53.方向音痴なあたしと訓練好きな騎士 後編
颯爽と歩き出したのも束の間、あたしは苦境に陥っていた。痺れてしまった両腕、前に出すのも億劫な両足。座り込んでしまいたいけれど、そうするともう立ち上がれない気がする。
重い、重たすぎるのよこのバスケット! 赤毛マッチョにお弁当を渡した暁には、ガッツリ文句をつけちゃるわ。
最初は軽く考えていたお弁当のおつかいだったんだけど、歩みを進めれば進めるほどこのバスケットの重みが腕に食い込んでくる。マッチョめ、一体どれだけの食料を一回で食べきるつもりなんだ! よく見るとサンドイッチの横には、ちゃぷちゃぷと揺れる赤ワインや、つやつやと美味しそうに輝くさくらんぼの姿も見える。昼間から赤ワインとは良いご身分ですねえ、あんにゃろめ。ちなみにあたしは、白ワイン派です。産地は山梨産が一番好きです。
不意にスーパーで買いすぎた荷物を握りしめ、駅前からの上り坂をよたよたと歩いていたことを思い出す。そういえば、あのとき買っていたのって、部署の人に頼まれていた残業用のお菓子とかだったっけ。あれもほいほい引き受けて後悔したのに、またこんな仕事を無償で引き受けちゃうなんて、あたしったらつくづくおバカさんだわ……。
それにしても、重いなあこのお弁当。ええ、何回でも言いますよ。もしかしたらこのお弁当は、お弁当じゃなくて赤子なのかも。ほら、道行く人に赤子を抱いてくれって頼む姑獲鳥だか産女だかの怪談話があるじゃない? 一歩足を踏み出すごとに石のように重くなる赤子を、最後まで抱いていられたら、祝福として怪力を授かるんだよね。
だっておかしいもん。このお弁当はその赤子なんじゃないのって疑いたくなるくらい重いのよ。お弁当を届けたら、ご褒美にとんでもない怪力を授かるとかだったら発狂するしかないわ。女子に怪力とか授けるとか呪いだからね! いらないからね、そんな祝福!
「幼き魔女殿」
息も絶え絶え、よたよた歩くあたしに声をかけたのは、お久しぶりな感じの庭師のエルフさんだった。どうもです。離宮でお会いして以来ご無沙汰しております。いや、庭師っていうと語弊があるね。仮初めの庭師モードを打ち払った、ハイエルフモードだ。庭師のときでも神々しかったのに、これはすごい。対するあたしがボロクズモードなのが申し訳ないくらいだわ。
これこそまさにファンタジーな、腰どころか膝近くまで伸びた輝く金糸のような髪。何だかすごい力が使えそうな錫杖。地面に着きそうほどに長い、法衣。これ、デザインが何だかシュワイヤーが着ている司祭服に似ている気がする……。何だろう、刺繍に何か意味でもあるのかな。何だか存在するだけで、この場が清められているような気がする。
「お久しぶりです。この間お会いしたときと雰囲気が違うので、びっくりしました。こちらが本来のお姿なのですか」
庭師の格好でもその美しさは隠せなかったけど、今はまさにこの深き森の主といった印象。特に髪が腰より長いのに許せるほど美しいなんて、二次元の美形だけだと思っていました。そんなことは言わないでおいたけれど、やはり視線で気づいたらしい。さらさらと髪をかきあげながら、苦笑された。
「ハイエルフといえど、この森にいると自然とこうなってしまうのだ。それにしてもこんなところで出会うとは……。確かにそなたの幻獣が心配して気が立っていたのには気づいていたが……」
あちゃあ、やっぱりシュワイヤーが心配してますよね。周囲の人に気が立っているって言われるくらいだから、相当なもんなんだろう。一時間やそこら離れたくらいで大げさねえ。でも心配しすぎて、怒ってそうだから、こんなこと絶対に本人には言えないけどね。
先にシュワイヤーに会うとこのお弁当投げ捨てられそうだし、もし捨てられなくてもあたしへのお説教がすごいことになってランチタイムを完全に過ぎそうだから、とりあえず騎士団長に会うことを優先しよう。決して、怒りの銀猫対策に赤毛マッチョを差し出そうなんて思ってませんよ。ホントウデスヨー。
「ちょっと前に、ここで頼まれごとをされちゃって」
「そのようだな。森がざわめいている。さもなければ、このような場所でそなたに出会うこともなかったであろう」
あれ、もしかしてあたしがこの森でおつかいを頼まれたこと知ってるのかな? え、知ってたなら多少なりとも知り合いだし、もう少し早めに声をかけない? あたしの疑問はこれまた顔に出ていたらしい。気まずそうに、すまぬとぼそりとつぶやかれた。
「すごい形相で歩いていたゆえ、声をかけそびれたのだ」
「知ってたなら手伝ってください! 見てください、この山盛りの荷物。いくら魔女とはいえ、か弱き女性に運ばせる荷物じゃないでしょう!」
ちょっと恥ずかしいじゃないの。さっき結構よいしょとかどっこいしょとか言ってたよ! 明らかにオバちゃんなフレーズ連発だったよ! あたしは恥ずかしさもあって、余計に声高にハイエルフさんに詰め寄り、高々とバスケットを掲げた。
このお弁当、絶対におかしい。今まで冗談みたいに重くなってる気がするなんて言ってたけど、明らかにバスケットの品数が増えてるのよ! さっきまでこんなオリーブ漬けやチーズの塊なんてなかったわよ。ほら言ってるそばから焼きたてマフィンが現れたし! 魔法だか何だか知らないけど、遠隔操作で品数増やすなら、自分で何とかして騎士団長に届けろっていう話よね。
ぷんすかと怒るあたしを、困ったような表情でハイエルフ様は見下ろした。その影を帯びたまなじりは、とても優しいものだ。いい含めるようにあたしに語りかけてくる。
「すまぬ。恐らく、みなそなたになら預けられると思っているのだろう。申し訳ないが、何とかそのまま運んではもらえぬか」
「じゃあ、半分でいいので手伝ってくださいよ」
食いさがるあたしを、ハイエルフ様は想像していたよりもきっぱりとした声で一蹴した。
「ならぬ。ああ、気を悪くしないで欲しい。我は手伝えぬ。言葉足らずなのは承知の上だが、最後までそなた自身の手で届けて欲しいのだ」
デスヨネー。ハイエルフ様が、騎士団長に弁当のおつかいをするわけないですよねー。あたしはしょんぼり肩をすくめ、別れを告げるとすごすごと歩き出した。後ろの方から、騎士団長の義弟同様に、心配そうな声が聞こえた。
「我がいうのもおかしな話だが、気をつけてとく参られよ。あまりここで時間が経ちすぎるのは良くないのだ」
時間が経ちすぎると、シュワイヤーのお怒りが倍率ドンです。あたしは恐ろしい未来に気づいた。ヤバイヤバイ、これ早く届けなくっちゃ。絶対にマズイ。
赤毛の騎士、赤毛の騎士。あたしはお届け先の彼のことを考える。
出会いは、あの日お風呂場で。いきなり素っ裸のマッチョに出会ったんだっけ。服を着ないまま延々と話し続けるアホだったけど、見ず知らずのあたしに洋服を用意してくれたりするところをみると相当な世話焼きよね。
会うたびに聖女様、聖女様なんてうるさかったけれど、別に熱心な信者というわけでもなさそうなところが不思議なところ。教会に通うのも聖女が目的だったみたいだけど、別にロリコンっていうわけでもなかったのよね。ベタベタまとわりつかれると、困ったような顔をしていたのをあたしは覚えている。
聖女ことメープルちゃんからは、「緋色のレン」なんて二つ名を教えてもらったけれど、実際にその名を口にする人になんて会ったことはない。女子どもを切り殺す、返り血で染まった非道な男なんて、どうしても想像できない。
エイプリルフールの件をみても冗談は通じないらしい堅物だから、彼の行動にはきっときちんとした理由があるんだと思う。普段は脳筋としか思えないただの訓練好きだけれど、騎士道についての確固たる持論を持つ騎士団長という一面を知ってから、あたしは彼のことを見直した。騎士の上っ面のかっこよさばかり見ていた自分が恥ずかしくなったんだっけ。
それにしても、マッチョに妹と義弟がいたことにはびっくりしたな。何だか男臭い家しか想像できなかったから、四人兄弟の次男とかかと思ってたよ。妹にはデロ甘なんだろうなあ。なんといっても、妹から二つ名もどきをいただくくらいだもんね。あたしにとっては単なる赤毛、頑張ってかっこよく言ったところで赤銅色の髪。それを彼の妹は、愛おしそうにこう呼ぶのだ。
「朝焼け色の騎士に、夕焼け色の騎士か……」
「なぜここにいる?!」
そう呟いたあたしの目の前には、まさに届け先の赤毛の騎士がいたのだった。