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57.閑話 赤毛の騎士と兄思いの妹とハムサンドイッチ

 ねえ、お兄さまったら。ほうら、こっちをご覧になって。


 もう、いつになったら気づいてくれるのかしら? ほら、金髪のわたしが着ると、青地に白のエプロンドレスがよく似合うでしょう? お兄さまみたいな髪の色が良かったと言ったら、お日さまを溶かしたみたいなお前の髪色が大好きだとほめてくれたの、もう忘れちゃったかな。気づいて欲しくて、くるくる、くるくる、妖精みたいにほら踊ってみるの。


「未だにあれの姿が見える気がするなんて、未熟者だな。オレはやはり鍛錬が足りない」


 そう言って書類を放り出して、筋トレに勤しむのは止めてくださいな。こんなに近くにいるのに、気のせい扱いするなんて、やっぱりお兄さまらしいわ。そういうのなんていうかご存知? 神経が図太いって言うのよ。あら出て行っちゃった。まあ森の近くのいつもの場所に行ったのなら好都合だわ。今日こそお弁当を渡せるかしら。


 いつまでたっても、お兄さまの中のわたしは、こんなに幼いままなのね。わたしが子どもっぽいままなのも、お兄さまの記憶に引っ張られているせいね。確かにお兄さまはわたしが小さいうちにおうちを出て行ってしまったけれど、わたし差し入れを持ってしょっちゅう遊びに行っていたでしょう? どうして、この姿で記憶を固定化しちゃうの。お兄さま、もしかして幼女趣味(ロリコン)なの……? わたし、とっても心配です。 浮いた噂も聞かないけれど、ちゃんとお嫁さんもらえるのかな。


 あ、森の主様。離宮に戻られるの? 長い御髪も素敵だけれど、動きやすいように整えたそのお姿も絵姿みたいに素敵ね。一緒に行くかいですって? ふふふ、やめておくわ。嬉しいけれど、もうわたし人妻だもの。もうすぐあのひとが迎えに来るから、それまでここにいるわ。たくさんおしゃべりできて楽しかったわ。あら、珍しく寂しそうなお顔をなさるのね。みんな行ってしまう……ですって? 大丈夫、きっと薔薇園の魔女様がお待ちよ。今度は怒らせないように気をつけてね。


 お兄さま、いい加減わたしの髪留めを持ち歩くのおよしになったらいかが? この石の下のお友達みたいに、どこかに埋めてくれても構わないのよ。いくら先祖代々の墓に入れなかったからと言って、恨んだりしていないわ。わたしはそんなとこにはいないもの。あなたのすぐそばにいる。だからお願い、前を向いて笑っていて。


 お兄さまのその両手が何を守ってきたのか、今のわたしにはよくわかるの。この国のあり方を変えるために、陛下とたくさんお話をしているのも知っているのよ。お兄さまの赤毛を、返り血の緋色だなんて言う人もいるけれど、そんなことないわ。お兄さまの赤毛は、明日を夢見て眠る前の夕焼け色。希望に満ちて目覚める朝焼けの色。お兄さまは、この国にふさわしい尊い騎士様。


 あら、傭兵さん、お久しぶり。ちょっと気安く触らないでくださる? えっ、幼女趣味(ロリコン)の気はないって、違います! わたしは人妻なんです! ところであなたって前から思っていたけれど、この夏の季節が本当によくお似合いね。南の出身だから? へええ、南の人たちって、みんなあなたみたいなチョコレート色の肌をしているのかしら。え? ぶどうのお世話をするから日に焼ける? じゃあどうして傭兵さんは傭兵になったの? ほら、また笑ってごまかす。男の人ってそういうところがずるいのよね。あらあなたもお兄さまにお渡しできたの? じゃあもう出かけるのね。ええ、わたしもすぐにそちらに向かうと思うわ。あの人と一緒に。


 ちよっと待って。その女の子だあれ? まさか……。必死に弁解するあたりが怪しいわね。大丈夫? このおじさんと一緒で平気? そう、お兄さまにお会いしたことがあるのね。可愛らしいクッキーをどうもありがとう。それから、ごめんなさいね痛かったでしょう? かわいい小さな手で涙をぬぐってくれるなんて、なんてあなたは優しい子なの。お兄さまのこと、嫌いにならないでくれてありがとう。傭兵さん、ちゃんとその子のこと面倒見てあげてね! 落としたりしたら、わたし怒っちゃうんだから。


「あれは、サンドイッチを作るのがいっとう上手かった。あれだけ上手く作れたのは、きっと無類のサンドイッチ好きだったのだろう」


 ちょっとお兄さま、聞き捨てならないわね。無類のサンドイッチ好きって何よ。思い出のサンドイッチを最初に作ってくれたのは、お兄さまの方でしょ。サンドイッチ好きなのはお兄さまの方でしょ。


 お父さまは騎士団に入隊されたお兄さまにかかりきり、お母さまと生まれたばかりの弟は産後の肥立ちが悪くて離れにこもりきり。使用人のみんなも忙しくて、わたしはおざなりにされて……。真ん中っ子のわたしなんて、いらない子なんだ!って泣いて騒いだわたしを連れて、黙って厨房に連れて行ってくださったでしょう。


 ごつごつした大きな手で、器用にナイフでパンを切るのを見て驚いたわたしに、野営があるから男でも料理くらいするもんだって、ぼそりと呟いてたの覚えてらっしゃらないの?


 高貴な生まれは厨房なんかに入らないって思っていたから本当にびっくりしたのよ。だってわたしの知っているお母さまは、ずっとベッドにいる方だったから。料理は使用人がするものだと思っていたのよ。お手製のカップケーキを食べたことなんて覚えてないもの。お兄さまはどうかしら? 欠片も覚えてらっしゃらない気がして不安だわ。そう、あの後からよ、わたしが厨房に出入りして料理を習い始めたのは。いいのよ、わたしお兄さまがそういう方だって昔から知ってるもの。でも、やっぱりわたしのこともお母さまのことも覚えておいて欲しいじゃない。大好きなお兄さまだもの。


 シンプルなハムサンドイッチを作って、そのまま馬で遠乗りしたのよね。

 野原で食べたお弁当、美味しかったな。お兄さまの愛馬があんまり早くって、ちょっと泣きそうになったのはここだけの話よ。


「ハムサンドイッチにハムがなかったら、単なるパンだろう。ハムが主役だ」


 サンドイッチを食べながら、そんなこと言ってたのは、わたしのこと慰めてくださったのよね。でも今考えると、パンがなかったら、やっぱりサンドイッチじゃなくて単なるハムなんじゃないかしらん。そういう意味では、パンが主役のような気もしますけれど、どうでもいいことかしら。あの時のお兄さまの気遣いが嬉しかったことにかわりはないもの。


 だからお願いです、気づいてくださいな。


 ほら、もうわたし、1人じゃありません。

 お兄さまの記憶にあるのは、小さな小さなわたしの姿。

 傾国の美女ごっこなんかしてる聖女様を諌められなかったのは、わたしと聖女様がだぶって見えるからかしら。でもお兄さま、わたしがお母さまのドレスを引きずりながらお姫さまごっこをしていたのは、もうずいぶん前の話です。いい加減に忘れてください。


 お転婆で泥だらけになって遊んでいたわたしも、大人になりました。

 好きな人ができて、お料理の腕も上がって、お嫁に行くくらいには大人になってしまいました。


 ねえお兄さま、思い出して。

 小さなエプロンドレスが似合うやんちゃな女の子は、真っ白な花嫁衣装を仕立てるような歳まで大きくなったのよ。ほうら、みて。わたしこんなに大きくなったの。ヴェールに包まれて、我ながら美人でしょう?


 あら、あなたおかえりなさい。

 ちゃんとお弁当を届けてくれてありがとう。わたしはここを離れられないから、あなたにおつかいを頼んで正解だったわ。頼む相手を見極めないと、思いが伝わらないのも難儀よね。森の主様にも、さすがに荷が重いと断られてしまったし……。さすが情報戦が得意なあなたね!


 えっ? 情報戦が得意でも死んでしまったら意味がない?

 そうね敵陣に侵入したりしていると、そういうこともあるかもしれないわね。


 君はあっさりしているなんて、呆れないでよ。だってもう、終わってしまったことだもの。

お兄さまに着いて前線に行ったあげく、あっさり戦死してしまったあなたと、あなたの帰りを待っている間に、流行病で先に死んでしまったわたし。お似合いじゃない。それにね、ふふふ、あなたが違う女の人をお嫁さんにもらってたら、わたし化けて出たかもしれないんだから。なんてね、嘘よ、うそ。生きている人に文句を言おうなんて思わないわ。ただ、わたしのことを覚えている人たちが、幸せでいてくれたら他に何もいらないの。


 あらやだ、そんなに落ち込んじゃ嫌よ。そうね、おじいさんとおばあさんになるまで一緒に過ごす予定だったけれど、それはこの先も変わらないでしょ。あの扉の先にあるものを知ってるから、わたしは何も心配なんてしていないの。


 もう大丈夫。

 ずっとお兄さまが心配で、お弁当を届けてから行こうって思っていたの。まさかこんなに大きなお弁当になるなんて思ってもみなかったけれど。どれだけ愛されていたのか、これで少しは気づいてくれるかしら?大丈夫、これで、もう心残りはないわ。さあ手をつないで。これからはずっといっしょ。みんなでお兄さまに最後の挨拶をしてから、出かけましょう。


 ふふふ、そうよ、扉の門番さんだって、それくらい待ってくれるわ。彼らは私たちよりもずっと気長だから。それに今まで散々待たせたんですもの、あと少し待ってもらってもそうたいして変わらないでしょ。


 ねえお兄さま。

 お弁当はちゃんと食べた? しっかり味わった?

 懐かしい味。幸せの味。その思い出の味は、前を向くためにあるのよ。

 みんなお兄さまのことが大好きなのよ。だから、お兄さまももっと自由に生きて。幸せになってね。


 それじゃあ、お兄さま。

 またね。

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