38.方向音痴なあたしと1枚目のパンケーキちゃん 中編
自分のことを出来損ないだと自己紹介した少女は、これまた高価そうな腕輪、それはブレスレットなんていうような華奢なものではなく、細工もしっかり彫り込まれ宝玉もついたごついものをお手玉代わりにぽんぽんと放り投げ始める。
口ずさんでいたのは、どうやらこのあたりに昔からある数え歌のようだった。それにしても一個、二個、三個、四個、あっという間に五個いっぺんに回し始めるなんてなんて器用なの。
パンケーキを焼きましょう
小麦粉 たまごに ふくらし粉
砂糖に ミルクに バニラも入れて
パンケーキを焼きましょう
一枚、二枚、三昧焼いたよ
お皿の準備はいいかしら
パンケーキを焼きましょう
四枚、五枚、六枚焼いたよ
バターの用意もよろしくね
パンケーキを焼きましょう
七枚、八枚、九枚焼いたよ
十枚目できたら朝ごはん
パンケーキを食べましょう
こんこんこん こんこんこん
ノックしたのはいったいだあれ
村長、猟師、鍛冶屋に、農夫
司祭に、行商人、パン屋に乞食
あらやだどうしましょう、旅の途中のお客さま
パンケーキをあげましょう
それじゃあ どうぞ
一枚目のパンケーキを召し上がれ
「どうしてお客さんに、一枚目のパンケーキをあげるの? 色むらのある 出来損ないなんでしょう? お客さんにはちゃんとしたものを出した方がいいんじゃないの?」
「それが本当に歓迎すべきお客さんなら、そうしないといけないでしょうね」
思わず歌の内容に突っ込んだあたしに、お手玉のスピードを緩めぬまま呆れたように返事を返してくれる。すごいなあ、おしゃべりしながらでもお手玉できちゃうのね。
あたしも以前に小学校の昔遊び大会とかでトライしたことがあるけれど、まさかの二個が限界だったね。いや、今の体ならなんなくこなせちゃいそうな気もするけれど、あんな高級品を空中に放り投げるのはやめておこう。小市民だから、万一のことを考えると胃が痛いよ。
「そもそも朝ごはんも食べていない時間帯に来るお客さんが、まともなお客さんだと思うの? 平和ボケしたのんきな魔女さん。この歌のお客さんは、招かれざる客のことを指しているに決まってるでしょ」
「え? 朝ごはん前に家に来るのは、班長さんがご老人の時の町内会の集金とか、回覧板とかかな……ってこの世界に町内会なんてないか。まさか朝ごはん前に来るお化けとか? あたしの国の数え歌では、ドアを叩くお化けが出てくるものがあってね。それが出てきたら数え歌は、鬼ごっこに切り替わるんだけど。いつ誰がどのタイミングでそのセリフを言うか、ドキドキしたもんだわ」
「もう、本当に魔女の世界はお気楽なのね。チョーナイカイとかカイランバンがどんなものか知らないけど、そんなものやお化けなんかどうだっていいわよ。本当に怖いのは、早起きの老人やいるかどうかわからないお化けなんかじゃないわ。だいたいお化けが出てくるなら、この国の王様やさっきの赤毛の騎士なんかとっくの昔に集団で取り憑かれて呪い殺されてるわよ」
仕方のない子どもを見るかのように、聖女はあたしを見つめる。
「知ってる? 赤毛の騎士の二つ名は、緋色のレンよ。レンなんて性別どっちだかわからない名前のくせに、緋色だなんて大層な二つ名でしょう? まあ本人も自分の名前が好きではないみたいで、大概騎士団長なんて名乗ってごまかしているらしいけど。そうそう彼の赤毛はね、よく血染めの色なんて言われてるのよ。必要になれば、女子供もためらいなく斬り殺す非道な男の名前よ。よく覚えておいてあげてね」
さらりと怖いことを言って、彼女はぽんぽんと回していた腕輪を片手でキャッチする。ぐちゃぐちゃにして落とすこともなく、右手に三個、左手に二個の腕輪を抱えたのはまさにお見事だ。他にとりたてて遊ぶもののない村に育つと、これくらい誰でもできるものよと、さも当然とばかりに笑われてしまった。
「別の男の名前なんて、覚える必要などありませんよ。貴重な記憶力を無駄な単語の習得に利用しないでくださいね。できればかかわりあいになることもやめていただきたいくらいですが、そういうわけにもいきませんからね。とりあえず今まで通り、赤毛の騎士で十分です。愛しいあなたの口からは、自分の名前だけを紡いで欲しいのです」
話を聞いていたのだろう、シュワイヤーはいきなりあたしの両耳をその美しい手で覆うと、そのままあたしの耳たぶを食みながらまたもや自分勝手なことを言い出した。
あたしとしては、横文字の人の名前を覚えるのは苦手だから、別に赤毛の騎士に宮廷魔導士、第一王子に第二王子で別に構いませんけどねえ。本人目の前にしてそう呼ぶのもどうなのっていうところですよ。
聖女もとい一枚目のパンケーキちゃんは、いつにも増してきらきらとあたしを見つめるシュワイヤーのことを面倒くさそうにちらりと見ると、そのまま話を続けた。うちの猫が毎度毎度、場の雰囲気を台無しにして申し訳ございません。
「ああ、歌の話に戻すわね。招かれざる客っていうのは、人間で言うなら野盗に借金取り。自分たちではどうにもできないものなら、疫病に飢饉、日照りに水害といったところかしら。そういうときはね、一枚目のパンケーキ、つまりいなくなっても痛手の少ない出来損ないの長子を差し出せと言っているのよ」
さも当然のようにさらりと言ってのける。
「野盗や金貸のように、手ぶらでは帰ってもらえない相手なら無理して戦って一家全滅なんてせずに、年頃の生贄を一人差し出して、お客さん自ら気持ちよく帰ってもらえとそう教えているのね。相手が災害なら、口減しや人柱に出来損ないを差し出せというのよ」
本当は怖い◯◯シリーズかよ! 歌詞そのものが怖いマザーグースの歌よりも、一見単なる数え歌のこちらの方が怖いのはどうしてなんだろう。年端もいかない子どもたちが無邪気に歌うアンバランスさか、それとも小さい頃から当たり前の感覚を植えつけられるその周到さか。
「豊かな都市部の人にはぴんと来ないと思うわ。下世話な話くらいなら聞いたことはあるかもしれないけれど、実情なんて想像もつかないはず。魔女にだってきっとわからないでしょう」
責めるわけでもなく、淡々と聖女は言う。
「警吏のいない寂れた村に野盗が来たらどうなるか。飢饉がどれだけ恐ろしいか。飢えた家族のために、食べ物と自分が引き換えられるのがどれだけ悲しいか。疫病の原因を祟りと決めつけて、生贄を捧げる村が未だにどれだけあるか。どれもね、警吏も医者もいない貧しい寒村なら、みんなが共有している当たり前の感覚なのよ」
それはきっと彼女にとって身近な世界。あたしにはわからないこの国の歪さ。病院も薬もない時代、日本だって災害や飢饉のときには人柱を立ててきた。
「子どもの頃から肌に馴染んだ昔からの風習に胃を唱えることなど考えられなかった。自分の娘のことを、一枚目のパンケーキちゃんと呼んだ母親は、どんな気持ちだったのかしらね」
そんな重たい唄をわざわざあたしに歌って聞かせたのには、やはり訳があるらしい。この世界の常識を知らないあたしのために名前の解説をしてくれた少女は、不意にあたしに聞いてきた。
「ねえ、年はいくつ?」
あなたの名前はなんですかに続く、定例文だね。一応答えるとにっこりと笑った。
「あら、同い年だったのね」
そんなわけはないでしょう?! どう贔屓目に見ても、小学生がいいところなのに、あたしと同じ年だなんてありえない。隣であたしを飾り立てるのに夢中なシュワイヤーを見上げてみれば、彼女の言うことに間違いはありませんよとあっさりと言い放った。そういえば、あんたっていくつなの? すんごい年寄りとかすんごいショタとかだと、地味にダメージが……。
「それじゃあ、永遠の美少女の聖女伝説のはじまりはじまり」
戸惑うあたしのことなどそのままに、よく通るソプラノで、なめらかに声をあげる。あたしはようやく気づく。別にあたしの意見や感想なんて求められていないんだ。これは彼女の『とわずがたり』なのだから。彼女は語り、あたしはただそれを聞くしかない。
その者、赤き炎のもとで
その体、青き水面より出でて
その翼、風に乗り天を駈け
その心、大地を想い涙を流す
『聖女』が見つかったときに、陛下が勅令を出して、有名な作曲家に作らせた戯曲の一部なのだとか彼女は笑う。それはつまり、公式にはそう言われているということで、真実は違うということなのだろう。
「何事もなければ、出来損ないのパンケーキも無事にお嫁に行ってめでたしめでたしとなったところだけれど、案の定そうは問屋がおろさなかった。村中で、変な病気が流行りだしたの。バタバタと毎日人が死んでいく」
芝居めいた動きで、聖女は歌うように語る。
「村長の家に多少まともな薬もあったはずなんだけど、村長の家族もコロリと死んでたから、効かなかったってことなんでしょうね。住んでいた村だけでなく、親戚のいる近くの村もおんなじような状況で、子どもながらにこりゃあだめだなってわかったの。ああ、もうおしまいなんだって」
まるでどこか他人事のようなその言葉。能面のように変わらぬその顔。
「疫病が流行っていたことは、国も把握していたのね。関所の先には村人は行けなかったから。疫病から逃げようにも、どこへも移動できなかったの。だから村人は藁にもすがる思いで、生贄を捧げて祈ったの。村の近くの、大きなけものも出る森の社に一枚目のパンケーキを簀巻きにして転がしておいたのよ」
簀巻きって知ってるとあどけなくあたしに尋ねて、聖女は実演してみせる。ころりんと横たわる小さな体。
「村の外にある森の社に、縛られたまま転がされて。どんどん暗くなってきて、きっと獣に生きたままはらわたを食いちぎられるのだと怖くて泣いていたの。死ぬのは仕方がないけれど、痛いのは嫌だったから。どれくらいの時間がたったのか、馬の足音が聞こえたわ。遠くに騎士たちが見えたから、その時は本気で助かったと思ったのよ。『騎士様』なんて、声が出ちゃったくらい」
夢見るような眼差しで、聖女は続ける。けれど彼女が知るのは、夢は夢でも悪夢でしかない。
「けれど騎士たちの役目は村人の救出なんかじゃなかった。そもそも村全体を隔離して、消毒や治療を行うことは困難だった。汚染されたものも多くて、人だけではなく家畜も感染してしまっていたから。だから騎士団と一緒にいた宮廷魔導士は、村全体を焼き払うことにしたの。人も家畜も家も畑も、何一つ残らぬようにね」
くすりと楽しそうに笑みがこぼれる。床に転がったまま宙へ手を伸ばす。
「火をつけるように指示を出したのは騎士団長のレン。本当にバカな人。お貴族さまなんだから、別にあんな国の端っこなんて彼が見に来る必要なんてないのよ。焼き討ちだって、適当に国元から指示を出せばいいのに、人が嫌がることは全部自分がやるなんて。普段は筋肉バカなんだから、いつでも能天気に過ごしていればいいのに、そういうところだけは気が効くのよね」
そのくせどこか愛しそうに筋肉馬鹿の名を呼ぶ聖女。
「村全体が赤く燃えるのは、びっくりするくらい綺麗だった。少し離れた森の中で、ただ一人焼け死ぬこともなく、ぼんやりそれを見ていたの。面白いものね。人が死ぬ声なんて、何一つ覚えていないの。記憶にあるのは、夜だというに、まるで朝焼けか夕焼けの中にいるように、空が赤く明るく染まっていたことだけ。まるで血の色みたいに」
たんたんと話を進める少女がどこか異質で、あたしは呆然としたまま話を聞く。あたしはこの世界でのんきに暮らしていたけれど、絶対王権の下の農民の命なんてそれこそ吹けば飛んでしまうほど軽い。高度な医療もなければ、何かあれば汚染源丸ごと焼いてしまうのがきっと安全なのだろう。それが人道的かどうかは別として。
「村がちゃんと一つ残らず焼けたか確認している時に、転がされた生贄が発見されてね。あの男は無言で剣を振りかざしたわ。汚染源かつ目撃者だもの。生き残りを許すはずがないわ。これを止めたのはジュムラー。え、違うわよ。助けるためじゃないわ。血が周りに飛び散ると汚いからって、魔法で水球を作ってね、そこに閉じ込めたの。綺麗に溺れて死ぬようにって」
人魚のように、聖女は床から跳ね起きる。
「でも結局水の中でも死ぬことはなかった。水球に閉じ込められたときに、背中から不思議な翼が生えて、水球は弾け飛んだの。まるで卵から孵化した雛のように、一枚目のパンケーキはそのまま『聖女』になり、今に至るってわけ」
背中を見れば、うっすらとその痣が光る。これが、その時に翼となって羽ばたいたのだろうか。
「これがもう何年も前の話。あの日からこの姿は時を止めたように子どものまま変わらない。恨んでいるかなんて、つまらないことを聞かないでちょうだい。鬱陶しいったらありゃしない。でもね、正直に言うと、一つだけ許せないことがあるの。ただの村娘で終わるはずの人生を『聖女』に変えてしまったこと。それだけはどうしても許してあげられない」
今までの笑顔はどこかに消えて、真剣な顔をした少女が目の前にいる。
「陛下は、ことさらに『聖女』の発見を吹聴したわ。確かにこのもくろみ通り、疫病の村の後始末の話は『聖女』発見の影に霞んだの」
そして懐かしそうにシュワイヤーを見つめた。
「一枚目のパンケーキちゃんは、やっぱりおバカさんだったの。死にぞこなったあの時、予言の魔女とそこにいる男が迎えに来てくれたの。この国に利用されないように、保護してくれるって。それが嫌ならこの国ではない神殿に連れて行ってくれるって。そしてこれから先のことを学ばねばならないって」
何だか嫌そうな顔をして、シュワイヤーはそっぽを向く。何だ、あんだけ言ってたけれど、自分だって彼女を助けようとしたんじゃん。
「けれどおバカさんは、その申し出を断ったの。何もかもがどうでも良かったから、贅沢なこの鳥かごの暮らしを選んだの。陛下が、何を考えておバカさんを手元に置いたのか考えもしなかった」
聖女の言葉を聞くうちに、ますますシュワイヤーの眉間の皺は深くなる。
「陛下は、『聖女』の存在も予言も利用している。『聖女』がロクでもない人間であれば神殿の威光が下がり、相対的に王家の威光が上がる。予言が履行されなければ、陛下は後任に王位を譲ることなくそのまま王で居られる」
聖女は、北の国の思惑を知っていたんだ。あたしはただじっと耳を傾ける。
「この国の礎にはなりたくなかった。信仰なんてされたくなかった。王都でのうのうと生きる王族のために祈るのは嫌だった。家族を助けてくれない神様のために祈るのも嫌だった。王族も『聖女』も神殿も、糞食らえだと思ってた。だから傾国の『聖女』を気取ってたの」
まるで懺悔のような、聖女の告白。彼女は一体何を考えているの?
「質素倹約を信条にしていた村娘が、降ってわいた幸運に目がくらんで堕落していると思われたかったの。聖女は頭の空っぽな田舎娘。高価な宝石と美しいドレスに目がないおバカさん。手懐けやすく、利用価値もある。男好きで、顔のいい男に目がない。最初は気取っていただけだったのに、いつの間にかこのぬるま湯にすっかり慣れてしまった。陛下がそこまで予想して『聖女』を利用することを考えもしなかった」
泣き叫ぶ声が聞こえてくるかのようだった。幻だろうか、あたしの耳にはつんざくような悲鳴が突き刺さる。
「ようやく気付いたのは、便利な盾として使われ始めてからよ。毒味に矢避け、暗殺だって怖くない。使い減りすることのない人間ってすごいわよね。一枚目のパンケーキちゃんがもっと賢かったなら、きっと予言の魔女の手を取っていたでしょうに。生まれ持っての出来損ないは、本当にどうしようもないわね」
そして彼女はひたりとあたしを見据えた。