5.方向音痴なあたしと赤毛の騎士 後編
とりあえず、マッチョはパンツを履け!
無駄にポーズをとるな!
人の話を聞け!
さもなければ、とっとと風呂場の外に出て行け!
怒鳴りつけたくなるのを必死に抑え込みながら、あたしは顔を上げてにっこりと笑った。
相手が筋肉バカなら、興味を引くためにそこを攻めるしかあるまい。
局部からは極力目をそらす方向で行こう。
「確かに美しい筋肉ですね。きっと厳しい訓練を毎日なさっているのでしょう」
あたしの言葉に、満足げなマッチョ。
だが上げてから落とすのは、営業の必須テクニックだ。
もちろん言うまでもなく、ここまで筋肉について語るあたしには筋肉はない。
あたしが空手教室に通っていたことはご承知の通りだが、その理由は、とあるハリウッド女優のようにカッコいい女になることが目的だった。
六パックに割れた腹筋、キュッと上に上がったおしりに、細く引き締まった手足。そんな自分が理想だったから、馴染みの無い世界にいきなり飛び込んでの練習も頑張れた。
でもね、ここが問題で、運動神経のないあたしは、体を守るための最低限の筋肉もなかった。空手教室に通い始めてからすぐの組手で、右太ももの靭帯断裂しました。ありえん。その後も怪我の連続で、何のために空手教室に通ってるんだと両親はカンカンに怒ってたっけ。
「けれど、食事の面にはどれだけ気を使っていらっしゃいますか? 味付けの濃い肉ばかり、召し上がってはいらっしゃいませんか?」
マッチョは、不思議そうに首をかしげる。
「筋肉のために肉を食べるのは、その、当たり前ではないのか?」
そうでしょうとも、そうでしょうとも!
男性はすぐ筋肉イコール肉だと思い込むんだよね。
空手教室の男性たちも、ササミとプロテインで体を作っているようなものだった。
でもね、タンパク質の過剰摂取は内臓に負担をかける。
「適度な肉類の摂取はもちろん美しい筋肉に必要なものです。けれど早食いをしたり、魚や野菜を一切食べなかったり、お酒をがぶ飲みしてはもともこうもありません」
そう言うと、マッチョは決まり悪そうな顔をしながらも、身を乗り出してくる。
あちらの世界では当たり前の事実、例えば、早食いは肥満のもとや、野菜の食物繊維やビタミンが体のバランスを整えること、ビールに含まれるプリン体は痛風のリスクをあげることなどが、やはりここでは知られていないことだったようなので、難しい言葉を噛み砕いて説明する。
あたしが色々と詳しいのは、空手教室に通っていただけでなく、あたしの分と一緒に体が資本の父の食事管理もしていたからだ。
マッチョも疑問に思ったのだろう。あたしは自然と悲しそうに下がってしまった口元に力を入れ、無理矢理笑顔を作った。
「尊敬していた父も、騎士様のように民を守る仕事をしておりましたので。食事はとても大切なものでしたから」
それだけ言うと、あたしは口を閉じる。
「尊敬していたというと……、お父上は今は?」
今までマシンガントークだったあたしが静かになったのだ。マッチョは不審に思ったらしい。
そう聞かれたあたしは、ちょっと寂しくなりまた下をむいてしまった。
いい歳をした大人が情けない。
「父は……。昨年……」
そこまで呟いて言いよどんでいると、赤毛のマッチョはあたしの肩に手を置きそっとかぶりをふった。
「もしやお父上は……。すまん、辛いことを聞いたな」
「いいえ、そんな……」
何やら誤解されてるけど、別にうちの父親は死んだりしてませんよ。
昨年、無事にとある職を定年退職しました。長い間、お疲れさまでした。
ここまでは良かったんだけどね。
ガチガチに堅い職を終えた途端に、長年の反動が来ちゃったのか、はっちゃけた。
いきなり髪を肩までの長髪にした。しかも茶髪だ。さらにどうやら父はくせ毛らしく、髪はパーマをかけたかのようにくるくるとしていた。
実家に帰省した時に見た父は、本当に似合っていなかった。居間に母と知らないおばさんがいると思ったら、まさかの父だからね! 似合わない髪型があんなに破壊力あるなんて、三十年近く生きてきて初めて知ったわ。
車が十年超えの軽自動車からツーシートのイケイケなものに変わったことや、変なファッションにこだわりだして鏡の前でポーズ決めるようになったことにも泣けたけど、やっぱりあの髪型が一番嫌! 昔のお堅い父よ、カムバック!
あたしが泣いているように見えたのかもしれない。
赤毛のマッチョは、マッチョポーズを決めながら慌てて素敵な提案をしてくれた。
「しばらくこの風呂場でゆっくり過ごしてはどうだ。オレは外で他の男どもが入らんように見張っておいてやる。男湯に子どもをぶち込んだあいつのことだ、着替えなどももっていないのだろう? 部下に取りに行かせるから、安心するといい」
小さな子どもにするかのように、あたしの頭を乱暴に撫でると、赤毛のマッチョは引き締まったお尻をぷりぷり見せながら風呂場から出て行った。
あたしは思わず、ため息をつく。
やっと出て行ったか!
そしてようやくお風呂と、おまけに着替えもゲット! よっしゃ!
あたしは先ほど話題になった父のことを忘れるべく、とりあえず体を綺麗にすることにした。
まずは汚れたスーツを脱ぎ、水ですすぐことにする。
これ水で洗えるスーツじゃないんだけど、背に腹は変えられない。
せめて中性洗剤が欲しいと思ったけれど、シャンプーも見当たらないくらいなので、諦めて目の前の固形石鹸を使う。
頭から体まで固形石鹸で洗うとか、初めての経験だよ。髪がキシキシして、辛い……。
物音が聞こえたので、そっと風呂場の扉を開けると、扉のすぐ脇に白いバスタオルと紺色のメイド服のようなものが置いてあった。
ご丁寧にかぼちゃパンツも。なんで? これもこの世界の人の標準装備?
いろいろと言いたいことはあるが、ここはありがたく受け取っておくことにしよう。
うん? 何だ?
かぼちゃパンツを眺めていたら、マッチョの声が聞こえてきた。無駄に大声だからね、マッチョ。
ちょっと揉めているのか、何やら騒がしい。
「まあそう慌てるな。風呂くらいゆっくり入らせてやってもいいだろう」
「だが、聖女様がお待ちだ!」
「何だ、聖女様のメイドだったのか? じゃあ後からオレが送っていくぞ」
「貴様、そう言って聖女様にお目にかかる魂胆だろう。誰がさせるか!」
そういやあたし、誘拐されてたんでしたっけ。
何か面倒な言い争いしてるなあ。いや、マッチョは鈍感だから、単なる親切心かもだけど。
服をもったまま、風呂場に後ずさりする。
風呂場の一角に、換気用なのか窓がついている。開けてみると、おあつらえ向きにここは一階のようだった。
よし、逃げよう。
問題の先送りにしかならないが、もうしばらく一人でいたい。怒涛の展開なのと、登場人物が濃すぎてお腹いっぱいだ。
せっかく洗ったスーツは邪魔にしかならないし、置きっぱなしでいいや。
あたしは急いで服を身につけると、風呂場の窓から外に飛び出した。