40.閑話 方向音痴なあたしと4月の魚たち
コンコンコンとドアがノックされる。みんな知ってる? よく日本でやる、コンコンって2回扉を叩くやり方。あれね、海外だとトイレノックって言われるんだよね。だから化粧室以外ではやると恥ずかしい。この感覚、異世界のこちらでも同じなのだそうだ。え、あたしですか? もちろん言われるまでガンガントイレノックしてましたけど、それが何か?
「えへへ、来ちゃった」
客人はあたしの返事を待つことなく、扉を開ける。どこのバカップルだよ、と言いたくなるようなセリフで今日もあたしの部屋に押しかけてきたのは、『聖女』ことメープルちゃんである。
パンケーキだからメープルシロップだなんて、安易だなんて言わないでいただきたい。あの状況でひねりの効いた名前をあっさり生み出せるほど、残念ながらあたしに語彙力はない。いいじゃないか、メープルちゃん。メープルシロップは体にもいいんだよ。楓ちゃんとか、日本語にしても可愛いし。
ちなみにメープルちゃんが押しかけるようになって、うちの銀色猫はこのところ機嫌が悪い。今も顔面の凶悪さで人が殺せるなら、三十人くらいいっぺんに死ぬような形相で相手を睨みつけている。そんな顔をできる彼のことも、そんな表情をかけらも気にしない彼女のことも、どちらもあたしは尊敬している。マジ、パネエっす。
メープルちゃんとシュワイヤーがくっつく未来もあったかもなんて思ったけれど、そういう発想をしたあの瞬間のあたしはアホだったと思う。この二人は、根本の性格が似ている。顔を合わせればなんやかんややかましい。
しかもメープルちゃんは、あれ以来あたしの金魚のフンと化しているため、赤毛の騎士と潔癖魔導士にもあたしは恨まれているらしい。『聖女』が男性陣をお払い箱にしたのは、魔女の甘言だとかいう噂だ。それ、おかしくない? ほぼ逆恨みじゃない?
とりあえず目の前の二人は、どちらがあたしと一緒にソファに座るか未だにもめていたので、あたしはこっそり一人掛けの椅子に移動しておいた。二人の低レベルな争いはしばらく続きそうだったので、あたしは先にお茶を頂く。
ああ、紅茶とロシアンクッキーってやっぱりよく合うわ。日本ではあんまり流行らない、よく昔のお中元なんかに入っていたロシアンクッキーが、あたしは大好きなのだ。バターたっぷりのクッキーとたっぷりのジャムがたまらないよね。
「『聖女』、おまえどういうつもりだ!」
今度はノックなしで、扉が開け放たれる。顔に綺麗な紅葉をつけた第二王子がズカズカと部屋に入ってきた。あのさあ、みんな普通に勝手に立ち入るけど、ここ一応あたしの私室扱いだからね。
「北の国の王が、姫君を手篭めにしようとしているなんて大嘘こきやがって。さっきリーファの部屋に飛び込んだら着替え中で、リーファにビンタされるわ、龍には無言で斬りつけられるわで、えらい目にあったじゃないか?!」
「あらあ、そんなこと言ったかしらあ。第二王子ったら、梅毒で脳がとろけて頭までおかしくなっちゃったんじゃないんですかあ」
「おい、どういう意味だ。娼館通いは男のたしなみだ。避妊もきちんとしているし、そもそも最近は忙しくて娼館通いもしてない。確かにこの間から女性陣が俺を見る目が、ばっちいものを見るような目になっていたが……。もしや病気持ちって噂になっているのか?! おい、『聖女』 あれもおまえの仕業なのか! 仮にも王子に対してあんまりじゃないのか」
「やだあ、汚いですう。女の敵。しっしっ、あっちへ行ってくださいい」
「ちょっとカイル王子、この部屋から出て行ってくれます? 同じ部屋の中にいて感染ったらイヤですし」
「同じ男なのに、フォローなし?!」
あっさりとメープルちゃんにしっしと手で追われ、シュワイヤーから塩を撒かれて、カイル王子が部屋の隅にうずくまる。溶けかけたナメクジのように、しくしくしくと湿っぽく落ち込む第二王子のことを、久しぶりにお目見えしたもふもふズがガジガジと噛んでいた。みんなちょっと大きくなったかな。骨とか噛むと、歯の成長や歯磨きに効果的らしいからね。存分に噛みたまえ。
ちなみに、無口な護衛の龍も『聖女』に騙されている。入浴中に、「賊だ!」という声で、服も身に付けず、姫君の部屋まで馳せ参じたそうだ。ちょっと気配を探ればわかりそうなものだけど、メープルちゃんの気配は特殊で、空間内での魔力探知が阻害されてしまうらしい。
それで素っ裸で慌てた龍なんだけれど、彼はビンタではなく姫君愛用のバスローブを手に入れ、感謝もされたそうだ。心配してくれてありがとうと頬を染めて恥じらう姫君は大層可愛いかったらしい。これで得られた教訓はいかに日頃の好感度が大事かということである。
「団長、おやめください。やはりこれはおかしいです!」
「いくら陛下のご命令とはいえ、この格好で城下を見回っては騎士団の威信に関わります」
外を見ると、半泣きの騎士団が離宮近くの森で演習している。全員が紫のビキニだけを履いて。いや、一人半泣きじゃなくて輝くような笑顔の団長がいるな。誰だよ、今日が陛下の命令で一日紫のビキニで過ごすとか馬鹿げたこと言ったヤツ。『聖女』か団長か、それが問題だ。
「殿下、申し上げます!」
「宮廷魔導士のジュムラー殿が、陛下のご命令により清掃地域に指定されたと、第一王子殿下の邸宅を水で押し流したらしく、宮廷魔導士と第一王子殿下の近衛の間で乱闘が起きております! 至急お戻りください!」
ガタガタと鎧を揺らしながら、ゴツい兵士が部屋の中に飛び込んできた。本当にさ、みんなもうちょっと気を使ってくれない? 部屋の中に泥が落ちて、シンシアさんがめっちゃ渋い顔してるんですけど。
誰だよ、んなアホな嘘をついたやつ。『聖女』かまた『聖女』なのか。傾国の『聖女』は伊達じゃないね。それにしても『聖女』、国王と犬猿の仲なんじゃないの。意外と仲良しかよ。
そのままジメジメとキノコを生やした第二王子の首根っこをつかんでズルズル引きずって行った。ほんじゃあバイバイ。誰も潔癖魔導士と第一王子のくだらない喧嘩に巻き込まれたくないので、生贄に第二王子を捧げることに反対する人間はいない。ドナドナされる哀れなカイル王子、君の尊い犠牲は忘れないよ。
紅茶を一口すすり、やっぱり失敗だったかなあなんて、他人事のようにあたしは考える。ちょうど今日が日本で言うところのエイプリルフールだったことを思い出し、ついつい先日の茶会で話のネタにしてしまっていたのだ。嘘をついても許されるというのが、非常に受けたらしく、今日は上を下への大騒ぎである。
こんな乱痴気バカ騒ぎをして、北の国の王の逆鱗に触れないかと心配になるが、戦時中や政情が不安定でなければ、冷酷なかの方も非常に面白いこと好きらしく、問題ないとのことなのである。ううむ、解せぬ。
「癒しが欲しい」
ボソッとつぶやけば、シュワイヤーがにやりと笑った。そのまま猫の姿に戻ると、猫の顔でも十分にわかるドヤ顔で、メープルちゃんを優越感に浸った目でいちべつすると、あたしの膝にごろりと横になった。
とりあえずあたしは肉球をもみもみしながら、腹毛に顔をうずめる。今はひとまずこの日向くさい匂いの中で、ぼんやりしたかった。