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72.方向音痴なあたしと北の国の王と中庭の麗人 中編

「陛下ほど強く賢い方をわたくしは存じ上げません。陛下ほど国のために身を捧げた方は、きっと国中を探しても他にはいないでしょう。それは、この国の誰もが知ること。陛下が国王になることを、誰が嫌だと言うでしょうか。例え王族の方であっても、いいえ王族であればこそ言えないはず」


 リーファは知っている。リーファが今まで無事に生き延びてこられたのは、この王太后の配慮があってのことなのだと。もちろんそれは王太后の政治的なもくろみに都合が良かったのだろうけれど、王太后の保護がなければリーファの人生はもっと悲惨なものになっていたはずだ。東の王様もポンコツだったし。だから彼女は懸命に語るのだ。冷え切った王太后の心に届くように。


 前に姫君も話してくれたけれど、姫君の故郷もこの北の国も、女性に王位継承権はない。だからどんなにポンコツでも、カイル王子のお父さんは国王になれたし、カイル王子たちも王になれるはずだった。ただ男に生まれたという、それだけのしょうもない理由で。そして彼女は生まれながらに女だからという理由で、どんなにこの国に身を捧げても王になれないはずだった。本来ならば。


 けれど予言があっさりとそれを変えた。現代日本なんかでは想像もつかないならないぐらい、この世界には「神」の存在感が確かにある。神の意志なのだと言われれば、慣習さえも容易く変わる。それが果たして良いことなのか、あたしにはわからない。血の滲むような努力を重ねても得られなかったものを、無造作にぽんと手渡されてしまったらその人は喜ぶのだろうか。


 王族のことに言い及ぶと、目の前の美しい人は、心底蔑んだ瞳でカイル王子を見つめた。先ほど「カイル」と呼びかけたあの柔らかな声音を出すこともない。いっそ、まるで口にするのも汚らわしいとでも言わんばかりのきつい眼差し。


 その時ふわりと風が吹き、王太后陛下のショールをなびかせた。柔らかそうなショールは、無遠慮な風に押し上げられる。そこであたしは息を飲んだ。だって、そこにはあるべきはずの左腕がなかったのだから。もともと左肩より下には腕なんて存在していないとでもいうかのように、ぽっかりとそこには空白が空いていた。


 彼女はきっとあたしの視線に気づいたのだと思う。けれど、何ら恥じることはないとでもいうかのようにきりりと口を噛むと、鬱陶しそうにショールを肩から引き抜いた。そこにいるのは、左腕と引き換えにこの国を守り導く、隻腕の強き女性だった。


 先の隣国との争いで、左腕をなくされたのだとメープルちゃんが教えてくれた。自分を盾として使うようになったのは、それからなのだとも。メープルちゃんはなんとも言えない顔で、王太后陛下を見る。メープルちゃんと彼女の関係もまた複雑なのだ。


 目の前の頭が良いこの女性は、やっぱりきっとどこか不器用な人なんだろう。聖女という役割を終えたメープルちゃんだって、彼女の変化を望んでいるはずだ。体の内側にたまりきった怒りや悲しみや心残りを、昇華させることができた彼女だからこそ、そう思うのかもしれないが。


 美しい王太后は、黙して語らない。


 けれどわかる。この人は怒ってるんだ。この孤高の人は、その身のうちに燃え上がるような炎を抱えて生きている。親子どころか祖父と孫ほどに年の離れた前王への輿入れだって、本人が望んだものなんかじゃないだろう。だって、目の前の彼女はまだまだ美しい女盛り。いくら年上好きにしたって、幼児の枯れ専とか限度がある。


 そうして必死で王宮内の居場所を作ったら、次の王様はアホタレで女にうつつを抜かし、第一王子も第二王子も政治に興味がない。以前にちらりと耳にした話から察するに、第一王子は国やら国民を打ち出の小槌か何かと考えているようなお馬鹿さんだった。だから戦場にさえ出て指揮をとり国を守る彼女からすれば、彼の存在は許せないものだと思う。


 それにカイル王子。今でこそ下半身が暴走している男子中学生みたいになっているけれど、本当なら彼が王様になったっておかしくなかった。王位継承権は第一位だったし、使いこなせないからという理由であたしに押し付けた「最悪の未来を視る力」だって国を背負うものとしては、手放すべきでない力だったのかもしれない。


 カイル王子がその力を捨てたとはっきり言わなくても、聡い彼女は気づいただろう。ある日を境に、カイル王子の身にまとった雰囲気がいきなり切り替わったことに。


 どうしょうもない阿呆も嫌いだろうけど、きっと彼女はカイル王子こそが一番憎いのだろう。羨ましく、妬ましい。全てを持っていたにもかかわらず、あっさりと捨ててしまった彼のことをきっと彼女は許せない。


「俺もばーちゃん……いやあんたこそがふさわしいと思う。俺はあんたほどにこの国を深くは愛せない。目の前にいる好きな相手の気持ちさえわからないんだ。この国のたくさんの命を全て背負って、未来に向かって毎日歩き続けるなんて苦行、到底できるはずがない」


 おまえ、ばーちゃんって呼んでたのかよ! いや絶対嫌がらせで呼んでたんだろうけど、マジでないわ。そのまま王太后陛下の前に跪き、臣下の礼をとるのはいいけれど、言葉遣い全然ダメやん。


「けれどあんたが必要なのだとそう言うのなら、俺は臣下としてそのまま手足になるよ。出来る限りの働きを約束する。だからリーファを国に返してやってほしい。それにもう望みは叶えられたはずだろ」


 なんか良いこと言ってるっぽい雰囲気だけど、ちょっと待ってほしい。マジかよ! おまえここにきて、一気に火に油を注ぐね! いや確かに君にしては頑張った方だよ。今まで楽しいこと、楽チンなことに流れて生きてきたのに、リーファのために身をていしたのはいいことだと思う。でもさ、今朝言われたじゃん。陛下は守られる女も守る男もどっちも虫酸が走るほど嫌いだって。せっかくいいこと言ってても、事態を悪化させるんじゃあどうしようもないぜ?


 すっと目を細めて、美しい孤独な人が何かを言おうとしたその時、とてててと何かが走りこんできた。ぽすんと足元に飛びついてきたジュムラー(小)に驚いたのか、王太后はハッと屈み込む。ドレスが汚れるのもいとわずに、彼女はジュムラー(小)を抱き起こした。


「だいじょうぶ? ここ いたいの?」


 そのまま真剣な顔をして、痛いの痛いの飛んでいけと言いながら、ジュムラー(小)はしゃがみ込んだままの王太后の左胸をそっと抑える。


ふのう(おにいちゃん)が いじめたの?! へんたい(おにいちゃん)、おんなのこを いじめちゃ メッだよ」


 悪意のない純粋な子どもの言葉が的確にカイル王子に突き刺さる。ちょっとかっこいいことを言ったつもりだったのに、しゃがみ込んでうなだれている。だからさ、情操教育に悪いって言ったじゃんよ。あたし、知らないからね。あたしの気持ちなんて知るわけもなく、ジュムラー(小)はなおも王太后を心配そうに見上げる。


「まだ いたい? あのね、おまじない、おしえてあげるね。おめめを つぶって」


 そのまま小さな体で、ぎゅっと王太后を抱きしめる。そしてそっと王太后の頬にキスをした。


「これね、だいすきの まほうなんだよ。いたいの、なくなった?」


 王太后がかすかにうなづくと、ジュムラー(小)はにっこりと笑った。


「よかった。ぼく、おおきくなったら まどうしに なりたいんだ。みんなを にこにこさせたいの」


 お姉さん、笑ってる方が素敵だよとジュムラー(小)は王太后に抱きついたまま微笑んだ。


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