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55.方向音痴なあたしと朝焼けと夕焼けの騎士 中編

「ここで魔女殿に会ったのも、また何かの巡り合わせなのかもしれんな」


 不意に芝生の上に、赤毛の騎士が座り込む。照りつける太陽は、あたしが感じていた穏やかな初夏の日差しから、ジリジリと肌を焦がすような真夏の日差しに変わっていた。確かに、これは認めざるをえない。季節はあたしが森をさまよっている間に、すでに移ろい変わってしまった。彼の赤毛は強すぎる太陽の光を浴びて、赤銅色に輝いている。それは確かに、燃え上がる夕焼けと同じだった。


「おまえが言っていた故郷のワイン、確かに南の風の匂いがした。うまかったぞ」


 無骨な彼の手が、バスケットを置いた座り心地の良さそうな石を撫でる。それはいつものがさつなマッチョからは想像できないほど、繊細で優しげな手つきだった。まるでそれは、ここにはいないどこか遠くの人に聞かせるような仕草。会いたい人に向かって手をあわせるようなその雰囲気には、馴染みがあった。


「まさか、ここ誰かのお墓なの?!」


 あたしは慌ててバスケットを持ち上げる。いくら知らなかったとはいえ、墓石の上にお弁当を置いたらマズイでしょう! ここまで運んできたはずのバスケットはなぜか思ったよりもずっしりと重たくて、私は前につんのめりそうになった。これが本当にまた光の粒に変わるのか? うろんな眼差しで倒れこむあたしの動きを予想していたのだろう、赤毛の騎士はひょいとあたしの腰を抱きかかえてくれる。マッチョのくせに生意気だ! そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、苦笑交じりに説明してくれた。


「正確に言えば、墓ではない。この国のそれなりの人間は、共同墓地がきちんとした区画が整備されている。先祖代々それなりにこの国に住んでいるものは、みな帰る場所がある。だが、それなりからはみ出たものが眠る場所はこの国にはない。例えば、他国の傭兵やスパイ容疑のかかった人間、伝染病で死んだ病人なんかはかなりぞんざいな扱いを受ける。だからこっそり、遺品をこの石の周りに埋めている」


 一応陛下の許可は取ってあるぞとマッチョは言っていたけれど、やはりここは「墓っぽいところ」というのは確定らしい。じゃあやっぱりお弁当を片付けなくちゃいけないじゃないか。あたふたとするあたしを尻目に、またサンドイッチをもぐもぐと頬張る赤毛の騎士。ちょっと、墓石にもたれかからないでくれます?! ここって、そんなにくつろぐ場面でしたっけ?


「いやいや、ダメでしょう! 遺品っていうから、遺骨はないんでしょうけど、墓石代わりの石をこんな風に扱っちゃ。不謹慎だし、亡くなった人に失礼じゃないの」


 この暑い中、首元までしっかりと騎士団の制服を着込んだ男は、心底おかしそうに声をあげて笑った。あげく、バシバシと墓石をその大きな手で叩いている。まるで気安い友人の背中でも叩くかのように。その姿は旧友に再会したかのように、どこか嬉しそうだった。


「だから、いいのではないか。事情を知らぬものがここに来れば、腰を下ろして一休みするだろう。その時に、ちょっとしたおしゃべりでもするかもしれない。オレの部下たちはみな色々な場所から集まっていた。この国は広いからな。貴族と言っても様々だ。家族がいないものや、すでに故郷がないものも、家が落ちぶれて食うに困ったものもいた。けれどみな総じて、まだ見ぬ場所の平和な日常の話が好きだった。旅に憧れるものも多くいた。だから、人の話を聞けるのはきっと嬉しいだろうよ」


 この世界の死生観がまだわからないのだけれど、どうやら死んだら即成仏というわけではないらしい。あたしはこの世界と繋がっている割に、ここら辺の感覚が世界と共有できていない。力の源のそばにいるけど、使い方もルールも不明だから、何がおかしくて何が普通なのか未だにさっぱりだ。


 けれど、今の段階で言えるのは、預かったお弁当はどうやらすでに儚くなってしまった方々の心残りの品だったらしいということ。赤毛の騎士宛の品物が、全て食べ物だったことに少し笑ってしまったけれど、それも当たり前のことだったのかもしれない。こんな風に嬉しそうに笑って何かを食べてくれる騎士団長のそばにいたら、きっと自分の故郷の自慢の品や、腕によりをかけた品を振舞ってあげたくなったのだろう。


「妹は昔から、サンドイッチを作るのが上手かった。義弟は胃袋を掴まれたのだとよく話していたものだ。母上は、未だにオレを小さな子どもだとお思いのようだ。大の大人がカップケーキなど……」


 ぶつぶつと呟き、肩を震わせながらバスケットの中身をがっつく男。それは少し奇妙ではあったけれど、あたしは見ないふりをした。だから、騎士団長のまなじりに光るものがあったように見えたのも、お弁当が食べる端からきらきらと光の粒になって空へ消えていったのも、あたしの耳元で「ありがとう」と誰かがささやいたように聞こえたのも、きっと気のせいだったのだと思う。これはみんな、森の中で疲れたあたしが見た幻なのだ。


 この夏の日差しの中、あたしの故郷でもお盆の迎え火が灯されているのだろうか。世界を渡ったあたしの存在は、あちらの世界であっさりと消えてしまった。未練のない世界だったし、この世界に受け入れられたことが嬉しくて今まで何も考えてこなかった。けれど、あちらの世界では誰もあたしの存在を悼む人はいないのだと痛感して、あたしはこの世界に来て初めて寂しいと思ってしまった。

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