66.方向音痴なあたしと紅薔薇と森の待ち人 中編
ハイエルフ様は、あたしのことなどちらりとも見ないまま不思議そうに呟く。
「なぜ紅薔薇は、我のことを嫌うのだろうか」
本当に心底不思議そうに問われて、あたしはため息をついた。あたしは結婚相談所の窓口に就職した覚えはないんだけどなあ。この案件もまた面倒くさそうだけれど、時給換算するといくら位のお仕事になるのかしら。まあ報酬に世界樹の枝とかエリクサーとか伝説級アイテムが出てきても困るし、何だか藪蛇になりそうだからお礼なんて口が裂けても言う気はないけどね。
それでもあたしは、律儀に彼の疑問を受け止めることにした。この世界が何を望んでいるのか、予言の魔女がどうしてあたしにあまり情報を与えぬまま放り出したのか、何となくあたしにはわかってきたから。
物忘れの姫君の救出に、聖女メープルちゃんの救済。ジュムラー(大)の記憶の取り戻しに、赤毛の騎士のお弁当配達という名の心残りの浄化。今もまだ数件面倒なのが転がっているけれど、それも何かしら進むべき道があるのだと思う。おそらく、あちらこちらでこんがらがった縁というものを、あたしはほどき整え、正しい方向に導く役目を負っているのだ。
それが今だけなのか、一生続く仕事なのかはわからない。社会人をやっている時はもつれたネックレスのチェーンとかを解く作業とか、大嫌いだったんだけどね。アクセサリーの絡みは片栗粉なんかをまぶしてゆっくりとほぐせばするりと元どおりになるのだけれど、さすがに目に見えない縁というものに片栗粉はまぶせない。
あたしの疑問はハイエルフ様の長い耳にもきちんと届いていたみたいで、彼は即座に答えを返してくれた。
「『おかえり、紅薔薇』、幼い仮初めの少女の姿でこの世界に帰還した時、そうただ一言声をかけただけだ。そのまま紅薔薇の姿にその身を変えた彼女は、それっきり我を無視した」
その答えを聞いて、少しだけシンシアさんは眉をひそめたけれど何も言わない。妖精女王として、一族の長という立場にある彼女は、ハイエルフ様と同じ世界の理を理解している。けれどそれと同時に、一人の女性として姫君に仕え人間の気持ちを学んできた彼女は、予言の魔女の葛藤を感じ取っているのだと思う。
「ここにある『紅薔薇の雫』は紅薔薇の力、魂そのもの。光となって消えた紅薔薇の魂は、とても不完全な形をしている。その歪さ故にこの世界の環から外れ、気の遠くなるほど長い時間をかけてまた我のもとに帰ってきたのだ。歓迎すべきことであったはず。それなのに、なぜ『其方など知らぬ』とただ一言で拒まれたのか」
涙型の宝玉にそっと口づけすると、ほんのりとそれが赤く光ったように見えた。深い深い森の中で、待ち人はようやく紅薔薇に再会した。けれど紅薔薇は過去の想い人の手を取らなかったというのだ。この世界に帰ってきた紅薔薇を歓迎したソンサーリュウ様。何も疑問に持たないソンサーリュウ様は、やっぱりヒトという生き物から遠い存在だ。おそらくは、この世界のあるべき形や理を知る者からすれば、ごく当たり前の感覚なのだろう。
けれど、ああこの人は、何て残酷なことをしたんだろう。あたしは予言の魔女の気持ちが少しだけわかる気がするのだ。
あたしは想像する。高いビルの窓から地面に落とした硝子玉を。硝子玉は硬いアスファルトに叩きつけられて、大きく欠ける。そのままころころと川へ落ちてしまうのだ。小さなそれは、なす術もなく流されてゆく。手元にあるのは欠けた硝子玉の破片だ。いつかまた硝子玉を見つけたら、その時は元の形に戻そうと大事にしまいこむ。
数年後、河原で遊んでいると懐かしい色をした硝子玉を見つける。あの時落とした硝子玉だ。喜び勇んで、家に持って帰ってみる。後生大事にしまっておいた欠片を合わせようとして、あたしは気付くのだ。もはやその二つは元の形には戻らぬことに。川の流れで形を変えた硝子玉と、手元にあった硝子玉。それは同じものであったにもかかわらず、もはや決して同じものではないのだ。
あるいは、高炉でどろどろにその二つを溶かして再度型にはめ直したなら、一つの硝子玉にはなるのかもしれない。けれどそれはあたしが最初に大切にしていた硝子玉と全く同一のものだと、果たして言えるのだろうか。
この世界に帰ってきたと彼は言うけれど、落ちてきた当人にしてみればそれは帰還ではなく墜落だったはず。まだ幼い子どもから、この世界に相応しいとされる肉体に変化していく様はどれだけ恐ろしかったことだろう。両親の面影をかけらさえも残さずに身体が成長したのだとしたら、それは子どもにとって自身の死さえも意味したのではないのかしら。
あたしは、元の世界で息苦しく必死にもがいて生きてきた。ここではないどこか遠い世界を夢見たことは、一度や二度ではない。思春期特有の葛藤を超え、それでもどうにも生き辛かった。この世界に連れて来られた時や、姿形が変わったのを受け入れられたのは、もっと違う生き方をしたいとどこかしらで望んでいたからだ。
けれど、そうではなかったら。か弱い少女として、この世界にただ一人落ちてきて。自分を見つけた人は、知らぬ名で自分を呼ぶ。いつの間にか自身の姿も変わり、ヒトではない男は遠い昔の恋物語を語って聞かせる。そこにあるのは運命に出会った喜びではなく、恐怖ではないだろうか。
君と僕は前世から求め合っていたんだ。それはこの現世で好き合っていたなら言える甘い言葉。片方だけが求める縁は、蜘蛛の糸のようにまとわりつき、きっと体を毒のように蝕んでゆく。
何も知らずに小首を傾げるハイエルフ。正しい理に戻ったのだと、そう決めたのは彼。少しずつ掛け違えたボタンは、どうにもちぐはぐですぐにはもとに戻らない。
作品内に出てくる童話は、『紅薔薇と森の待ち人』(Nコード N5858DR)というタイトルでシリーズ内においてあります。よろしければ、そちらもご高覧ください。