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35.方向音痴なあたしと神殿の聖女 中編

「ところで、例の黒い指輪が外れたようで安心しました」


 シュワイヤーは、脚がダメなら今度は手だとばかりにあたしの右手を優しく包み込む。そのまままるで指輪の名残を探すかのように、右手の薬指を撫でさする。


 カイル王子に無理矢理はめられたはずの黒い指輪は、もうどこにもない。シュワイヤーが言うことには、あたしが目覚めるまでは、確かに指輪は存在していたのだという。決して外れることのない指輪が消えたということはどういうことなのか。


 あたしの中に吸収されたのか、何なのかはよくわからないけれど、エロエロ未来視をさせられなくて済むなら結果的には良かったのかな? 意外と指輪なんてなくても、未来視できたりして。怖っ。


 そんなあたしの内心を無視して、うっとりとシュワイヤーはあたしの指を口の中に含む。口の中はぬるりと温かくて、昨日の出来事をあたしは思わず思い出してしまう。


「あんなものが付いていた指は、きちんと消毒しておきましょう」


 そう言いながら、指の付け根を丹念になめあげる。そのままちゅぱちゅぱと味わうように爪先まで丁寧に舐め上げられて、あたしはすでに涙目だ。なぜ、朝からこんな目に! そしてそれがちっともイヤじゃない自分が一番ダメなんだ!


 お尻がむず痒くなりそうなほどに愛をささやかれる甘い甘い時間。一体どれほど乗っていたのだろうか、馬車もといユニコーン車がようやく止まった。外に出る前に、ちらりと備え付けの窓から外を見たあたしは、ホッとするよりも前に思わず固まった。


 念のため、もう一度外を見る。うん、あたしが寝ぼけているわけじゃないよね? 外には、姫君の離宮とは比べものにならないほど大きな城がありました。城だよ、城。英語ならキャッスル、フランス語ならシャトーだよ。なんで、どういうこと?


 今日は王宮じゃなくて神殿に行くんだよね? この神殿感ゼロというか、あふれんばかりのゴージャス感。一歩間違うと成金になりそうな派手さだけれど、ギリギリゴージャスの範囲で収まっている。


 今になって思えば、姫君の住まいは離宮とは名ばかりの、お屋敷でしかなかったんだなあ。まあアホなほど広い庭園や近所の森や湖も屋敷の一部なのだから、広さだけはあるんだろうけども。


 あたしをいまだにお姫さま抱っこしたままの男を見ると、彼は何も戸惑いもなく降りる準備をしていた。つまりここが神殿で間違っていないというわけだ。今こそよみがえれ、センター試験で詰め込んだ世界史の知識よ!


 確かフランス革命以前の聖職者は、王族以上の権威を誇っていたんだよね。 というか、王族とか貴族じゃないと聖職者として出世できなかったし、労働力を確保する意味でも平民はおいそれと聖職者にはなれなかったんだっけ? 世界に名だたる宮殿の所有者の多くも聖職者が建てたものが多かったんじゃなかったかな。


 だめだ、遠い昔の知識過ぎてあんまり思い出せない。でもとりあえず、神殿イコール清貧という観念ではなさそうなのはわかったよ。今回神殿に行くのに、えらく派手な格好をしているなあと思っていたけれど、そういう背景があったのかな。


「どうしました? やはり降りる前に、もっと愛を確かめ合いたくなりましたか? 確かにあれだけでは、物足りないと思っていたところなのです」


「違うし! どさくさに紛れて、変なとこ揉まないでくれる? なんで司祭服の上着のボタンを外してるの?!」


「変なところとは一体どこでしょう? こちらのことですか? それともこちら?」


「ちょっとは落ち着いて!」


 比喩ではなくあたしの脚を舐めまわそうとするので、容赦なくげしげしと蹴り倒しておく。これでイケメンだから許されるようなものを、そうでなかったら通報ものだよ。


 毒舌ツンツン期が過ぎて甘々デレデレ期が来たと思ったら、あっという間に発情期が到来してしまったらしい銀色の猫。やっぱり春が近いせいかな。思わず遠い目をするあたしを現実に引き戻したのは、迎えに来た男性の声だった。


「朝からお熱いのは結構なことだが、こちらは聖女殿がおられる神殿ゆえ控えては頂けないか?」


 至極まともなツッコミを入れてくれたのは、あたしにメイド服をくれた赤毛の騎士だった。よう、久しぶりだね! 朝からシュワイヤーのベタベタぶりを見せつけられても、嫌な顔一つせずに爽やかに笑いながら神殿へと案内してくれる。この人、筋肉談義さえなければ、かなり好感度高いんだけどなあ。筋肉からむと暑苦しいもんね。本当に惜しいわ。


 案内された部屋は、やっぱりお城としか言いようのない外観に違わず、優雅なものだった。すべての柱には金色と淡い緑を基調とした彩色が施されている。柱には一つ一つ絵が描かれていた。詳しい場面はわからないけれど、姫君から聞いた神話と整合するようだ。


 見上げれば天井一面を使った大きな絵が描かれ、その周りは額縁のように繊細な彫刻が彫り込まれている。青空の中から、物憂げな天使がこちらを見下ろしていた。その天使の周りにいるのは、巨大な白い四種の動物たち。白い狼、白い虎、白い蛇、白い鳥は、あたしが見たようなコロンコロンしたような生き物ではなく、精悍な姿をしている。まあ当然だよね。


 部屋というよりも謁見の間という感じだ。無駄に凝ったタイル張りの床も、両脇の壁に沿って置かれた子どもの背丈はありそうな壺も、幾重にも連なってかけられた豪奢ごうしゃな鏡も、シンプルながら品のあった姫君の部屋を見た後では、成金趣味としか思えない。天井からはきらびやかな重量級シャンデリアも吊るされているので、ここがこのままパーティー会場になったとしても違和感はなさそうだった。


 目の前の一段高くなった場所には、優美な椅子が二脚、ポツンと置かれていた。誰もいない。呼び出したのは神殿側のはずだったのだけど……。おや、赤毛の騎士が珍しく困ったような顔をしている。あらあら、これは想定外な事態? それとも想定内だからこその苦い顔かしら?


「ごめんなさい、今日はどんなドレスを着ても似合いすぎるから困ってしまって。やっぱり可愛すぎる聖女というのも困りものね。でも結局、この色を選んだのよ。どう、あなたの髪の色と同じでしょ。嬉しい? ただこのドレス、手持ちの宝石との組み合わせが悪いのよ。何をつけてもしっくりこない。やっぱり季節も変わることだし、新しい宝石が欲しいわ」


 朝焼け色のイブニングドレスを着た少女が、颯爽と入ってきた。開け放たれた庭園続きの扉から現れた彼女は、朝とは思えないほどに大胆に背中を開けたドレスを身にまとっていた。その背中には、紅い翼のような大きな痣が見える。それは先ほど見た天井の天使の翼によく似ていた。


 遅れて登場した聖女は、悪びれもせず、ににこにこと赤毛の騎士に話しかけている。年の頃は、いくつくらいだろうか。華奢な手足に、まだ二次性徴の気配のない体。朝焼け色のドレスによく似合う赤銅色の髪がさらさらと風になびいた。あどけない表情を見せる聖女は、少女ですらない。本当にあどけない幼子おさなごだ。


 聖女の常識を無視した奔放さにあたしは思わず苦笑いしてしまった。だって、聖女っていうより、わがままなお姫様なんだもの。この国は少しいびつだ。国のことを想って、自分の幸せをじっと諦めるリーファの方がよっぽど救国の聖女らしいなんて。その困ったような声が聞こえてしまったたのだろうか、彼女はあたしとシュワイヤーの姿に気がつくと、輝くような笑顔でこちらに駆けてきた。


「あなたが異世界の魔女ね。そのネックレス、とてもお綺麗だわ。今日着ている朝焼け色のドレスに似合うネックレスがちょうどなかったの。それ、下さらない? きっと魔女なんかより聖女が身につけた方がよく似合うわ。宝石もきっと喜ぶと思うの」


 いきなり初対面の相手に対してぶっ飛んだ発言をかましてくる聖女サマ。敬称をつける気がなくなっちゃったよ。


 そのままあたしの了承を得る間もなく、ネックレスをひっつかむ。ちょっとちょっと、そんなに引っ張ったらちぎれちゃうよ。事前にシュワイヤーから引っかかることを言われていなければ、全力で拒否したかもしれない。同性の女が全身で拒否したくなるようなぶりっ子具合、さりげなく相手を貶めるスキル。只者じゃないわ。まるでわざとやっているとしか思えないけど、いったいどういうつもりなの。


「申し訳ございませんが、こちらは今朝寝所を共にした魔女殿へ贈ったばかりのプレゼント。どうぞお許しください」


 反応に困ってしまったあたしを見かねたのか、シュワイヤーが助け舟を出してくれた。さらりとなんかとんでもないことを前面に押し出してるけど、それはどういう意図なんでしょうか。


「あら、あなたとても素敵ね。まるで銀色の月から来た猫みたい。そうだ、神殿にいらっしゃらない? 聖女が銀色の猫を連れていたらとっても綺麗だわ。魔女の隣より楽しくてよ。この背中をみたでしょう? 背中に広がる紅い翼は、聖なる力を持つ者の証。そんな聖女の隣にいれば、手に入らないものなんてないのよ」


「魔女殿の隣ほど幸せな場所はありませんので」


 聖女ゆえの力か、シュワイヤーの正体を知っているぞと言わんばかりの勧誘に驚いた。シュワイヤーはさらりと断りの言葉を返したけれど、聖女はその返事ににっこりと微笑んだ。一瞬たりとも驚いたり、不愉快な顔をすることもなくだ。まるで断られることを期待していたかのようにもみえる。


「月の出ていない夜には、どうぞお気をつけくださいな」


 そのまま物騒な言葉を吐きながら、あたしたちにくるりと背を向ける。聖女はゆっくりとひな壇の椅子に腰掛けた。タイミング良く、姫君も部屋に到着する。姫君を案内してきたのは、あたしをこちらの世界に連れてきたあの宮廷魔導士だった。

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