36.方向音痴なあたしと神殿の聖女 後編
宮廷魔導士は、朝焼け色のドレスを翻して椅子に腰掛けた聖女の姿を見ると、一瞬だけ不愉快そうに目を細める。そのままその怒りをぶつけるかのように、無表情のまま赤毛の騎士に向かって氷のつぶてを放った。
「ん? なんだ? 挨拶がわりにしては乱暴だな。お前が到着していたことくらいとうに気付いていたぞ」
「うるさい、黙って氷漬けになりやがれ。なんで聖女様がお前を彷彿とさせる赤いドレスを身にまとってらっしゃるんだ! 御髪まで赤銅色に染められて……。聖女様には海のように深い藍色が一番お似合いなのに……。おまえか、おまえの入れ知恵なのか!」
がんがん放たれる氷の大きさが大きくなっていく。赤毛の騎士は笑いながら、鍛えられた肉体でそれをなぎ払っている。うん、小さくなった氷がこっちにも飛んできて超迷惑。痛いし、冷たいし、だんだん溶けて足元が水たまりになっていくし、バカじゃないのこいつら。
あたしはシュワイヤーを盾代わりにその場に残し、そっと姫君に近づくと、低レベルな言い争いをする残念イケメン二人から距離をとった。聖女用以外の椅子は見当たらないし、本来なら跪かなきゃいけない場面なんだろうけど、これ幸いにうやむやにしちゃおう。
「リーファ、今日の菫色のドレスよく似合ってるね。この前の真紅のドレスも素敵だったけど、今日のは特別綺麗だよ」
名前で呼んで欲しいと言われていたことを思い出し、あたしは姫君に声をかけた。聖女に絡まれたくないから、あくまで小さめな声ね。前回の真紅のドレスも確かに姫君によく似合っていたのだけれど、いかんせんあれでは悪役顔になりすぎる。
この菫色のドレスは、色が少し渋みがあることもあり儚げで、姫君の繊細な顔立ちをよく引き立てていた。緊張していたのか人形のように冷たい顔をしていた姫君が、花のようにほころんだ。くう、可愛い! この表情、他の人に背を向けているので誰にも見せられないのが残念です。ついでにあたしは、先ほどの宮廷魔導士の言っていた、聖女のドレスの色について聞いてみる。
「あそこのアホたちが話していた、お前の色だとかって何? 聖女のドレスの色って何か決まりがあるの?」
「そうですね。まずはこの世界の風習として、愛し合う男女はお互いの髪の色や瞳の色を、着用する衣服に取り入れることが多いのです。人によって相性の良い魔法の属性というものもありますので、それをまじない代わりに身にまとうこともあります」
そして意味ありげにあたしを見つめた。まあこのアクセサリーに、このドレス。本当に何かこんな状況なのに、頭がピンク色で申し訳ありません。そこの銀色猫、なんでドヤ顔なの?!
そういえば、姫君は魔法の属性についての説明をした時に落ち込まなかったな。いや、シュワイヤーのドヤ顔が恥ずかしいから話を切り替えるわけじゃないよ。本当だよ。さてはリーファの方も、あたしが寝てる間に何か進展があったと見える。
問いかければ、姫君はくすりと笑って、菫色のドレスをそっと持ち上げた。足首につけたアンクレットがちらりみえる。青、赤、黄、緑の四種の宝玉がはめ込まれたそのアンクレットは、姫君の笑いに応えるかのようにキラリと輝いた。
華奢な姫君の足首に対して宝玉も黄金も結構ごつい。これはちょっとばかりやり過ぎなんじゃないだろうか。特に青の宝玉は加工してないはずなのにブリリアントカットになっているけれど、気合い入れすぎでしょう、蛇よ。でもちょっと安心した。やるじゃんちびっ子精霊王たち! もふもふたちの努力を間近で見れなかったのは残念だけど……いやこの場合巻き込まれなくて済んでラッキーだったというべきかな?
にっこりと笑って、リーファは話を元に戻す。
「今の聖女様が気分に合わせて、精霊を象徴した色のドレスを身に纏われるのは有名なお話なのです。お髪の色もそれに伴いお変えになるのですが、それが元で殿方が争うこともしばしば。万一ドレスの色が聖女様と被れば、周囲の殿方のご機嫌が悪くなりますので、わたくしは神殿に来る際には、四大精霊を彷彿とさせる色は身につけないようにしております」
「うわ、面倒くさっ」
一言で切り捨てたあたしのことを、姫君は声が大きいですよとたしなめた。いやいや、これ面倒くさすぎるでしょう。そもそも曜日によって着る洋服の色を変えるとか、どこのフランス王朝の王様だっていう話ですよ。
ルイ何世だか知らないけど、太陽王とか言われていたやつね。曜日によってカツラと洋服を変えていて、他の人はその色を見て今日は火曜日だとか知っていたという逸話が残っているのよ。その現象がカツラじゃなく地毛で起きるとか何なの? 地味に元の髪色が何なのかも気になる。
しかも、目の前の聖女にいたっては、アトランダムだし、その結果ドレスの色かぶりが起きたらネチネチ言われるとか、もう異常。本当に狙ってやってないんだよね? このお花畑な花嫁さんなみの思考、天然ものならあたしは速攻帰りたい。ちなみにあたしは、とある結婚式に参加した際、天然のウェディングドリーム満開の花嫁さんに出会ったことがある。こんなことを言われたっけ。
『白はウェディングドレスと被るからダメ、シャンパンゴールドやベージュは写真で見ると白に見えるからダメ、黒やグレーはお葬式みたいだからダメ、可愛いカラードレスを着てきて欲しいけど、自分のお色直しのドレスの色とかぶっちゃイヤ。お色直しのドレスの色? 当日ドレスの色当てクイズをするから内緒』と言われて、ふざけんなと思ったからね。
当日の衣装? 招待された新婦友人全員着物で出席してやったさ。ちなみに花嫁さんは、『ひどい、白無垢は予算の関係で諦めたのに。みんな着物きて主役より目立ってる』とのたまいやがりましたよ。出席してやるだけありがたいと思って欲しいのにね。え、その後ですか? 全員でさらりとフェイドアウトです、これ当然。やだもう、女を不愉快にさせるのがうますぎる聖女とか誰得なのよ?
「何をそんなに怒っているの? 稀代の聖女が着るこの朝焼け色のドレスが気にくわないなら、ジュムラー、あなたが気の利いた海色のドレスと宝石を持って来ればいいのよ。そうすれば、優しい聖女だもの。着てあげないこともないわ」
高価なドレスや宝石を、お前が寄越すならもらってやらないこともないと言い捨てて笑う。宮廷魔導士はと見れば、名前で呼ばれたことに喜び、自分色のドレスを着てやると言われて舞い上がり、見えない尻尾が千切れんばかりにパタパタ振られていた。あれおかしいな、あいつ水関連の魔法を使ってたから属性は水だよね? 水を守護する精霊は蛇のはずなのに、あいつったらいつ狼、もとい犬に鞍替えしたんだろうね。
そこまで言うと、良いことを思いついたと言わんばかりに、聖女はにっこりと笑った。どこから取り出したのだろう、キラキラと小さな宝玉が散りばめられた孔雀の羽根扇を打ち鳴らす。これもまた見るからに高価そうな代物だ。
「そうだわ。今日はちょうど王宮御用達の宝石商が、この神殿にも来る予定なのよ。リーファも一緒に宝石を選びましょうよ。とても良いお品だそうよ」
おい、今日の謁見の内容はどうした? あたしを呼んだ理由が明かされたり、今後の処遇について決めるんじゃなかったの? 聖女は終始マイペースに姫君を軽く誘い、高価な買い物を勧めてくる。それを姫君は心苦しそうにお断りしている。
そりゃそうだろう、軟禁生活で質素な暮らしをしている姫君に、そんな贅沢品を買う余裕なんかない。けれど姫君が聖女の誘いを断るのが気に食わなかったのか、宮廷魔導士の矛先が姫君に向いてしまった。心無い言葉に胸が痛む。
おい、そこの宮廷魔導士、おまえ自分が聖女に誘われなかったからって、人に八つ当たりするなよ。そんなに一緒にいたきゃ財布にでもなってろ。それからそこのびしょぬれ赤毛の騎士、何で聖女の誘いを断るのか心底わからないって顔をするな。
おまえは脳筋だから、どうせお金のことなんか考えたことないだろう。なおかつ実家も代々貴族とか騎士団長とかの家系で金に困ったことないだろう。これだから苦労知らずの人間は困る。イライラしたあたしがアホ二人に突っ込む前に、聖女は大丈夫よと姫君に声をかけた。
「あら、聖女たるものお金はいくら使っても構わないと言われてるのよ。リーファの分も聖女用として、まとめて支払えばいいわ。誰だったかしら、ほらあのお腹のでっぷりして、髪の毛の寂しいおじさまもそう言っていたわ。ご自分の領地の近くには、素敵な花畑がいくつもあるんですって。そのお花が高い値段で他国に売れるから、お金には困ってないそうなの。手入れもしないでよく育つし、刈り入れるだけで儲かるなんて、美しいお花や特別な薬になるお花ってすごいわよねえ」
さらりと言うけど、それマズくない?
「第一王子も言ってたわ。もうすぐ東の領地が広がるから、税収も上がるそうだし心配しないでいいの。たくさん宝玉が取れる山も手に入るんですって。金山も銀山もあるそうよ、そこの領地。キラキラしたものはみんな聖女にふさわしいから、たくさんおねだりするつもりなの。温泉もたくさん湧き出るそうだから、聖女用に新しい神殿をそこに建てたいわ。たくさん人手がいるけれど、新しい国民が頑張って働いてくれるわよね? あらどうしたのリーファ、お顔が真っ青よ?」
聖女がさらりと言うけれど、どうにも、人身売買とか違法薬物の影がチラチラ見えて仕方ないんだけど。第一王子の発言に至っては、姫君の国を吸収すると言っているようなもんだし。 そりゃあ姫君の顔色が悪くなってるのも当たり前だ。
「具合が悪いなら、王宮の専門医に診察していただいた方がいいわね。何かあっても心配だから、ここにいる魔導士と騎士の二人を連れて、王宮へお行きになって。ジュムラー、くれぐれもリーファを大切にね。この間注意したみたいな扱いをリーファにしたら、二度と口をきかないわよ。それに騎士たるもの、当たり前のことだけど具合の悪い女性は丁重に扱ってね。女の人に優しくできない人は大嫌いよ。二人ともいいこと? リーファは聖女の大切な人なんだから、リーファのお願いは絶対に聞くのよ」
聖女はあっさりと、姫君を王宮に送り込むことに決める。ついでに魔導士と騎士を護衛につけてくれるという。しかも聖女が自分で精神的に追い詰めておきながら、大切な姫君に危害を加えるなど言語道断と口を酸っぱくして言っていた。
二人は壊れたくるみ割り人形のように、何度もこくこくうなずいている。きっとこれから無茶をやりそうな姫君のことを、命懸けで守ってくれるに違いない。この聖女への心酔ぶりなら、証拠集めのための不法進入や自白のための拷問くらいならやってくれるかも。やっぱりこの聖女は一筋縄ではいかない。
一方の姫君は、そんな聖女の言葉は耳に入っていないようだった。そりゃそうだろう、あんな話を聞いた直後だ。これから誰にどんな話をするべきか、その段取りをくるくる頭の中で高速で考えているに違いない。先ぶれも出さずに王宮に行く名目も手に入れているし、埃をどう叩くか。証拠をどう抑えるか。
今の姫君に、先ほど見た可憐で儚げな面影はどこにもなかった。そこにいるのは、瞳をギラギラと燃え立たせながら、相手の首にかぶりついてやろうと牙を磨いている美しい鬼神だった。
聖女様、あなたは何を企んでいるの? うまいこと姫君と、あなたの下僕を追い払って何をするつもり? あたしはいつの間にか背後に立っていたシュワイヤーに背中からぽすんとよりかかると、小さなため息を一つついた。