の頬が染まる。そのまま元聖女はジュムラー(小)の頬に口付けた。これだけ見ていれば、二人は天に住むという神の御使いのように美しい。


 何だ、元聖女はジュムラー(小)の嘘に気づいていたんじゃないか。けれどどうしてジュムラー(小)の嘘を笑って信じてあげたのか、それがカイル王子にはわからない。不満そうな顔に気がついたのだろう、くすくすと国王陛下は笑うのだ。


「そなたは本当に分かっておらぬ。だから東国の姫君にフラれるのだ」


「うっさい! 若作り!」


「躾のなっていない犬がいるのはこの辺りか?」


「ひいっ、きゃんっ」


 幾筋かの前髪が、騎士団長の剣の犠牲になる。どうしていつもこんな役回りなんだ。カイル王子は今夜も涙目で空を見上げる。月は今日も美しく輝いている。



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